映画「大人は判ってくれない」
1959年 99分 フランス
<監督>
フランソワ・トリュフォー
<キャスト>
ジャン=ピエール・レオ
<内容:ネタバレ注意>
12歳のアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)にとって、毎日は苦痛の連続であった。
学校では成績も悪く、いたずら好きで先生に叱責される。
家では厳しい母親と、稼ぎも少なくうだつの上がらない父親に囲まれた息の詰まる生活。寝袋にくるまって両親のケンカを聞かされる日々。
ある日、登校中に親友のルネと出会い、学校へ行くのを止める。
午後に母親が街中で見知らぬ男と抱き合っているのを見て視線が合う。母は帰宅せず、翌朝、前日の欠席の理由を教師に追及されて「母が死んだのです」と答えるが、欠席を知った両親が現れてウソがばれる。
そんな彼の楽しみは映画を観ることだけだ。
しかしある日、尊敬するバルザックの文章を丸写しして提出した作文がばれて叱られ、弁護したルネが停学になる。
アントワーヌも家を出て、金持ちのルネの家に隠れ住む。
やがて金に困り、ルネと一緒に父の会社のタイプライターを盗む。換金できず、戻しに行った時に守衛に捕まる。
父親が警察へ連行する。
非行少年として少年審判所へ送られ、護送車の中で初めて涙が出る。
母親が判事の鑑別所送りの勧めに応じたため、束縛された毎日を過ごす。
母親がようやく面会に来るが
「ここが似合いだよ」
と冷たい。
監視の隙に脱走。
野を越え、海へ、海へ。
初めて見る海は大きかった。
海辺に立ちつくし、ふとこちらを向いたまま動きを止める。
(ウィッキペディア)
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ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督、
フランソワ・トリュフォー作品!!
映画館ジャック&ベティにて「生誕90周年フランソワ・トリュフォーの冒険」とし、彼の作品を日替わりで一挙上映。
わぁ~どれも観たい作品ですが、仕事がありますからねぇ><ということで、今回は彼を有名にした長編デビュー作品を6月19日に鑑賞してきました。
この作品は、12歳の少年アントワーヌ・ドワネルを主人公に描いた自伝的要素の強い作品。
第12回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しております。
自伝的要素が強いとのことで監督自身の生い立ちを調べてみると、パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるなど、親との関係で問題の多い少年だった。そしてなんと15歳の頃にはシネマクラブを組織し始めていたよう。
というようなことが書かれておりました。
そのことを踏まえてこの作品を鑑賞すると、監督の子どもの頃を投影した自伝的作品だということがよくわかります。
学校での悪戯、また先生に対しての反抗や、家での両親に対する接し方など、一度は誰でも経験していそうな事柄。
でも相手の捉え方次第では、問題視されてしまう。
この時代のフランスの学校の先生もけっこう厳しいですね。今だったらコンプラに絶対引っかかって問題になるような事を、平気で生徒に言ったりしていました。
印象的だったシーン。
家庭では両親の喧嘩が絶えない日々の中で、ある時父親からの提案で家族そろって映画を見に行く。
車の中で、12歳の少年らしいとっても嬉しそうな表情をする主人公アントワーヌ。
両親が仲良く、そして自分の好きな映画を観られるなんて!子ども心に幸せを感じるひとときだったはず、その気持はすごくわかります。
しかしある事件をきっかけに、鑑別所に自分の子供を収監することを積極的にすすめる親にもビックリとさせられる。
映画の中で描かれている誰でも通りそうな親への反抗心は、共感できる人も多いかもしれない。
しかし、親が警察に許しを請うのではなく、その逆とは・・。
そして先ほどの嬉しそうな表情とは対称的なシーン。
鑑別所に送られる護送車の中にアントワーヌは入れられ、車が走る。
アントワーヌの顔が映し出される。
彼の目からは一筋の涙がこぼれる。
何とも切ないシーンでした。
やはり、表面では強がっていてもそこは12歳の少年。自分が行ったことへ反省の気持よりも、この時の心情としては、親から見放された何とも言えない寂しさ悲しみがあふれ出たのだろうと思う。
この作品の中で、一番強く印象に残ったシーンでした。
切なかったなぁ><
そしてネタバレになってしまいますが、大脱走ではないのですがアントワーヌは鑑別所から脱走します。ひたすら走り続け海岸にたどり着くアントワーヌ。
主人公が振り向き、顔がアップにされ終わります。
そのストップモーションは、この作品を観る者に、この少年の行く末、そして彼の心情を想像させることになるはず。
素晴らしいラストシーンでした。
モノクロの中に見せる映像美もそうなのですが、音楽も含めやはりフランスの香りがスクリーンを通して感じられる作品。
また物語自体はけっこう重い内容だとは思うのですが、それが映像と音楽から逆にポップで、ある種スタイリッシュで明るくも感じさせてしまうのです。
同じ題材を日本映画で製作したとしたら、もっとジメジメしたものになっていたのだろうと考えながら観ておりました。
そこがヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の旗手と言わしめた由縁なのでしょうかね。
オーデションで選ばれたたという、主人公演じるジャン=ピエール・レオの演技は良かったですね。子どもの部分は残しつつ、どこかクールなところが前面に出ていました。
フランソワ・トリュフォー監督はこの作品のヒットに続き、いわゆる「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズ(「アントワーヌ・ドワネルもの」とも)を次々と発表します。
大人は判ってくれない(1959年)、
アントワーヌとコレット・二十歳の恋(1962年)、
夜霧の恋人たち(1968年)、
家庭(1970年)、
逃げ去る恋(1979年)
アントワーヌの成長を観たいですね。
ただ単に映画が好だったトリュフォー監督。
スピルバーグ監督がこよなく愛した監督でもあります(たぶん自分の子供時代と同じような境遇を感じたのでしょうか)。
映画それは、学校でも家庭でも行き場のなかった監督自身の唯一の避難場所でもあったのです。
そして最後は、辛い現実社会から逃避するのではなく、現実を受け入れて前に進む覚悟をしたのではないだろうか。
監督自身の子供時代を投影した、素晴らしい作品を映画館で鑑賞できたことに感謝です。
フランソワ・トリュフォー作品のなかでも、ぜひ観ていただきたいおすすめ作品です。
5点満点中4.0
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(おまけ)
この映画の中で、教師に引率された生徒たちが徐々に列から抜けて逃げ出すシーンは、映画「アタラント号」
でも有名なジャン・ヴィゴ監督の『新学期・操行ゼロ』のパロディー。
また逃げた子犬を追いかける女性はジャンヌ・モローのようですが、まったく気が付きませんでした。
「よせ、子供は」と言って彼女の後を追っていく男性はジャン=クロード・ブリアリ。
遊園地のローターのシーンではトリュフォー監督の姿が見える(ヒッチコックを信奉していた)ようですが、これもまったく判らず。
アントワーヌが盗む映画館のポスターはイングマール・ベイルマン監督の『不良少女モニカ』です。