皆様、こんにちは。ランサムはなです。
By Daniel Benavides from Austin, TX - IMG_5834, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=69290606
今年のアカデミー男優賞、ラミマレックが受賞しましたね。
まあ、予想通りというか何と言いましょうか。
それで昨日、著者仲間の友人とチャットをしていたところ、受賞スピーチの話になったんですが、
友達が
「オスカー、ラミマレックのスピーチの翻訳がいろいろ出回ってるんだけど、
テキサス(←私)が「翻訳者は日本語の人」って日頃から言ってる意味が本当によく分かったわ(笑)」
・・・と言い出しました。
「え、どして?」と聞くと
「人によって全然違うし、 日本語がヘタクソ過ぎて読むのが嫌になるのもある。
「真心」って訳す人と「ハート」って訳す人がいて、 雰囲気違い過ぎ(笑)。
私も翻訳を比べたことなんて生まれて初めてだから、 こんな違いに気付いたのも生まれて初めて!
翻訳のは読みにくいなぁ、と思うことはよくあるけど、複数比較していろいろわかったわ。」
と言うではないですか。
おお、ようやく私の言ってたことを理解してくれたか!
そうなんですよ。翻訳って、誰がどう訳すかによって全然違うものになるんです。
日本語のセンスがすごく問われる仕事。
今回のスピーチはいろいろなバージョンが出回っていていい機会なので、ちょっといろいろ集めてみました。
Oh my God, my mom is in here somewhere, oh I love you lady
My family, thank you for all of this.
訳1:ああ、神様。母が会場のどこかに来ています、愛しているよ! 僕の家族へ、全てのことに感謝しています。
訳2:あぁ、信じられません。今夜、母が会場に来ているんです。 愛してます、お母さん。私の家族に感謝します。
訳3:オー・マイ・ゴッド。母さんが会場のどこかにいるんだけど、愛してる。家族のみんなに感謝したい。
訳4:オーマイガッ!母さんが会場のどこかにいるはず、家族のみんなもありがとう。
英文は同じなんですが、翻訳者が変わるとこんなに雰囲気が変わるんですよ。
それにしても、「オー・マイ・ゴッド」「オーマイガッ」にはビックリ(汗)。
My dad didn’t get to see me do any of this, but I think he’s looking down on me right now, so this is a monumental moment.
訳1:父は僕がこうしたことを成し遂げたのを見ることができませんでした。だけど今、僕を(天国から)見下ろしているんじゃないかと思います。とてつもない瞬間です。
訳2:(2006年に亡くなった)父は今作での私の活動を見ることはできませんが、私が喋っているのを見守ってくれていると思います。今日は私にとって記念碑的な瞬間となりました。
訳3:(他界した)父さんは僕の栄誉をどれも見られなかったけどきっと今も上から見てくれているはず。これは色褪せない瞬間です。
ね、「父」と訳すか「父さん」と訳すかだけでも、ぜんっぜん雰囲気変わるんですよ。
「私」と「僕」でも印象違うしね。「喋っている」とか、原文にないものを足している翻訳もあります。
同じ英文とは思えないでしょ?
友達曰く、「ラミマレックの年齢や誠実そうな感じを出して欲しいのに、
爺さんくさい喋り方や軽すぎる喋り方に翻訳するのもやめてほしい!
翻訳者の皆さん、夢を壊さないでーー!」
ほんと、同感ですよ。
料理人が変わると、全然違う料理に仕上がっちゃうのよ、翻訳って。
「オーマイガッ」みたいな翻訳にすると、日本語ではちゃらい感じに聞こえてしまいますよね。
私の感覚では、いただけないなあ・・・。
そしてスピーチは、関係者への感謝へと移っていくのですが、ここはそれほど相違はないので割愛。
I think about what it would have been like to tell little bubba Rami that one day this might happen to him, and I think his curly haired little mind would be blown; that kid was struggling with his identity trying to figure himself out.
