チェコ映画史上最高傑作、
55年の時を越え日本初上映
綿密にして⼤胆、
崇⾼で獰猛なエネルギーに満ちた
「フィルム=オペラ」
映画
「マルケーター・ラザロヴァ」
1967年 チェコスロバキア 166分
<監督>
フランチシェック・プラーチル
<原作>
ブラジスラフ・バンチュラ
<キャスト>
マルケーター:マグダ・バーシャーリオバー、コズリーク:ヨゼフ・ケルム、
ミコラーシュ:フランチシェック・ベレツキー、
アダム:イバン・バルーフ
<オポジッシュテェ>
・マルケータ(ラザルの娘。修道女になることを約束されていたが、敵対する部族の息子ミコラーシュに拉致される、ひどい仕打ちをされるが次第にミコラーシュを愛し始める)
・ラザル(オポジッシュテェの領主。キリスト教徒。ミコラーシュに王に対抗するために同盟を組むことを求められるがこれを拒否し国王側につくき、娘を拉致されることになる)
<ロハーチェック>
・ミコラーシュ(コズリークの息子。将来一門のリーダになることを期待されている。マルケータを拉致し陵辱する)
・コズリーク(ロハーチェックの領主。異教徒。ミコラーシュ、アダム、アレクサンドラを含む8人の息子と9人の娘の父親 )
・アダム(コズリークの息子。兄ミコラーシュに対抗している。妹のアレクサンドラと寝たことがあり、その罰として左腕を切り落とされた)
・アレクサンドラ(コズリークの娘。捕虜クリスティアンと恋に落ち、彼の子供を身ごもるが、発狂した恋人クリスティアンを殺し、捕らえられる)
(国王側)
・クリスティアン(ザクセンの伯爵の息子で時期ヘナウの司教。ポレスラフに向かう途中ミコラーシュ達に襲撃され捕虜となる。戦いの恐怖の恐怖、父への忠誠とアレクサンドラへの愛の狭間で発狂する)
・伯爵(クリスティアンの父。ザクセンの伯爵で王の盟友)
・隊長ビヴォ(国王軍の指揮官で元ビール職人。クリスティアン奪回とロハーチェック討伐を国王に命じられる)
(その他)
・ベルナルド(物語のいたるところに登場する修道士)
<内容:詳しい内容は最後に貼っておきます>
舞台は13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。
ロハーチェックの領主コズリークは、勇猛な騎士であると同時に残虐な盗賊でもあった。
ある凍てつく冬の日、コズリークの息子ミコラーシュとアダムは遠征中の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンを捕虜として捕らえる。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。
一方オボジシュテェの領主ラザルは、時にコズリーク一門の獲物を横取りしながらも豊かに暮らしていた。彼にはマルケータという、将来修道女になることを約束されている娘がいた。
ミコラーシュは王に対抗すべく同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否し王に協力する。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは、
報復のため娘のマルケータを誘拐し、陵辱する。
部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始めるが・・。
(公式サイトHP)
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詳しい内容はネタバレ注意ですが、バレてしまっても問題はないでしょう。この作品を観るのであれば、逆に内容を予習して観たほうがより作品に没頭できるかと思います。
逆に知っておかないと、途中まで相関関係などに苦しむかもしれません。私は初回観た時は苦しみ睡魔に襲われながらも、第1部をなんとかクリアしました。
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チェコ映画史上最高傑作、
55年の時を越え日本初上映
そしてタルコフスキー監督「アンドレイ・ルブリョフ」黒澤明監督「七人の侍」などと並び評される作品との宣伝文句。
はたまたポスターから感じえる何とも言えない雰囲気。
「過去の出来事をなぞるのではなく、歴史の内側を直感的に捉えたい」
という監督の強い執念から、衣装や武器などの小道具を当時と同じ素材・方法で作成し、極寒の山奥で生活しながら548日間にもわたるロケーション撮影を行なったという作品とのこと。
これは是が非でも観に行かなくてはと楽しみにしていた作品でした。
8月27日横浜シネマリンにて初鑑賞。
初鑑賞で不覚にもウトウトしてしまったこともあったりしたために、翌週9月3日に2度目の鑑賞をしてきました。
いやぁ、色々な意味で凄い映画でした。
映画館で鑑賞できたことに感謝です。
この手の作品を映画館でおかわりすることはまずないのですが、不完全燃焼でいてもたってもいられなく、翌週に観たのでした。
映画館で2度観た作品は、今年の映画の中では「ウエスト・サイドストーリー」以来のおかわり鑑賞でした。
冒頭で、
凍えるほど寒い日には、
炎の周りに座り昔話で和みたいもの、
昔話では人々の過去の愚行も語られる、
そんな物語に耳を傾ける価値があるか?
