国連英検特A級に合格するのにどれくらいの努力、勉強時間を要しましたか? | 異文化交差点

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これはQuoraに投稿した記事をBloggerに転送したものです。2020年6月21日(日)

 

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まさかこのような質問がQuoraで出されるとは想像だにしていませんでした。

 

実を言えば、これに回答するのは少々気が引けるのです。なぜならば、私は、国連英検特A級合格を目指して英語を勉強したのではなく、受けてみたら合格した、という次第で、英検上位合格を目指す人にとっては、物足りない仕儀だと思うからです。

 

それでは面白くないでしょうから、少し長くなりますが書いてみます。

 

時は1987(昭和62)年初期。私はテキサス州ダラスに仕事で単身赴任していました。何をやっていたかと言えば、後に倒産した証券会社の子会社で、新規事業に投資する目的のために、そういった事業を調査するというものでした。

 

私よりも4歳年上の現地米国人と一緒に全米を回りました。そのお陰で30州以上、米国内を移動することができました。東京本社への報告は、行った先々の宿にあったファックスを利用して連絡しました。

 

その時、私の妻が郵便小包を私に送ってくれました。中身を見ると、国連英検特A級試験が1987(昭和62)年の4月頃にあるので、それに応募しておいたという書簡と共に、過去問題集、UN Guidebookが同梱されていました。書簡には、「あなたなら特別な勉強をせずともこれには合格すると思います」と追記されていました。

 

国連英検は1981(昭和56)年に始まっています。だから過去問は1981年から1986年の6年分しかありませんでした。それをぱらぱらとめくりながら読み、直感しました。「俺はこれなら受かる」。

 

国際政治に関する特殊用語はそんなに多くはありません。それらは精々100単語程度で、その過去問にあった用語を全て短期間に暗記しました。

 

国際経済用語は、学生時代に英語の文献を活用して講義をしてくれた教授のお陰で、高度な経済用語は既に頭に入っていました。

 

後は、自然科学、地理、芸術、政治哲学などの高度な一般教養を頭に入れる必要があることが分かりましたが、実を言えば、こういった知識は、高校生の頃に日本語で持っていましたので、日英対照表を作成し、全部頭に入れました。それらは例えば以下の通りです。

 

地理:三角州、列島、北極圏、南極圏、南回帰線、北回帰線、緯度、経度、高度、砂漠、熱帯、熱帯雨林、温帯・・・その他無数

 

天文学・地学:対流圏、成層圏、電離層、太陽系、銀河系、背景放射、量子力学、複雑系科学、相対性理論、万有引力の法則、慣性の法則、水圧、気圧、流体力学、電磁気、電磁波、光子、波長、音波、ドップラー効果・・・その他無数

 

生化学・物理学:遺伝子、細胞、細胞膜、浸透膜、浸透圧、細胞核、病原菌、抗体、抗原、免疫、二酸化炭素、酸素、水素、窒素、塩酸、硫酸、窒素化合物、化学反応、熱力学、身体用語(頭の天辺から足先までの身体内外用語)、白血病、癌、遺伝病、動脈硬化、脳溢血、原子、原子核、電子、分子、原子爆弾、水素爆弾、原子核反応、核融合・・・その他無数

 

数学:四則演算、幾何学、三角形、二等辺三角形、四角形、正四角形、長方形、台形・・・、角、垂線、二分割、三分割・・・代数学、微分・積分、小数点、べき乗、対数、虚数、無理数、円周率、円の面積を求める式、円周を求める式・・・その他無数

 

これらは高校で学んでいた知識なので、日本語と英語の対照表を作成し、短期間に全て暗記しました。お蔭で私の頭脳には日本語と英語の両方で一般教養知識が入っています。

 

しかも、米国にいた目的は新規事業の調査で、Venture Business人らの大半が科学者で、彼らが説明することを理解するために、私は、更に、数学、物理学、電気・電子、医学、生化学などの専門雑誌を買って、それを読みながらその分野特有の専門用語が頭に入っていたので、特段国連英検特A級用に勉強する必要もありませんでした。

 

1次試験の後にある2次試験の面接では、高度な英語を使った対話力が求められますが、米国にいた頃、英語しか使わずに生活し仕事をしていましたので、なんら問題はありませんでした。

 

一応過去問6年分とUN Guidebookを全て頭に入れて、試験場に臨みました。1次試験合格の通知は私がダラスに戻って2,3カ月後に妻からの知らせで分かりました。8月に2次試験があったのですが、それは仕事のために行けず、12月に受けることにして、その面接試験も合格しました。ですから、1次、2次とも一発で合格したことになります。

