アーミル・カーン初監督作品
映画「地上の星たち」
2007年 インド 162分
<監督>
アーミル・カーン
<キャスト>
アーミル・カーン
ダルシール・サファリ
タナイ・チェイダー
<内容>
学校でも家庭でも問題児となっていた8歳のイシャーン(ダルシール・サファリー)。
勉強が苦手な彼は代わりに空想が好きだった。
近所の年上の男の子を取っ組み合いの喧嘩をしたイシャーンは、父親に次に問題を起こしたら寄宿学校に入れると言われてしまう。 すこぶる悪い点数のテストを両親に見せられずサインをもらえなかった彼は、授業をサボってしまう。欠席届を出さないといけなかったため、兄のヨハンに書いてもらう。しかしある日、その欠席届が父に見つかってしまう。
約束を守れなかったイシャーンに対して激怒した父は、友人のコネを使いすぐにイシャーンを寄宿学校に転校させる。 学校にはいままでよりさらに厳しい先生たちがいたうえ、家族に会えない寂しさが募り、イシャーンにとって非常に辛い環境だった。
とうとう完全にふさぎこんでしまうイシャーンだったが、ちょうどその時、臨時で新しい美術の先生ニクンブ(アーミル・カーン)が赴任してくる。 ニクンブはイシャーンの様子を見て、彼は失読症であることを見抜くが…。(MinitaEiga.com)
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ネタバレ注意で進めてまいります。
ストーリーとしてはシンプル。
学校の成績が悪く、問題児の少年と教師の出会い、そしてそこから立ち直る結末。
先日記事アップしている、インド映画「ラガーン」をご紹介いただいた、すずめちゃんからのこれまたお奨め作品です。
まいりました、子供が主役だと泣ける映画が多いのですが、この作品途中まではさほど涙腺は刺激されませんでしたが、ラスト近くでいきなり感動の波によって満タンになっていたダムが決壊してしまいましたw
弱者へ、そして教育へ、社会へ、問題提起している、素晴らしい作品。
一人の少年イシャーンの、日常生活から物語が始まります。
ちょっと他の子供たちと違っている。
下校の時に魚を取ったりしていて、ついつい夢中になって、スクールバスを待たせることは毎度のこと。
自分の夢中になることに遭遇してしまうと、他の事を忘れてしまいます。
まぁ一般的に言えば協調性のない子。
そしてテストの点数も悪いものだから、いつも先生怒られたり、学校から帰ってくる途中に捨ててしまったり・・。
ですから、学校は、成績が悪く落ち着きがなく協調性もない問題児あつかい。
そしてそのようなことが学校から報告されるので、特に父親からはいつも怒られています。
家ではお兄ちゃんが、イシャーンとは真逆。
両親のいうことは聞くし、文武両道で勉強の成績もよく運動もできる、期待の星。
だからどうしても比較されてしまいます。
そんな家庭の中でも、兄とは仲が良いイシャーン。
ある時、絵具で絵をかいているときに兄から、
「すごいな、こんなもの描くことができるなんて天才だな」
と誉められる。
このほんのちょっとのシーン、勘のいい方でしたら展開が読めると思いますw
たぶん彼の絵を描く才能が開花して、逆転の展開があることを・・。
でもわかっていてもそれでいいのです。
さてこのままではまた留年もしてしまうだろうし、彼の将来のためには良くない事だから、父親のツテをたどって寄宿学校へ転向させることを決めます。
でもイシャーンは、家族と離れることが嫌だといって、泣きながら寄宿学校へ行くことを拒みます。
勉強もしっかりするし、言うことも聞くからと泣きながら父親に懇願する姿は、みていても切なくなりました。
しかし願いかなわず寄宿学校へ。
寄宿舎学校の先生たちの彼に対する指導は、さらに厳しくなっていきます。
強制的に色々させたり、できなければ罰を与えたり、時にはイシャーンを罵倒したり。
日増しに彼は元気がなくなり、どんどん心を閉ざしていきます。
ただそんななかでも、少しばかり気の許せる仲間はいました。
ある時授業で、教科書に載っている詩の意味を話しなさいと指名される。
イシャーンは彼の空想の世界で感じたままの事象を話しますが、先生から猛烈に却下されます。
他の生徒からも笑われます。
そして、彼の次に当てられた他の生徒が無難に答えます。