そもそも偶然に生じた物語だ
「この作品は後世に残すほどの物語ではなし」
とのナレーションが流れます。
これは何を意味するのだろうと、ますますこの世界に取り込まれていきます。
そして美しく過酷な自然の映像と、讃美歌のような宗教っぽい音楽が全編を通じて流れるのです。
作品を観ていて、まず最初にこの雰囲気で感じ思い浮かんだのが、イングマール・ベイルマン監督、アンドレイ・タルコフスキー監督の作品。どちらも個性的で好きな監督さんです。
そして一昨年のほくとの映画グランプリ作品映画「異端の鳥」
が思い浮かんだのでした。
共通項を感じるとすると、
ベイルマンでは形而上学的また独特の中世の雰囲気、
異端の鳥では人間の根源に眠る残酷な闇、
そしてタルコフスキーでは映像美と眠くなる雰囲気などでしたw
この作品についてのレヴューを書ける技量はないと自覚しつつも、とにかく感じたままの事を書き記しておきます。
まずは初回観た時では人物の相関関係などがわかりにくいストーリー展開のなかで、冒頭からまた劇中にも流れる、讃美歌のような宗教的な音楽と歌、また個々の会話がエコーがかかったかのようなボワーとした感じ(どうもこの監督作品の特徴なのか?)、そこへモノクロの映像美が心地よく、少し経過したところから不覚にもウトウトしてしまった次第。
万全の態勢で望んでも、映画館でウトウトしてしまったのは過去にタルコフスキー監督作品「ストーカー」と全く同じ。
ある種心地よく眠気を誘うのです。
この作品を映画館で初回鑑賞、眠くならないで相関関係をしっかり把握でき、最後まで観ることができた人がどのくらいいるのか興味深いところです。
そして2回目の鑑賞時はしっかりおさらいをして、ある程度登場人物も把握しての鑑賞で少しうとうとはしましたがwしっかりある程度細かくも鑑賞できました。
意外だったのは、2回目のほうがさらにこの作品の凄さを堪能できたたことです。
宗教と権力に明け暮れる男性社会に翻弄され、修道院へ行く予定だった無垢のマルケータが、相手部族のミコラーシュにに拉致されそして陵辱される。
しかし、そこで愛が生まれるのも人間の嵯峨なのか?もしくは中世の戦乱のなかを生き抜く従属的な生き方なのか、その女性の姿をマルケータともう一人アレクサンドラに投影しているようにもみえる。
美しいモノクロの映像美
映像で見せる中世ボヘミア王国の様子、これらがリアリティでもありはたまた幻想的でもあります。
縦横無尽のカメラワーク、それぞれのカットを絵画にしても、美しいこと間違いなし。
やはり光と影がより感じられる、モノクロの映像美ですね。ヨーロッパの作品にはそのように感じる作品が多い気がします。
中世の光と影、その影の部分を描き出しながらも、どこか澄み切った空気感も同時に感じさせるのです。
それは、監督の独特のこだわりのショットが散りばめられているせいなのかもしれません。
数か月間、極寒の山の中で寝泊まりして撮影したとのこと。ですから観客も時間の経過とともにスクリーンに映し出される、中世のこの世界へと引き込まれていくはず。そしてなかには、引き込まれ過ぎて寝落ちする観客もいるかもしれませんねw
意外と単純なストーリー構成
物語の構成が最初はわかりにくかったのですが、実は後から考えてみるとわりと単純です。
2つの(キリスト教徒のラザルと異教徒のゴズリーク)地方豪族の争い。そこに王国軍が絡んでくる出来事。
ただ豪族といってもここにでてくる人達は、野党のような存在。そして美しく着飾った豪族とはまったくことなり、本当に薄汚く粗野な人物の集まりなのです。
修道院を否定する言葉
劇中でこれはと思ったシーン。
それぞれの親を比較できたであろう場面でもあります。
