カンヌを酔わせ、フィレンツェを魅了し、
伝説となってしまった作品
映画「宮城野」
ディレクターズカット版
2008年 35㎜フィルム 113分
製作・配給:「宮城野」抱え主一同
<監督>
山崎達璽
<原作>
矢代靜一
(北齋漫畫などの戯曲も書いています。ちなみに今作品の主人公演じる毬谷友子さんの実父)
<キャスト>
宮城野:毬谷友子、
矢太郎:片岡愛之助、
東洲斎写楽とおぼしき男:國村淳、
女将:樹木希林、
おかよ:佐津川愛美
<内容>
浮世絵に隠された、美しくも儚い、残酷な愛の物語
時は江戸――
薄汚れた女郎の処刑が行われようとしている。
女の名は宮城野。罪名は東洲斎写楽殺し。
その罪を決定づけたのは、宮城野が持っていた一枚の絵。写楽が描いたというその絵の名も、何の因果か、宮城野だった。
処刑されるそのときまで、宮城野が愛していたのは、矢太郎という名の若い男――
写楽のもとでの修行とは名ばかりの境遇に、鬱々とした日々を送る矢太郎。
写楽の“ニセ絵”を描かされることに。そして、その実力が、今や“師匠”を凌駕しているのに、富と名声を写楽に独り占めされていることに。そんな矢太郎が女郎屋に来るたびに、慰めていた宮城野。
すべては、愛する矢太郎のために。年増女郎とニセ絵師の、儚い恋が終わるとき、宮城野は、矢太郎への愛に身を捧げる決心をする。
命を懸けた愛によって、ふたりの間に残されたのは……ただ一枚の傑作役者絵「宮城野」。
わずか、十カ月の間に百数十点もの絵を残して、忽然と姿を消した、浮世絵師・東洲斎写楽。実在の人物でありながら、その謎は今なお、闇に包まれている。
(Cinefilより抜粋)
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写楽が残した1枚の美人画「宮城野」、
宮城野とはなんだったのか?
この愛は本物なのか、偽物なのか。
写楽殺しの罪で処刑されようとする女郎の、命を賭けた「情」と「業」を描くドラマ。
ギャオにて初鑑賞。
わずか十か月の間に百数点の絵を残し、忽然と消えた謎の人物。
実在の浮世絵師・東洲斎写楽。
その謎は今なお闇に包まれております。
またこの映画の題名と同じく、写楽の大首絵の一枚に女形・中山富三郎扮するところの「宮城野」という役者絵が実存しています。
戯曲仕立てのこの作品、これまた幽玄の世界、いやいや日本の古典が融合した現代アートのような感覚をかもしだす映像。
とにもかくにも芸術性の高い素晴らしい作品に巡り合えました。
映像は日本人はもとより、外国受けするような気もしました。
全体を共通して流れる音楽に、宮城野の哀しくも美しい映像の世界が重なり、不思議な感覚と共に魅了されていきます。
この映画、舞台劇を見ているような感覚でしたが然もあらん、原作は劇作家・矢代靜一の同題の二人芝居。
年増女郎・宮城野と写楽の弟子・矢太郎の心の虚無が交錯する対話劇。
なるほどなるほど納得、心得て候。
そこへ「写楽の謎」をミックスしたミステリータッチの様相を見せています。
登場する5人の俳優陣の演技がこれまたお見事でした。
特にヒロイン宮城野演じる毬谷友子さんですが、彼女の事はあまり存じ上げておりませんでした。
元タカラジェンヌだったのですね。
そして原作者・矢代靜一氏の実の娘。
宮城野演じる彼女の姿はとてつもなく魅力的。
その一人芝居のシーンは胸に迫ってきます。
圧倒的な熱量、どんどん彼女のまた宮城野の世界観に引きずり込まれてしまいました。
その怪演はまことに素晴らしかったです。
この作品の印象、宮城野に対する気持は観る者によって変わるのでしょうか?
観た方はわかると思いますが、歌舞伎、浄瑠璃、講談、のような伝統文化をうまく融合したような舞台に、時折黒子が登場して物語の進行をサポートします。
古典の世界観ではあるのですが、どこか前衛芸術の要素も感じられる。
なんだろう、寺山修司作品のもう少し古典色が強い感じ?違うかな??
