敷居が高い | 異文化交差点

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以下の文章は、2009/12/24 13:12に別のブログに投稿したものです。

 

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 Goo blogが「勘違いして使っていた言葉、ありませんか?」のお題目でトラックバックを勧めているので、小生は、首記の題目で私見を少々書いてみます。

 「敷居が高い」という熟語は、なんだかお高く留まっている人、つんけんしている人、偉そうな人、高名な人、権威ある人・・・などを表す意味として使われているようです。何を隠そうこの私もそう理解していました。しかし、海外から日本に帰ってすぐの頃(確か1990年初頭だと思います)、私は、翻訳者の集いの催しに参加して、その会場である翻訳者の方(名前もお顔も失念)とお話ししていた時、私自身は、翻訳者としての能力が低いと謙遜しているつもりで、「この集いは敷居が高くて、とても私などが参加できる資格はないのだけれども」、と言ったところ、彼女は、「トミさんは、この集いの方々に何か義理を欠くような事をされたのですか」と質問されたのです。

 私は、きょとんとしてこう言いました。「いえ、そんな事全くありません。皆さんとは初めて会います」。彼女は、更に続けました。「そうしましたら、敷居が高い、という表現は不適切です。なぜなら、その熟語の本来の意味は、誰かに不義理をして、そこの家に入りづらい、つまり、玄関の敷居が高く感じられる事を指すからです」

 流石に言葉を操る翻訳者だと思い、私は、彼女を尊敬しました。そして、我が家に帰り「岩波国語辞典」(第二版)を紐解くと、ずばり、彼女が私に言った事が書かれてあったのを発見したのです。

 本当の意味を知らずに多くの人達が「敷居が高い」を間違って使うものですから、今、その言葉の本来の意味がどこか遠くに追いやられていると感じます。

 多くの新聞、雑誌、著書、電影(Television)、無線(Radio)上でも「敷居が高い」が本来の意味で使われていない場合が多いようです。

 教育機関において、国語がおざなりになっているからでしょうか。私は、その時以来、国語に神経質になり、国語辞書を常に開いて読む事を癖にして来ました。そのついでに、ずいぶんと誤解して使っている片仮名語の安易な使用も控えるようになって来ました。

 いつの間にか、若い人達から煙たがられ始めています。残念ではありますが、頑固にこの姿勢を貫きます。生きた化石と言われようが、お構いなしに。