マルケータが自分を拉致したミコラーシュのもとを離れ、父親の元に帰ってくる。
しかし父親は「汚れた女性」として拒絶する。
そして彼女は修道院へ救いを求めて向かいます。
彼女のためにと祈る修道女たち、しかし途中からマルケータが
「そんな心からの声でない偽りの言葉には、従うことができません」
というようなセリフを吐き、修道院を後にするくシーンは印象的でした。
ある種キリスト教賛辞の作品かとも思っておりましたので・・。
彼女の行動はある意味で人間の本質をついている場面かとも思いつつ、爽やかさすら感じました。
2つの対峙
かたや異教徒のコズリーク。その息子ミコラーシュは、父親のゴズリークに翻弄されながらも、最後は国王に捕られられた父親を取り戻そうとして命を失ってしまいます。
その時、瀕死の息子ミコラーシュに父親は
「最良の息子だ」
と声をかけます。
ここに二人の父親の違いが出ていました。この二人の親の対峙も何か意味するところはあるのでしょうか。
もう一つの対峙は2つのロマンス。
ただしこの映画は単なる男女の愛情物語ではないとは思います。
ひとつは、マルケータとミコラーシュ。
最初はミコラーシュに強姦されるが、そのあと愛情が注がれることでマルケータも愛に目覚める。
かたやアレクサンドラとクリスティアンの愛情。
こちらは女性アレクサンドラが強引にクリスティアンを求めた感じもあるのですが、最後には何を思ったのか彼を石で殴り殺してしまうのです。
この二組の男女の比較も不思議なところではあります。
さてこの物語にもう一人特徴的な人物として、羊を連れ歩きながら物乞いをする修道士が登場します。
途中でその羊も捉えられて、食われてしまうのですが・・。
その酒好きな修道士も知らないで、その羊を宴席で食べてしまっているのです。
道中、彼が独り言をつぶやいている神との対話?シーンの中には、連れている羊との獣姦を思わせるような天からの言葉が出てきます。
最後のシーンではこの修道士はヤギ(ウィキペディアのなかでは羊と書かれていますが、ヤギだと思います)をつてれ歩いています。
そして偶然見つけたマルケータを新たな同行者として誘うのですが、ヤギが逃げて追いかける。そうしているうちにマルケータと離れ離れになってしまいます。
この修道士の役割も、何か意味するはずだとは思いますが・・・。
余韻を残すラスト
最後は、修道士と離れて歩き続けるマルケータが映し出され、ナレーションが流れます。
マルケータそしてアレクサンドラが身ごもって出産する。
アレクサンドラの子供も、マルケータが乳をやり立派な成人へと育っていく、
しかし・・・・・・というナレーションで終わります。
とにかく冒頭にも書きましたが、少々物語の進行がわかりにくいのです。モンタージュのようなシーンや突然場面が変わったりもします。
前述したマルケーターが修道院を見限ったかのように出ていくと、場面はミコラーシュが国王軍に囚われた父親奪還のために、牢獄を襲撃し瀕死の状態の場面に切り替わります。
そこへ彼女が血まみれになっている彼の手を握り、まわりには彼の父親や国王軍の隊長がとりまき、二人に結婚の誓いの言葉を言わせるような場面になるのです。
まぁ、あまり細かい事は気にしないで鑑賞したほうが良いとは思いますが・・。
中世を舞台とした物語、宗教上の事や豪族同士の対立、はたまた国王軍に置き換えて、1960年代のチェコの国内情勢を示唆するような内容だったのかもしれません。
というのは、公開してから国内でも20年間封印されてしまう。1989年のビロード革命による、共産主義体制崩壊後は封印が解除されたということなので、やはり政治的なことが関係しているのかもしれませんね。
しかしなんで日本で上映までに55年という歳月がかかったのでしょうかね?
