映画「神の道化師、フランチェスコ」
1950年 イタリア 82分
<監督>
ロベルト・ロッセリーニ
<脚本>
ロベルト・ロッセリーニ
フェデリコ・フェリーニ
<キャスト>
フランチェスコ役を初めとし、その他の修道士役は実際のウンブリア地方(州都はペルージャ)フランシスコ会修道士。
(ちなみにフランチェスコの出身はペルージャのなかにある都市アッシジ)
<内容>
イタリア・ネオリアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニが、アッシジの聖人フランチェスコと彼を慕う修道士たちの姿を描いたドラマ。
神の教えに従い、幼子のように生きるフランチェスコ。
世間はそんな彼を嘲笑するが、教皇は彼を尊び教えを説くことを認める。
フランチェスコとお人よしのジョバンニ、単純素朴なジネプロなど、日々をともにする“小さき兄弟”たちが、苦悩を抱えながらも伸びやかに生きる姿を、ユーモアを交えながらリアルに映し出す。
(映画COM)
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2月17日横浜シネマリンにて鑑賞。
この作品を観る人はあまりいないと思いきや、当日は予想していた以上7割ほど観客が入っていました。
イタリア・ネオレアリズモの父と言われたロベルト・ロッセリーニ監督が、1210年から1218年までの聖人フランチェスコと付き従う修道士たちの事績を、導入部と9つの章による構成で、伸びやかかつ峻厳に描き出しています。
そのロッセリーニ監督の、淡々とした中に厳しくも表現された映像に心打たれることでしょう。
10のエピソード
<プロローグ>
フランチェスコは神の教えに従い幼子のごとく生きた。
世間はそんな彼を嘲笑した。しかし教皇は彼を尊び、教えを説くことを認めた。フランチェスコは仲間と共に故郷に帰るが、住んでいた小屋をロバに占拠され、やむなくサンタ・マリア・デッリ・アンジェリに移り、平和と愛を説くことになった
エピソード1:
皆で小屋を建て終えた時、ジネブロが裸で戻ってきたこと。
エピソード2:
お人よしジョバンニがフランチェスコに帰依し、言葉から動作まで真似するようになったこと。
エピソード3:
聖フランチェスコのもとに聖キアラが訪れ素晴らしいひとときを過ごしたこと。
エピソード4:
病気の兄弟に食べさせるためにジネブロが豚の足を切り取ったこと。
エピソード5;
夜、森で祈っていたフランチェスコがハンセン病の人に出会ったときのこと
エピソード6:
ジネブロが15日分の食べ物を料理する その熱意を汲んだフランチェスコが彼にも布教をゆるしたこと
エピソード7:
死刑にされかかったジネブロが、その謙虚さのおかげで暴君ニコライオンにゆるされたこと
エピソード8:
聖フランチェスコが兄弟レオーネと共に完全なる歓びを体験したこと。
エピソード9:
聖フランチェスコが仲間とともにサンタ・マリア・デッリ・アンジェリを去り人々に平和を説く旅に出たこと。
本物の修道士が修道士の役を演じる
このドキュメンタリーのように映し出される作品、修道士を演じる役者の演技が本当に自然体。
しかも彼らが本物の修道士だったというのもびっくりでした。
最初はキリスト教の教訓めいた堅い作品かと思いきや、けっこうユーモラスな場面では思わず微笑んでしまい、場内でも笑い声が出たほど。
この作品を知らなくても、アッシジの聖人フランチェスコを描いた映画「ブラザー・サンシスター・ムーン」を鑑賞した方は多いのではないでしょうか。
クリスチャンの方やキリスト教圏のかたであれば、当たり前に知っていることかもしれませんが、今回の作品では主人公となるフランチェスコがなぜこのような修道士になったかはほとんど説明されておりません。
アッシジの裕福な毛織物商の家に生まれその後、全財産を手放し神の道へ出家したフランチェスコが描かれている「ブラザー・サン シスター・ムーン」その作品を観てから、今作品を鑑賞したほうがより内容がわかりやすくなるかと思いました。
中世に生きた多くの聖人と同様に、フランチェスコにまつわる奇跡譚がいくつか語られるようになります。
