講師を始めたばかりのその昔・・・![]()
仕事で中医学講師をしていると言うのに『気』という言葉を
使うに当たって実は随分長い間“気恥ずかしい”思いを
していた。
教科書どおりの解説はできても、自分自身が『気』というモノの
存在に少々懐疑的であり、その思いを誤魔化していたからだった。
講義ではこんな事を言ってたっけ。
「やる気、元気、気持ちがいい、気になる、気配を感じるなど・・・
日本語にもよく登場する“気”という言葉がありますね。
言葉としては馴染みがありますが、中医学における
“気”とはなんでしょうか?
中国伝統医学では『気』という存在を生理学として論述し
医学の中に・・・・」![]()
・・・以下、突っ込んだご質問がないのを良い事に
教科書で理解した範囲内だけの解説がはじまる。
あるというからあるんだろう。
現代医学に置き換えると
あれやこれやの現代生理学的な働きに相当するんだろうな・・・![]()
など曖昧な理解で、しかも経穴に何らかの効能があるんだったら
推拿のように指や手による刺激じゃなくって、鍼や灸の方が
話が早いし、効果が高いに決まってるよなぁ・・・・なんて
浅い理解だったのだから、恥ずかしい。![]()
ところがどっこい![]()
私なんぞの勉強と経験の圧倒的な不足に合わせて
狭くて浅い頭脳知は顕在意識と表現されるが
この意識を支えるある種の『気』は更に内臓などの
物質的な各局所とも連絡し合っており、また私と言う個から
拡大されたフィールドのある種の『気』とも連絡し合い
交流している。
もっと言えば、個の深層意識から別の個の深層意識同士や
自然界、自然界を生み出した宇宙と宇宙の大元にも
『気』が溶けて浸透している。
・・・なんて事を体験や体感とともに理解していった経緯を
お伝えして行きたいなと思います。
たまたま今日は学校の体験会でも、ご参加者さんから
色々ご質問を頂いて『気』についても解説させて頂いた。
少なくとも、あの頃のように教科書通りの“気まずい”
解説にはならなくて済んだと思う。
少しは私の人生に中医学の思想哲学がしっくり
浸透してきたのかも知れない。
次回につづきます。