訳1:もし小さな頃の僕に、いつかこんなことが起こるかもと伝えたらどんな感じだろうと考えるのですが、彼のカーリーヘアの小さな頭はぶっ飛ぶでしょうね(笑)。その少年は自身のアイデンティティに悩み、自分は何者なのかと模索していました。
訳2:昔に戻って、ラミ少年に「こんなことが起きるよ」と言ったらどうなるか考えたんです。たぶん、彼のカーリーヘアーは爆発するんだと思います。ラミ少年は彼のアイデンティティに悩んでいて、自分自身が何ものなのかを見つけようとしていました。
訳3:子供のころのラミ、クセっ毛で目がまん丸のアイデンティティに悩んでいた子供時代のぼくのような子供が、自分の声を発見するように、僕たちの映画は、ゲイで移民で悩んでいる主人公が、自分自身であろうとする物語です。(←次の文とつないで短縮している模様)
訳4:もし子どものころの僕に、将来こんなことが起こるんだよと教えたら、クリクリの髪で目を見開いて驚くことでしょう(←同上)
カーリーヘア(ヘアスタイル)がぶっ飛ぶ、と訳している人と、カーリーヘアの頭がぶっ飛ぶ、と訳している人がいる。
そして、「カーリーヘア」と「クセっ毛」と「クリクリ頭」では、これまたイメージ違いすぎ!
Lucy Boynton, you’re the heart of this film, you are beyond immensely talented, you have captured my heart. Thank you so much.”
訳1:ルーシー・ボーイントン、君はこの映画のハートで、ものすごく才能にあふれていて、僕のハートをつかんだよ。どうもありがとう。
訳2:ルーシー、君はこの映画の心だ。君は本当に素晴らしい才能を持っている。そして私のハートを奪ってしまった。本当にありがとう。
訳3:ルーシー・ボイントン、あなたは作品の核です。素晴らしい才能に溢れたあなたは僕のハートを掴みました。本当にありがとう。
訳4:最後にルーシー・ボイントン(フレディの恋人役)、君はこの映画のハート(良心)であり、才能があるあなたは僕の心も虜にしました。本当にありがとう。
訳5:ルーシー・ボーイントン、あなたはこの映画の真心でした。そして僕の心を奪いました。
「ハート」と「真心」じゃ印象全然違うんですよねぇ。
「核」という訳出もありますね。
そして「奪う」「掴む」「虜にする」という表現に分かれているのも面白い。
皆様は、どの訳が一番自然に読めましたか?
私は、どれがダントツでいいというのはないと思いました。
丁寧な印象を受けたのは、訳1と訳2ですが。
でも、他の訳にもところどころ良い表現があるので、
「この文章だったら、この訳とこの訳を組み合わせればもっといいものになるな」みたいに見てしまいました。
友達は「日本人に伝えたいなら、日本人にとって不自然じゃないように翻訳してほしいわ!」って言ってたけど、そりゃ読者として当然ですよね。
翻訳って、翻訳者がどんなフィルターをかけるかによって、伝わる雰囲気も印象もまったく違ってしまうから、責任重大なんです。
「heart」の意味を英語で正確に理解しても、それを「ハート」と訳すか、「心」と訳すか、
そういう的確な言葉選びの部分で、翻訳者のセンスが問われます。
その微妙なニュアンスを訳し分けられるのが、優秀な翻訳者なんですよ。
1つ1つの言葉をじっくり吟味するので、限りなく職人技に近い仕事です。
「意味が通じる」だけじゃ不十分で、
読みやすく、
日本人の心に刺さる表現を考えるのがプロ。
原文の意味を正確に理解したうえで、
いかに日本人の心に寄り添う言葉選びができるか。
そこがカギだと思います。
翻訳者って、巷では「英語の人」だと思われがちなんですけど、実はそれ以上に日本語の人なんですよ。
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