有名なものとして、フランチェスコが肩にとまった小鳥に話し始めると、他の鳥たちも聞き入った話は有名ですね。
またハンセン病患者へ近づき抱擁し、その瞬間恐れが歓びに変わったエピソードなどもでてきます。
そのような心洗われるフランチェスコのエピソードはもちろんなのですが、物語を観ていてこの作品は彼の弟子のひとり、純粋でエネルギッシュなジネブロの物語ではないかと思わるほど、ジネプロのエピソードは強烈に印象に残りました。
たとえばエピソード1で出てきますが、彼がある時貧しいものに出会います。
彼は何も差し出すものがなかったので、自分の身に着けている布教用の衣を与えてしまいました。
フランチェスコからは、布教用の衣だけは与えては駄目だと諭されます。
しかし、また同じ事を繰り返したり、とにかく純真さゆえの不器用な布教活動がコミカルなのですが、どこかすがすがしく感じる心温まるエピソードになっていました。
またエピソード7では、ある場所で町を包囲していた暴君のもとに布教しようと訪れます。
しかし暴君の手下に捕らえられてしまいます。そこでジネプロが縄跳びの縄のように、手と足を掴まれ振り回され放り投げられるシーンは笑えました。まるで曲芸師のようでした。
恐るべしフランチェスコ会修道士!笑
しかし彼の存在がその暴君の心まで懐柔して、最後は町の包囲をといてしまうのです。
フランチェスコの成長期の話、宗教色が強い内容でありますが堅苦しくなく楽しく鑑賞でき、カタルシスを味わえた作品でした。
フランチェスコ会修道士の方々の素朴な演技に、心奪われることでしょう。
5点満点中3.9
(写真すべてお借りしました)
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(おまけ:ウィキペディア参照)
劇中の修道士たちは裸足で移動していました。
なぜ裸足だったのだろうと調べてみましたら、
その中でイエスは
「行って、そこかしこで「神の国は近づいた」と伝えなさい。あなた方がただで受けとったものは、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、もっていってはならない」
と弟子たちに命じており、それに従ってフランチェスコは直ちに履物を脱いで裸足となり、皮のベルトを捨てて縄を腰に巻いた。
納得ですが、裸足で怪我をしたりしなかったか心配です。
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エピソード3で、聖キアラが彼らの住まいに訪れ食事などをして素晴らしいひとときを過ごします。
修道士たちは、聖キアラを招くために花を摘み食事の場所を飾ります。修道士達の少しウキウキした様子が伺えたほのぼのとしたシーンでもありました。
その聖キアラとフランチェスコは、どのような関係だったのだろう?
アッシジの貴族の娘であるキアラ(クララ)は、フランチェスコの考えに共鳴して、1212年の枝の主日の夜にもう一人の女性を伴って家を出た。フランチェスコによる剃髪の後、近隣の女子修道院に身を寄せて清貧の生活を送りながら手仕事で生計を立て病人などへの奉仕活動に身を捧げた。現在クララ会と呼ばれているフランシスコ会第二会(女子修道会)の開始である。
これまた貴族の娘から神の道へ主家したとはフランチェスコと同じだったのでした。たしか映画ブラザー・サン・シスタームーンにも描かれていたかと思いますが、忘れておりました。
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道化師と言われた由縁
彼は街頭や広場に立ち、聖職者が用いるラテン語ではなく、日常語のイタリア語で聖書の教え、つまり悔い改めて神の道に生きよと説いた。フランチェスコは歌や音楽も利用して、巧みな説話で人々の心を捉えたとされている。そうした芸能的ともいえる活動から、フランチェスコは「神の道化師」と呼ばれている
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小さき兄弟
彼らは自らの集団を「小さき兄弟団(Ordo Fratrum Minorum)」と名乗るようになっていく。これは現在でもフランシスコ会の正式名称である。