ホントに(笑)今年最後の宮城 2日目のPart1 | ■ホクトとヤマトとイーグルスぷらすレフト■

■ホクトとヤマトとイーグルスぷらすレフト■

Mダックスの親子・父親ホクトと息子ヤマトのコト・・・
楽天イーグルスのコト・・・
2017年5月、元保護犬だったレフトを家族に迎えました。

トイレとお友達で、ほとんど寝られないで朝を迎えたワタクシ。


「今、新幹線乗ったから。ヤマトが昨日すごい下痢してて寝られなかったよ」

というパパからの電話に・・・ヤマトさん、あんたもかい!(笑)と。


9時55分にパパが乗せた新幹線が仙台に着く。

下痢は止まってるけど、なんだかお腹がモヤモヤしててヤーね・・・と思いながら支度して、9時20分にホテルをチェックアウト。


まずは駅に行き、コインロッカー争奪戦に参加。(笑)

大きいところが取れなかったので、小さいところにどうにか入れたスーツケース。(笑)


まずは駅の1階の花屋さんに、お墓に供えるお花とお線香を買いに行き。

お花を買った途端、「お腹痛いし!」と、ゲーセンのトイレへ。(笑)

マツキヨで、「全て飲んでなくなっちゃったしね」と正露丸購入。


パパが着いて「お腹痛いんだけど!」と言いながら、何年ぶり?何十年ぶり?な仙台駅前東口の変わりように迷子状態で車を止めていた義弟と姪っ子と落ち合って。

パパがレンタカーを止めに行ってる間に、義弟の車を仙台駅前の駐車場に止めるためにワタクシ乗車。(笑)

んとね、Kスタの駐車場が取れなかったんだよね。

で、ホントはお墓で落ち合うことにしてたんだけど、試合開始近くになると仙台駅前の駐車場がどこも満車になっちゃって止められなくなるかもだし・・・と、朝から止める為に仙台駅待ち合わせにしてね。


「高速乗る前にコンビニ寄って」と、下痢なワタクシ。(笑)

乗る東部道路は、降りるまでトイレが・・・・ない。


車の中で話に夢中になっていて気が紛れていたために、下痢も平気でお墓到着。


キレイになってました。

ちゃんと、墓石が建ってました。


灯籠は30年前に建てたお墓の為に、今では同じ石が入らなく、墓石屋さん曰くあってもなくてもいいモノということだったので、見つかったモノだけでの修理をお願いしたんだけど、左右の無くなってるモノが違うモンだから、これだったらかえって無くしちゃった方が良かったのかな~・・・なんて思いつつ・・・


隅の方に、流されたもの、倒されたものなど、持ち主が分からないものが置いてあって。

その中から、姪っ子とウチの灯籠の石を見つけようとしたけど、石がみんな同じ様なモノで分からないしね。


すでにお水も使えるようになっていて、お花を生けようとするが、何て言うのアレ?お水を入れる銀色の器が片方無くなっていてね。

墓石屋さんに新しいのを頼めばよかったんだけど、そこまで気が回らなくて・・・


それでもちゃんとお花も生けられて、お線香もあげられて・・・

ホント、ボランティアさんたちには感謝の言葉しかない。


震災後の4月に行った時には、自分ちの場所まで行くのも困難なほどぐちゃぐちゃだったこの場所。

ものすごく砂が盛られてしまい、カチカチになっている砂山の上を歩いて、ヨソのお宅の墓石に足をかけなくてはならない状態で自分ちの場所に辿りつくことしかできなかった。

そんな状態だったこの場所が、ボランティアさんたちが、砂を掻きだし、流されたきていた瓦礫や樹木を撤去してくれたおかげで、きちんと通路ができていた。



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ボランティアさんたちが書いてくれた応援ボードがお墓に設置してあった。

なんてお礼を言っていいのか言葉が見つからないけれど、本当に感謝の気持ちで一杯です。

ありがとうございました。



何もなかったように元通りに戻ったわけではない。

地盤沈下かな?

震災前には、真っ平らなはずだったここが、ウチの場所の方、海側が低くなっている。


そして山元町には、まだまだたくさんの1階が津波にやられてしまったままの家が、建物がそのままの状態で残されている。

常磐線の線路は、そこに電車が走っていたことすら分からないままの状態だ。

集められた瓦礫の山、そして、緑一面のキレイな景色だった田んぼは、雑草が生え、田んぼとして蘇らせることができるのかも分からない状態のままだ。


今も尚、ボランティアさんの姿が見られる現実。

「復興」と呼ぶにはまだまだなのかもしれないけれど、それでも前回来たときには見られなかったビニールハウスがあったり・・・少しずつではあるけれど、前へ向かっていることも確か。


これからも自分たちに出来ることを続けていきたい、いかなくちゃなと思っている。


震災から7ヶ月・・・

本来あるべき姿に戻せたお墓で、少しだけも両親は安らかに眠れてくれればいいな・・・と思いつつ。


この震災で、父の33回忌をやることが出来なかったけれど、お墓が直って、息子とそして孫と・・・一緒に来てくれて喜んでくれているといいな・・・と願うばかりだ。