劇中で、5人の演者が歌舞伎の様相で登場するシーン。
希林さんまでも白塗りで・・・。
見得を切るところは流石愛之助三さん、他の面々はかないませんが、なかなかでした。
映像の見せ方も色々な工夫がされています。
舞台の書割りがけっこう登場したり、ジオラマ風のセットがうまく画面にミックスされたり、紙絵の人物を黒子が移動させたりしながらの進行は、随所に遊び心も加わっています。
このようなところが、逆にの物語に味を出していました。
さてさて個人の感想が先行してしまいましたが、物語の事がよくわかりませんよね。
少し内容にも触れておきましょう。
年増女郎の宮城野には、絵を模写する写楽の弟子・矢太郎というなじみ客がいた。
矢太郎は来る日も来る日も、写楽の役者絵を模写する日々のなかで、自分の才能に苦悩して疲れる日々を過ごしていた。
そこに写楽の孫娘・おかよとは、お互いが好いたなか。
そんななか、写楽から仕事に対しての辛辣な苦言を呈されるだけではなく、おかよに対してのことも言われてしまう。
ある時、矢太郎が宮城野の置き屋に現れる。
いつもと違う、矢太郎に気がつく宮城野。
写楽を殺害してしまったことに気が付く。
ここから毬谷友子さんの一人芝居。
宮城野は自分の身の上話を話し始める。
自分が売られてしまったこと。
貧しい家に生まれた故に、父親が宮城野に頼み教え込む。
「このまま食いぶちが多い家族だと全員が路頭に迷ってしまう。しかし、お前が犠牲になってくれればお前ひとりだけが苦しみ、皆が助かる」
というような、一方的な父親の教えを子供のころから教え込まれ、
犠牲の精神を植えこまれてきてしまった宮城野だったのです。
それから、恵まれない人生においても雑草のように強く生きてきた。
そんな宮城野と矢太郎の、むさぼりあう情念の世界のやりとりもなかなかの見どころ。
矢太郎は、宮城野に立ち直るために、お前の姿を書きたい。
脱いでくれと頼みこみます。
それはその絵を描くことでまともに立ち直ることができるかとの願いでもありました・・。
そしてその画は・・・。
しかし矢太郎は、宮城野を捨て、写楽の孫娘のもとに走っていくのでした。
残された宮城野は、・・・・・。
場面は宮城野と矢太郎の出会いのシーンが回想されます。
身を売りながらの生活。
実の妹の為にもお金を工面したりするのですが、その妹にも色々なものがしみこんだ臭いにおいがすると蔑まされる。
心の奥底に穴が空いてしまっていた彼女が、寒空のなか今にも川に身を投げそうな時に矢太郎が現れる。
蕎麦でも食べなと、自宅に呼んで優しくする。
宮城野が蕎麦を食べようする時、彼に
「私の身体、臭くないかい」
と訪ねる。
矢太郎は
「特に感じないなと」
それを聞いて、笑みがこぼれ蕎麦を食べる宮城野。
なんとも良いシーンでしたね。
そしてその時、矢太郎は名もないない彼女に生まれが奥州だと聞いて、「宮城野」と名前を付けるのでした。
この作品今回初鑑賞したものはディレクターズカット版ですが、原作に「写楽の謎」を挿入し、弥太郎という男の生きざまにも焦点をあてて、二人の主人公を作りあげたよう、そしてカット版ではないもうひとつのスタンダード版(77分)のエンディングはまた異なるようです。
どのような結末だったのでしょうか?
戯曲仕立てでの展開。
ストーリー、各役者の演技、クラシックなバイオリンの音色が融合した、三位一体の極上の物語に仕上がっております。
この世界観はなじめない方もいるかもしれませんが、試しに触れてみるのもいかがでしょうか?
何故にこの作品、全国各地で上映されなかったのでしょうか?これまた写楽同様謎でございます。
(写真全てお借りしました)
5点満点中4.2
主な上映実績
第11回小津安二郎記念・蓼科高原映画祭当別上映(2008年10月)、
第1回フェイレンツェ日本映画祭特別招待(2009年11月イタリア)、
名古屋シナマテーク(2010年6月)