貧困と成功 | 異文化交差点

異文化交差点

長年、数十カ国を遍歴した経験を生かして、日本人には日本語と英語、米人には英語を使って異文化研修を日本語と英語で提供しています。

英語コーチングのプロを紹介する『英語コーチングプロ』
https://english-coaching-navi.com/coach-pro/hino/

先の投稿で首記のインド人について英語と関連させたお話を致しました。

ナイジェリアのラゴスにあった彼の邸宅にお世話になっていた時、彼から聞いた話です。

彼は15歳の頃に、インドの家があまりにも貧乏だったため、なんとかしてその状況から抜け出たい一心で家を出て貿易船に乗り、ボンベイからラゴスまで行ったそうです。

もちろんお金がなかったので、船内で汚れ仕事をしながら、僅かばかりのお金を貰って、ラゴスに着くと、住む所もなかったので、他人の家の軒崎やゴミが山と積まれている場所の近くにあった掘っ立て小屋で寝起きしつつ、ゴミ拾いをやって、売れそうなものが見つかると、それを市場に持って行き、お金に変えていったそうです。

裕福な家の近くには、食べ残しの食事が捨てられていて、それを食べたとも言ってました。

彼はそうやって少しずつ貯めたお金を元手にして、捨てられていた電池は電気がゼロではなく少し残っているのが分かり、せっせと電池を拾い、中古のテスターを買い、それで電気量を測り、まだ使える状態の電池を梱包して、格安の値段で売り始めました。仕入れ費用は彼の体力のみです。

そうやってお金が貯まり始めても、まだ住む家もなく、彼は廃車置き場にあった使えない車の中で寝起きしていました。

5,6年後、彼の彼女が彼を慕ってやってラゴスにやって来た時、彼はその彼女と一緒に車の中で寝起きし、子供二人が車の中で生まれたそうです。医者にかかるお金なんかありません。

この話を聞いた時、涙が出そうになりました。

そうやって徐々に仕事が伸び始め、ラゴスの貧困街で屋根のある部屋に住めるようになり、そして、電池だけでなく、捨てられていた他の家電製品(主にラジオ)を修理して使える状態にして、それを売り始めました。

それが当たり、次には、シンガポールのインド系商社から、日本の家電メーカーが売れずに在庫として持っていた家電製品をコンテナー数十杯分買い、それを通常家電製品よりも安く売り、これがまたまた当たり彼は裕福になって行きました。

この時、私はシンガポールでの経験を思い出しました。1980年初頭の頃です。本社の一工場に簿外在庫としてあった大量のフィラメント・ランプがシンガポールの子会社に送られてきて、これが売れたら子会社の資金にしなさい、と本社にいた上司から言われ、「こんなの売れるか」とぶつぶつ独り言を言いながら、シンガポールにあった十数社の小さな電子部品店を訪問し、買い先を探しました

本社からただで貰ったランプです。数量ではなく目方で値決めをして、様々な電気仕様も関係なく、まとめ売りしたい、と言いつつ、客を探していたら、一社が買っても良い、と言ってくれました。

十数箱あったランプはあっと言う間に売り切れてしまい、私は、本社に「もっとあれば寄越してくれ」と要請しました。

その時、本社にいた取締役経理部長は、飛び上がらんばかりに喜び、「冨永君は営業の神様だ!」と叫んだ、と後で聞きました。そうやって、簿外在庫として保管されていたフィラメント・ランプは全て換金されました。売上金額は100万円を超えました。

私は客に聞きました。「どの市場に売り込んでいるのか」と。

するとインドネシア出身の華人は言いました。「クリスマスの季節になると、インドネシアでは電飾として使えるんだ。だから、電気仕様なんて関係ない、明かりが点けば良いんだ」。

「なるほどいろんな市場があるのだなぁ。日本製品は品質が高く、売れ残っている商品を求める人は世界中にいるんだ」とその時知りました。

インドネシアはイスラム国家です。「イスラム教徒はクリスマスを祝うのか」と聞いたら、「なんでそんなことを聞くのか」と逆に聞かれて戸惑いました。彼曰く、「クリスマスに宗教は関係ない。あれは季節行事だ」との由。思い込みが強いと、商機を見抜くのができないのだな、と痛感しました。

余談ですが、私は24、25歳の頃、インドネシア・スマトラ島にいた事があり、現地でインドネシア語を覚えていたので、その客とインドネシア語で話をしたことも、彼が私を気に入ってくれた一つの切っ掛けとなっています。

それはさて置き、ナイジェリア・ラゴスにいた印僑(インド系商人)が逆境を跳ねのけ、見事に成功し、巨万の富を築いた話を本人の口から直接聞けたのは幸いでした。

だからかもしれませんが、若い日本人が英語の勉強が苦手だ、なんとか簡単に勉強できないものか、などと愚痴をこぼす度に、ナイジェリア・ラゴスにいた印僑を思い出します。でも言いません。下手すると、私の作り話かもしれない、と誤解されるのが落ちだからです。

翻訳学校で日英翻訳を教えていた時、生徒達に言いました。「君達はまだ若い。どんどん苦労しなさい。その苦労はやがて君達に大きく返ってくる。これを信じましょう。身を切り刻むような苦労を重ねた末に英語力が身に着く。良いね」。その時、私はナイジェリア・ラゴスの印僑の笑顔を思い出していました。