映画「エンドロールのつづき」 | ほくとの気ままなブログ

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映画「エンドロールのつづき」

原題:Last Film Show

 

 

 

2021年 インド 112分

<監督>

パン・ナリン

<キャスト>

サマイ:バビン・ラバリ、

母:リチャー・ミーナ、

ファザル:バベーシュ・シュマリ、

父:ディペン・ラバル、

 

<内容>

インドのチャイ売りの少年が映画監督の夢へ向かって走り出す姿を、同国出身のパン・ナリン監督自身の実話をもとに描いたヒューマンドラマ。

 

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インドの田舎町で暮らす9歳の少年サマイは、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。

厳格な父は映画を低劣なものと考えているが、信仰するカーリー女神の映画だけは特別だと言い、家族で映画を見に行くことに。

 

 

 

初めて経験する映画の世界にすっかり心を奪われたサマイは再び映画館に忍び込むが、チケット代を払えず追い出されてしまう。

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それを見た映写技師ファザルは、料理上手なサマイの母が作る弁当と引き換えに映写室から映画を見せると提案。

サマイは映写窓から見る様々な映画に圧倒され、自分も映画を作りたいと思うようになる。

 

主人公サマイ役には、約3000人の中から選ばれた新人バビン・ラバリを抜てき。

(映画COM)

 

**********************

 

発て、そして学べ!

 

1月28日横浜ブルク13にて初鑑賞。

けっこう会場は混んでいました。

細かい部分に多少の突っ込みどころはありますが、まぁそこは軽くスルーしましょうw

今作品は上映館が限られているのですが、もっと多くの映画館で上映して欲しいと願うところです。

 

 

この映画当初、「ニューシネマパラダイス」のインド版?かと思っておりましたが、いやいや「映画愛」については通じるところもありましたが、似て非なりです。

何が違うのか、何が「エンドロールのつづき」になっているのか?

詳しくはお話しできませんので、ぜひご覧くださいね。

 

 

とにかくラスト数分にかけて圧巻でした。

なるほどなるほど作品の邦題、そういうことだったのか。

ラストのラストでは、それまで私の乾いていた涙腺が一気に潤い、ダムが決壊したのでした。

 

いやぁ~原題はLast Film Showですが、未来を感じさせるこの邦題「エンドロールのつづき」は、なかなか良いのではないでしょうか!

 

 

 

そして主人公のお母さんが作るお料理が、美味しそうでしたよ。朝食を食べないで鑑賞していたので、余計美味しそうに見えたのでしょうかw

 

初めて映画を観た少年が、その虜になる。

授業を抜けて映画館へ通う日々。

そしてある事がきっかけでその映画館の映写技師と仲良くなり、母親が作る美味しいお弁当と引き換えに、映写室から映画をタダで見せてもらう。

彼の仕事を手伝いながら、さらに映画の世界に引き込まれていきます。

 

 

 

しかしある時に事件が起きました。

フィルムを映写機で上映するスタイルから、全てがコンピューター制御で上映されるスタイルに変わっていく時代の移り変わり。

 

 

フィルム映画の終焉。

それは時代の波であるから仕方がないところ。ただそのことで、主人公と仲良くなった映写技師ファザルが職を失う事になってしまいました。

少年サマイが彼に尋ねます、

「パソコンを使えばまた仕事ができるんじゃないの?」

彼が応えます。

「自分は英語が理解できない、パソコンを扱うには英語がわからないと扱えないんだ」

この台詞は、主人公が通う学校の先生からの伏線があって、そしてラストにも結び付いていきます。

 

主人公サマイの家はヒンドゥー教徒のバラモン(階級の最高位)。ただわけあってその最高位に位置するバラモンでも、父親は今は駅でチャイを売り細々と生計を立てています。

 

 

パン・ナリン監督自身が語っています。

 

 

カースト最上位のバラモンでありながら、生活に苦労を強いられていたというところ、映画を見せてもらえなかったところも実話と明かし、

「子供のエピソードはそのままです!」

と話しています。

映画のなかで描かれた幼少時代の様子は、まさに監督の子どもの頃そのものだったのです。

 

それと彼が仲良くなる映写技師はムスリム(イスラム)の設定です。ですから、宗教問題や社会問題もこの映画には入れ込んでいることがわかります。

 

 

父親がことあるごとに

「バラモンの末裔がそんな物を観るんじゃない」

といって映画を見下している。

ある時サマイの学校の先生が言いました

「今はバラモンとかそんな階級はない、あるのは英語が話せる人たち、そして英語が話せない人たちの二つの階級だけだ」

また彼に次のように話します。

自分の夢を実現したいのならば、この町から出ていきなさい。そして学ばなければいけない」

と伝えます。

 

主人公サマイと友人達、子供たちのエピソードなのですが、あることをきかけに 映画のフィルムを手に入れます。

しかし映写機はなし。

どうしてもフィルムに刻まれているドラマを見たい。

 

 

 

ガラスや捨てられたミシン、扇風機などを集めて失敗しながら自分達なりの映写機を作りました。

創意工夫して、自分たちで映画の上映をします。

映像だけは見ることができるけれど音が出ていない

じゃ~こうしよう!

まさしくサイレントからトーキーへの発見!

 

 

音をつけるのも、映像に合わせて自分たちで歌を歌ったり、色々なものを鳴らしたりして音をつけてます。

この場面を見て、映画の原点を見せられた気がします。

子供たちの創造性にも目を見張るものがありました

欲すればそこに創造工夫がついてくる。

 

願望が大きければ大きいほどなんとか工夫するものですが、大人になってくるとまた便利な時代、便利な場所地域社会では忘れてしまっていることなのかもしれません。

インド特有の社会、また彼のおかれている状況がそうさせたのではありますが・・・。

 

 

この映画には、色々なインド映画の作品、映画人へのオマージュが出てきます。

私はインド映画を一番最初に観たのが「踊るマハラジャ」、面白かったし、ものすごいカルチャーショックを受けたのを覚えています。ただその後、インド映画をそんなに数多く観てはいないので、スクリーンに映し出される数々のインド映画の作品や映画のポスターはほとんどわからず。

 

「ニューシネマパラダイス」の時は、ああ~このシーン知っている。この作品も知っていると楽しめたのですが、今回は残念。

もっと知っていたら、もっともっと楽しめたと思うとちょっと悔しかったりもしました。

 

それでも、映画人の名前で3大カーンの名前や、先日シンクロムービーのブログで紹介した、アミタール・バチャンさんの名前が出た時は、うんうんとうなずいていたのですw。

 

また本作には沢山の巨匠監督へのオマージュが散りばめられており、その中には日本人監督の3名の名前もでてきますよ。

小津安二郎、黒澤明そしてもう一人は自分としてはけっこう意外な監督でした。

誰かはこれまた映画をご覧くださいね!

 

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主人公サマイの未来は・・・。

 

 

映画愛に満ちたこの作品。

ラストに涙してください!

 

5点満点中3.9