私は数年前まで、お芝居をして舞台に立つという経験をしていました。
お芝居するとなると、俗にいう役作りってやつが必要ですね。
まず台本を読み、内容を理解する。
そして自分の役にフォーカスして読んでみる。
自分の役の感情を探り、台詞として成立するか確認していく。
他の役者と稽古をする。
文字にするとこんな感じです。
文字にすると、何だか機械的に感じますね。
これをやる時に必要なことがあります。
それは、
うそをつかない
ということ。
え⁉︎と思った方もいるかもしれません。
お芝居って、ウソやん!誰か他の人になるんやん!て思う方もいるでしょう。
いいえ!
他の人にはなりません。
舞台に立ってるのは、全力で、その人自身です!
なのでウソってね、バレます。
お芝居はお芝居だけど、そこにいる人は本物。
だから役者自身にウソがあると、バレます。
だから私の中で役作りとは、
違和感を消していく
という作業でした。
自分が立って、動く。
違和感を持ったままの人を見て、楽しいですか?気持ちいいですか?
否!
違和感が必要とされる時というのは、
その登場人物が違和感を持っている時だけ
だと思っています。
その時ですら、役者自身はスッキリとした状態で違和感を演じて(感じて)いなければならないのではないかと思います。(ただ段々その役の違和感にのみこまれて、ホントに憑依したみたいになる方もいらっしゃいます。それもすごいことだと思います)
例えば絵を描くとして、そこに描いた線につけた色に、描いた人自身が納得いってないと、それは作品として世に出しませんよね。
役者も同じで、納得いってないと、それはその人自身が作りあげた役という作品ではなくなってしまうと思うのです。
役者のおもしろい所は、ここからで、
納得いった作品としての自分の演技(ひとまずつくりあげたウソのない演技)が、稽古していく中で、何度も何度も変化していくところです。
それは相手の役者の演技によってもたらされる時もあります。それは演出家の指示によってもたらされることもあります。
つまり役者が自分のクリエイティブを最初に発揮する場所が稽古場であり、舞台はその積み重ねでできあがったもの、ということです。
稽古場の時点で、役者自身が自分の役を作品として持ってこなかったら、違和感を持った作品を出し続けたら…それでは稽古場でも何も生まれないのです。
ウソのない、その役者自身の作品を作りあげる気持ちで、役作りに臨めば、見えてくるものが変わります。
これを実生活で生かすとすれば、
ひとまずウソのない発言をすること。
ウソのない行動をとること。
違和感を感じたら方向を転換する。
そこから何が生まれるかはお楽しみ、という気持ちでいる。
日々をそうやって過ごすことから、新たなものが生まれていく気がします。
芝居の楽しさについて考えていたら、役作りのこととかいろいろと思い出しました。もちろんこれは私の思う、役作りです。これ人それぞれですので。ただ、私は常にそういう、何かを求めて、試して、創り上げることが好きみたいです。
芝居で学んだことを実生活に生かして、高めたい♪
自分の「好き」に気づいていく毎日。