その時、隣の席の足が不自由な彼が
「君の感じた答えのほうが正解だと思うよ。他の生徒は、いつも先生が話しているお気に入りの回答しか言わないからね」
と唯一彼に対して理解を示してくれました。
ここまではイシャーンが相変わらず勉強もできなく、どんど社会生活から学校から友達から理解されず、落ち込んでいく姿が展開されていきます。
授業中の黒板の文字や教科書の文字などが浮かびあがり、文字や数字がイシャーンへ戦いを挑んでくる、彼の苦悩する様子をアニメーションで表現しているのはなかなか良かったですね。
ただここまでの展開が、少しばかり長く感じる方もいるかもしれません。
少々暗く、モヤモヤとした感じが続いていていくのは確かです。
しかし見方を変えると、逆に丁寧に心の変化などを時間をかけて描いるともいえますので、気にしないで鑑賞しましょう。
主人公イシャーンがどうにもこうにも学校生活や授業に追いついていけない、そこを責める教師や父親達によってどんどん追い詰められていく、イシャーン演じる子役ダルシール・サファリーの演技もなかなかみどころだったりもします。
そして中盤にかかろうとしているのに、アーミル・カーンが出てこないじゃないですか?と、これまたモヤモヤするのです。
しか~~し、
しか~~し、
さぁさぁさぁ~~
真打登場です!!!
ある時に美術の臨時教師が登場します。
ここでアーミルカーンがやっと登場です。
初授業の時の登場は、普通になんか登場しません。
何やら教室の外から音楽が聞こえてきます。
そしてお待たせしましたお待たせしすぎたかもしれませんというかの如く、ピエロかマジッシャンのような衣装で歌いながら踊りながらの登場。
わぁ~~生徒たちは、興味津々。
子供達の目はその謎の人物に釘付けです。
さぁ~次はなにがでてくるの?
どうなるの?
生徒たちの身体も音楽にあわせて自然と踊りだします。
しかしその楽しいはずの雰囲気の中で、唯一イシャーンだけは下を向き音楽にも全く反応しません。
自分のまわりで何が起きても大きな壁ができ遮断されてしまっていました。
アーミル・カーン演じるニクンブ先生は、その彼の様子を見逃しませんでした。
他の先生方はイシャーンが勉強できない事は、努力が足りないやる気がないだけだと決めつけ、彼と向かい合おうとはしない一方通行でした。
でもニクンブ先生は違いました。
彼が授業についてこれない、理解できない原因を過去の答案用紙などを見返したり、自宅まで訪問して探っていきます。
そうするとある傾向が見えてきました。
そしてある時の授業で、アインシュタインなど偉人たちの話をします。
彼らは子供の時にけっして優秀な生徒ではなかった事、文字をきちんと判別できなかったことなどを話し始めます。
そうするとうつむいてばかりだったイシャーンの顔があがり、先生の話を聞き始めました。
イシャーンはそれらの偉人たちと同じで、識別しにくい文字があったりして文章を読むことが上手くできなかったのです。
だから理解できなかったり間違えたり・・。
ニクンブ先生は校長先生に、イシャーンをマンツーマンで教えることを許してもらいます。
そこから本当に愛情のこもった授業が繰り返されていきます。
またニクンブ先生は彼のとんでもない才能にも気が付いていました。
ある時ニクンブ先生の発案で、学校の先生方も巻き込んだお絵かき大会が行われることとなりました。
その時の優勝者の絵は、卒業アルバムの表紙になるサプライズも・・・・・。
話は前後しますが、出張のついでにイシャーンの様子を見に来た父親がニクンブ先生の元を訪れました。
「突然の訪問どうされたのでしょうか?」
の問いに、
「ほったらかしにしていて、親として思いやりがないと思われると嫌ですから」
と先生に伝えます。
その言葉を聞いたニクンブ先生が父親に話します。
「思いやりは痛みを癒してくれます。怖いときにはおいでと言い抱きしめてあげる、失敗しても大丈夫だとそばにいて安心させる。それが親の子に対する思いやりじゃないですか。」
と、思いやりとは態度で示すことの大切さを伝えたのでした。
またイシャーンにはとっても素晴らしい絵の才能があることも伝えました。
自分が今までイシャーンに行ってきたこと、そして自分の子供の才能や感性に全く気が付いていなかったことを反省し、部屋を出る父親。