この物語は13世紀のボヘミアとのことですが、架空の物語。
壮大な叙事詩であり、
一度観ればそうとうなインパクトを残す作品であることは間違いないでしょう。
素晴らしい作品に巡り合うことができました。
5点満点中4.2
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(詳しい内容:ネタバレ注意)
もう少し詳しくお伝えすると
第一部
13世紀半ばのボヘミア王国。ロハーチェックの領主コズリークの息子ミコラーシュとアダムは、ムラダー・ボレスラフに向かうザクセン公国の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンと従者を拉致する。ミコラーシュが襲撃場所に戻ると、オボジシュテェの領主ラザルが積み荷を漁っている姿を目撃し、激怒して彼を殺そうとするが、キリスト教徒だったラザルが神に祈りを捧げたため、ミコラーシュは彼を殺さず立ち去っていく。領地に戻ったミコラーシュに対し、コズリークはラザルを殺さなかったことを責め、アダムが「伯爵を捕えておけば、王への交渉材料になったはずだ」と口にしたことで、さらに怒りを募らせる。一方、アダムは妹アレクサンドラがクリスティアンに心を寄せていることを知り苛立っていた。2人は一度だけ不義を交わしたことがあるが、アレクサンドラはそれ以降アダムとの関係を拒否していた。また、アダムは妹との不義を母カテリーナによってコズリークに密告され、妹を犯した罪で片腕を切り落とされていた。
コズリークはムラダー・ボレスラフに赴くが、そこで王の連隊のピヴォ隊長から捕縛されそうになり、オオカミの群れに追われながら領地に逃げ帰ってくる。彼は王の連隊の攻撃を警戒して森の砦に立てこもる。ミコラーシュはラザルの領地に赴き同盟を持ちかけるが、ラザルは国王側に与することを選び申し出を拒否する。ミコラーシュはラザルの息子や家来に袋叩きにされ、砦に戻っていく。その夜、ピヴォ隊長がラザルの領地に到着するが、コズリークの息子たちは誘い出したピヴォ隊長の補佐官を殺して森に逃げ込む。
側近を殺されたピヴォ隊長はコズリーク一族への復讐を誓う。ピヴォ隊長が出発した後、ラザルは娘マルケータを連れて修道院を訪れるが、娘を修道院に入れるための資金が不足していたため、修道院長に挨拶を交わして砦に帰っていく。しかし、砦は報復のため襲来したミコラーシュによって制圧されており、息子も殺されていた。ラザルは命乞いするが、ミコラーシュは見返りとしてマルケータを要求する。要求を拒んだラザルは城門に磔にされ、マルケータはミコラーシュに連れ去られ、彼に犯されてしまう。マルケータを犯したことを知ったコズリークは激怒し、クリスティアンの子供を身籠ったアレクサンドラ共々、罰として砦の側の丘に鎖で繋いでしまう。
第二部
放浪僧ベルナルドは羊を連れて旅をしていたが、施しを求めてコズリークの砦に入ったところを襲われ、羊を奪われて追い出される。彼は羊を捜すが、王の兵士を襲っていたアダムに騙されて別の場所に誘導されてしまう。そこに通りかかったピヴォ隊長はアダムを捕虜にし、コズリークの砦に向かって進軍する。ベルナルドは周囲を彷徨った後にコズリークの砦に戻って一夜を明かす。早朝、王の連隊が砦に集結し、コズリークはミコラーシュたちを解放して砦に戻し、クリスティアンを人質にして事態を乗り切ろうとするが失敗し、王の連隊と戦闘状態に入り、その中でアダムが殺される。
戦闘の中、クリスティアンは兵士たちに追われるアレクサンドラを見て助けようとするが、王の連隊に同行していた伯爵や従者に「下賤な異教徒と関わるな」と諭され、父への忠誠と彼女への愛情との間で板挟みになる。彼は混乱の中で廃墟となったラザルの砦に辿り着き、そこでベルナルドと出会う。クリスティアンは休息の後、オオカミの群れの中を歩きながら森へと戻っていく。一方、砦から脱出したミコラーシュ、マルケータ、アレクサンドラは、捕虜となったコズリークがムラダー・ボレスラフに連行される姿を目撃する。3人は森の中に身を隠すが、そこでアレクサンドラは徘徊するクリスティアンと再会する。父とアレクサンドラとの間で板挟みになったクリスティアンは発狂しており、アレクサンドラは彼を殺してしまう。その後、アレクサンドラは伯爵に捕らえられ、クリスティアンを殺した罪で連行される。
マルケータはミコラーシュを愛するようになっていたが、彼に諭されて父ラザルの元に戻るが、ラザルは未婚の身でありながら男に身体を許したマルケータを拒絶する。父の元を去ったマルケータは修道院に向かい、修道女になるための誓いを立てようとするが、ミコラーシュを愛することを知った彼女は修道院長たちの言葉に疑念を抱き、誓いを拒む。
同じころ、母カテリーナたちと合流したミコラーシュは父を救出するためムラダー・ボレスラフの牢獄に向かい、兵士たちと戦闘になる。子供に腕を採られながら修道院を後にしたマルケータはムラダー・ボレスラフに向かい、そこで瀕死の重傷を負ったミコラーシュと再会する。ピヴォ隊長はマルケータにミコラーシュへの愛を確認し、2人を夫婦として認めた後、ミコラーシュの死体とコズリークを連れて立ち去っていく。荒れ地でマルケータを見かけたベルナルドは、彼女を旅の同行者として誘うが、新たな相棒になった羊を追いかける間にマルケータは立ち去ってしまう。後にマルケータとアレクサンドラは息子を出産し、マルケータが2人の男児を育てたことが語られ、物語は幕を閉じる。
(ウィッキペディアより参照)