クレドや行動規範の中に、
「良知」が働きを促す項目が入っていること、
それが必要だと書いた。
http://ameblo.jp/holacracy/entry-12245883772.html
では、「良知」は一体なにか?
辞書には、以下のように書かれている、
【良知】 の意味
1 《「孟子の説から》人が生まれながらに
もっている、是非・善悪を誤らない正しい
知恵。
良知は、生れながら誰もが持っている、
そんなものであり、
かつ、
判断を誤ることの知恵だとされる。
☞生まれながらに持っている知恵
☞是非・善悪を誤らない。
確かに、
自分の中に絶対に判断を誤らない、
そんな力があると思えば、
心の底から力が湧いてくるような気がする。
そして、生れながら誰もが持っているのなら、
自分にもそれはあるはずだ、
そう確信できたなら、
その人の行動を変わるであろう。
人間は人から教えられずとも、
「何が良いこと」で「悪いこと」か、
「自分は何をすべきか」を知っている、
そういうのだ。
中国哲学によるなら、良知は、
仁・義・礼の心と意訳できる。
仁とは、弱きモノをいたわる心とか、
人間の根源的な情愛と言われる。
この心は誰にもあるという。
ヨチヨチ歩きの幼児が、
井戸に落ちそうになっているのを目にしたら、
どんな凶悪犯であっても、
思わず手を出てしまう。
そのとき、凶悪犯は思わず、
手が出てしまうのであって、
そこに打算などがあるわけではない。
これは誰にでも仁の心がある証拠だ、
そう解説されます。
また、義の心とは、
善悪を判断する心で、
泥棒がコソコソするのはそれが悪であると、
知っているからに他ならないからだ。
礼の心とは、譲るこころ、辞譲の心で、
例えば、電車内で立っているお年寄りを前に、
若者が寝たふりをするのは、
それは「本当は譲った方が良い」と、
知っているからだというだ。
ここでポイントなのは、
良いと知っているが、
誰もが行動できるとは言っていない。
行動するか、どうかは別として、
「良いことが何かを知っている」、
そう言うのだ。
心がもっているこのような特性を、
「良知」と呼ぶ。
☞この考え方は、儒教の中でも、
孟子が強調しており、
次の本がすごくわかりやすい。
(まとめ)
物事を判断するとき、
自分の心に問うてみる、
そこから出た答えには、
決して間違ってはいない。
既に答えは自分の中にある。
自分の中には、絶対に間違えない答えを、
導きせる判断力が備わっているのだ。
何が得か損かを考えたら、迷うが、
何が人として正しいかは迷わない。
そこに気がついたとき、
力が漲ってくる。