その先で見た光景は、今度の絵の大会の告知が書かれた看板の文字をしっかり読んでいる、読めている成長したイシャーンの姿でした。
父親は彼に声をかけずその場を立ち去っていきました。
ここの一連のシークエンスは、ずっしりくるものがありましたね。。
思いやりの下り然り、またそれぞれの子供には才能と可能性があることを教えてくれます。
それを手助けして夢を実現してあげるのも、逆に潰してしまうのも、親であり教師であり大人たちであることを痛感させられます。
最近あったニュースを思い出いだしたりもしました。良い成績をあげて名の通った学校へ行くことは悪い事ではありません、しかしその過程でそれぞれの能力や個性や才能そして人間力を潰してしまわないようにしないといけない。
学校の名前や成績よりも大切なことがあることを気づかせてあげないといけない。
他の生きとし生けるものに対し、尊敬の念をもち接することができるような人間力を磨くことが大切ではないでしょうか。
マイノリティの人々に目を向け、社会的地位の向上、競争社会に一石を投じ子供たちの明るい未来を希求する物語でもあったかと思います。
そして劇中で主人公の少年がひとりで町に出かける。
親は心配する。
その心配の内容が、誘拐されたらどうするんだ?ここはインドの問題点を浮き彫りにしています。
おとなりの中国も同様のようですが、子供の誘拐事件が多いのです。
誘拐して労働させるだけでしたらまだいいのですが(決して肯定はしておりません)、足や手を切断し物乞いをさせる集団もいるようですだだからとてつもなく、まだまだ恐ろしい社会なのです。
色々あるインド映画のなかでも時々そのようなことが出てきます。
涙腺が決壊してしまったシーン。
だいぶストーリーから脱線してしまいましたが話を戻すと、絵のコンクールがクライマックスになります。
優勝者を決めないといけないのですが、2枚の絵が選ばれました。
1枚は当然美術のニクンブ先生の絵。
そこにはイシャーンの姿が描かれていました。
そしてもう一枚がイシャーンが描いた絵です。
最後はイシャーンが描いた絵が大勢の中から1番に選ばれて、拍手喝さい大勢が見守る中、表彰のために壇上へ彼が向かいます。
そして賞状を渡されます。
次の瞬間・・・・・・・・・・
そのシーンにもう涙が止まりませんでした。
その場面はぜひ映画をご覧くださいね。
さて地上の星というタイトルですが、それは世界中の子供たちのことだということです。
このタイトルの意味だけでも素晴らしいですね。
エンドロールには、実際に生活する子供たちの姿が映し出されます。
ありのままの姿、笑顔で微笑み者、泣き顔をずっと取られているこどもや、怒った顔、そして家の手伝いをしながら、お店の手伝いをしながら、なかにはその働く子供の足は素足だったり。
貧困のなかでたくましく働く子供たち、しかしどの子供の目も輝いていました。
お決まりの集団ダンスはこの映画にはありませんでしたが、いやぁ~すずめちゃん、まいりました。
これだったら、集団ダンスなくても文句はいいませんw
やはり今回もインド映画特有の上映時間が長い内容でしたが、展開が良いのかその長さは気にになりませんでした。
感動の素晴らしい作品だったと思います。
アーミール・カーン初めての監督作品としては素晴らしい出来だったのではないでしょうか。
(画像全てお借りしました)
5点満点中4.0
(おまけ)
そうそう劇中でニクンブ先生がイシャーンの父親に話した、たとえ話が気になりました。
「ミクロネシア諸島の人が耕作地を作る時、木を倒すときには木を切らずその木を囲み大声で罵倒する」
そうするとその木は数日後、枯れて倒れてしまうというたとえ話。植物にいい音楽を聞かせて育てたり、優しい言葉をかけると元気よく育つということを聞いたことありますので、あながち関係ない事でもあると思いますが・・。
劇中では、文字がゆがんでみえたり鏡文字のように見えたり、またにじんで見えたりするような失読症の独特の文字の見え方を、アニメーションを使ってうまく表現していました。
ネットで調べましたが失読症でなやんでいる有名人には次のような方々がいました。
みなさん成功しているすごい才能の持ち主ばかりです。
トム・クルーズ、
オーランド・ブルーム、
キアヌ・リーブス、
ジョン・レノン、
スピルバーグ監督、
スティーブ・ジョブス、
アインシュタイン、
ピカソ