 

ところで、国連英検試験は、既に述べたように高度な一般教養を英語で持つことが求められると同時に、特A級合格者には、英文法ができて当然という前提があります。この英文法は、ロンドンにいた頃に買ったA Practical English GrammarとPractical English Usageを頭に入れていたので、英文法においてもなんら問題はありませんでした。(だから私は今進学塾で英文法を含む英語を指導することができます)

ということで、私が国連英検特A級に合格したのは、私の実力を信じていた妻のお陰です。

 

これから先は余談です。

 

私と英語の格闘は幼い頃に遡ります。私が小学5年生に進級する直前の1961(昭和36)年3月、我父はその頃始まったNHKラジオ教育放送の基礎英語教本を私に渡して、「Shintaro、4月からこの放送を聞いて英語を勉強しなさい」と言いつけました。

 

そしてその本に書いてあった、This is a book. It is a book. That is a book.という文章を読み、Thisとは、Itとは、Thatとはの説明をした後、英語の文章は、主語があってその次に動詞が来る、という文章の構造を私に教えてくれました。

 

まだ10歳の私にいきなり英語の構造を教えてくれても、何が何だかさっぱり分からず、怖い父だったので、「はい」と何度も言いながら分かった振りをしたものです。

 

私の父は、大正3年(1914)生まれで、旧制中学を出た後、横須賀にあった大日本帝国海軍通信学校に進学し、昭和初期にそこを卒業すると、大日本帝国海軍佐世保基地に配属され、すぐに軍船の通信兵となって広東省広州に派遣されて、しばらくそこに滞在していました。

 

軍の通信業務というものは、身内同士の通信以外に、海外の情報を収集するという業務が課せられます。だから、英語は徹底的に鍛えられていました。父は、旧制中学生の時から英語に秀でていて、通信学校でも英語力が高くなっていましたので、海軍からもその仕事が課せられていたようで、中国大陸に居た時、秘密行動に従事していたようです。現代用語で言えば、工作員(operative)だったことは、時々父が話していた昔の仕事の様子で分かりました。旧制中学、通信学校とずっと柔道をやっていた父は、体力と精神力も並外れて強かったので、その任務が課せられたものと思います。

 

当時父が使っていた英和辭典は、「井上英和大辭典」で、それは父の手垢で汚れ、かつ、所々中の頁が破れていました。それほど父が使いこなしたことも分かりました。

 

2008(平成20)年3月8日、都内神保町の大雲堂という古本屋で偶然に見つけたその辭書を買いました。これは今私の宝となっています。このお陰で、外來片假名語を日本語に置換することができます。(写真を末尾に添付しておきます。)

 

小学5年生になる直前(1962年・昭和37年)の私は、どこの父親も英語ができるものだ、と誤解していました。それはともかく、NHKラジオ教育放送の基礎英語を、怖かった父の言いつけを守り、1年間やり通しました。6年生に上がる頃、父はその4月から始まる基礎英語を再び勉強しなさい、と私に言いつけ、中学に上がる直前まで、基礎英語をずっと勉強し続けました。丸2年間基礎英語を勉強したことになります。

中学生になった頃、英語の勉強をA,B,Cから始めなければならず、授業が退屈で仕方ありませんでした。私は父と基礎英語のお陰で、英語の基礎力が2年間で幼かった私の脳髄に叩き込まれました。

 

これが私の英語力の原点にあります。

 

そして地元佐世保の大学に入った時(1970年・昭和45年4月)、そこにあった米海軍基地内で仕事を得て、実用英語力が身に着きました。私の上司は3人の兵曹長でした。男性、女性と入れ替わりました。バーテンダーをやっていたので、カクテルは約100種類作ることができました。

大学では国際企業論を専攻していたことと、教授が米国大学生が使った本をどこからか仕入れて私達学生に渡して教えてくれたことが幸いしました。このゼミは希望したら入れるのではなく、英語を使うということで、英語の試験が課せられ、合格した学生のみが講義を受ける事が出来て、わずかの7人しかいませんでした。そのお陰で、高度な国際経済学用語を頭に入れることができました。

 

米軍基地で実用英語、大学で学術英語の両面から英語を学ぶことができたお陰で卒業した時、既に私の英語力は英検1級に達していたと思います。

 

井上英和大辭典(1915・大正4年初版発行:これは約2,300頁あります)