映画「人生、ここにあり!」 またまた良作発見!!  | ほくとの気ままなブログ

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またまた良作発見!! 

 

映画「人生、ここにあり!」

 

2008年 イタリア 111分

 

<監督>

ジュリオ・マンフレドニア

<キャスト>

クラウディオ・ビジオ、

アニタ・カプリオーニ

 

<内容>

バザリア法の制定により、精神病院が廃止されたイタリアで起こった実話を映画化したヒューマンコメディー。

 

 

 

本国イタリアでは動員数40万人超、54週ロングランの大ヒットを記録し、イタリア・ゴールデングローブ賞を受賞。

これまでイタリアでも語られることのなかったトゥルーストーリーが、思慮深く細やかな感性のコメディーに仕上がっている。

 

精神科病院や精神医療施設での研修を経たキャストたちによる、リアルな演技も見どころだ。

1983年、ミラノ。正義感が強いが異端児扱いされる労働組合員のネッロ(クラウディオ・ビジオ)は、自著がきっかけで別の生活協同組合に異動させられてしまう。そこに集まっていたのは、法律の改定で廃止した精神病院を出され、行き場のない元患者たちだった。

ネッロはしっかりと稼げるような仕事を彼らにさせようと思い立つが……。

(シネマトゥデイ)

 

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公開時見逃していました。

ギャオにて初鑑賞。

イタリアは「自由こそ治療」という先進的な考えで1970年代に脱精神病院を掲げ政策転換し、1998年精神病院を廃止しました。

世界一精神病床が多く、なんでもかんでも薬薬の治療を行っている日本の国からみると、奇跡の出来事です。

 

感動の物語

しかも今作品は、実話を基に作られていることにさらにビックリでした。

この物語は労働組合員のネッロと、精神的に病をもった人達が主人公。

このような人々を題材に作る作品は、ナイーブなテーマでありますので時には暗く重くなりがち。

 

 

しかし今作品は、そこを明るく時にはユーモアも交えて、コメディタッチでハートフルな作品に仕上げています。

本当に上質なコメディ作品でした。

ですからこの作品を観る観客は面白おかしく、重く負担にならずに鑑賞でき、作品を楽しみながら本質を考えることができるのではないでしょうか。

 

この機会に鑑賞できたにとっても感謝しております。

 

2009年のイタリア映画祭では、「やればできるさ」のタイトルで上映されたようです。

それは、その協同組合の合言葉でした!!!

 

物語は、精神病院でも問題だった、とってもマイペースな元患者の組合員、そんな彼らを社会の中に取り入れて市場経済の一員として認めさせようとする。

 

 

赴任先にいた、精神病院を出された元患者の面々。

彼らに働く歓びを与え、社会復帰をさせたいネッロ。

 

 

しかし超個性的な人達は、そうそうネッロの思うようには事運びません。

 

主治医からも猛反対。

しかしそれでもあきらめないネッロ。

 

 

そんなネッロとメンバ-の面々のやりとりが笑えます。

 

SI PUÒ FARE: LA VITA DOPO BASAGLIA - belli, sporchi e cattivi

 

孤軍奮闘するネッロが患者を、「さん」つけで呼びます。

たぶんセニョールとかセニョリータとかでしょうか?

ある元患者はその様子を見て、自分も呼んで欲しいと訴えます。

ネッロから、「さん」づけで自分の名前を呼ばれた時の満面の笑み!

 

そして彼らの特徴を生かして、それぞれの役割分担をさせます。

たとえばほとんどしゃべらない自閉症の男性には、「理事長」の肩書を。

ある商談の場面、ネッロから理事長が紹介されても一言もしゃべらないで名刺を渡すだけ。

 

 

しかしその風格威厳に、相手の者は恐縮する有様。

そして商談の相手は部下に、

「お前と同じくらいの年齢であの理事長の貫禄はすごい、君も見習うように」

と話すのでした。

 

組合のメンバーは過去に、それぞれ色々な体験をしてきたものばかり。

あるメンバーはF1の現場で働いていて、自動車事故が怖くなってしまった者。

その彼が車を運転し、ある工事現場を通る時に事故が起きるのが怖くて、なんと工事が終わるまで待とうとします。

 

 

またある時ネッロが皆に伝えた、成功も失敗も皆で分かち合おうという。

その言葉を真に受け、ある者が相手に

「お前は馬鹿野郎だ」

と叫ぶと、違う者が

「皆で分かち合うんだ」

「お前は馬鹿だ」

「お前もバカ野郎だ」

「バカだ」

「バカだ」

と皆でお互いをののしりあう合うシーンなど、笑えましたね。

 

シリアスなテーマを、笑いに変えるお国柄あっぱれです。

最初は単純に床を張る仕事を見つけてきて、コツコツと仕事を行っていました。

彼らの中には、自分の許容範囲を超えてしまうと、もう感情が反対方向へ吹っ切れてしまいます。

中には暴力をふるってしまう者や、仕事を途中で投げ出して固まってしまう者。

精神を患っている人達は、人一倍繊細で純粋な面があります。

そのために許容量を超えてしまうと、反対方向へ極端に針が振れてしまうだけですよね。

ただそのようなことは、健常者と言われている人達だって同じ事だと思うのです。

ちょっと許容量とコントロールが違うだけじゃないかな・・。

 

そのようななか、失敗したり、なんとか他人を思いやり、自分自身をコントロールしたりしながら、徐々に生活するようになっていきます。

その様子にちょいと涙腺が・・。

 

 

 

最初は単純な床を貼る組み込み作業だったのですが、ある時現場に板が足りなくななりました。

材料を調達しに行ったスタッフは、なかなか戻ってこない。

しかし納期の時間が刻々と迫ってくる。現場にあるのは、廃材の板の端切ればかり。

そんななか、彼らの中で能力が開花します。

その廃材をうまく組み合わせていきます。

なんとか時間内に床張りの仕事が終わり、クライアントが到着。

組合サイドの者がクライアントに、ちょっとトラブルがあって打ち合わせ通りには仕上がっていない事を、なんとかお詫びしようとします。

 

しかし出来上がったその床を見たクライアントは、「すばらし~」と、芸術的な寄木張りの出来栄えに感動します。

この場面は映像を観ていても「おぉ~~」と唸るほど、その床の出来栄えは感動的でした。

 

さてさて、そこからこの評判が評判を呼んで、事業として発展していくのです。

今まで社会から隔絶されてしまっていた彼ら、そして病院内でも半ば幽閉されてしまってた彼ら、彼らにもそれぞれの希望がありました。

社会参加への復帰、それぞれには働いて稼ぐ喜びや、女性と接する歓びなど、偏見と差別の中でも、この仕事を通して自分らしく生活することで生き生きとした日々を取り戻していきます。

そしてまわりの社会も変化してい行きます。

 

 

変化する様子の中で面白かったのが、元患者たちが薬の量(精神安定剤や、向精神薬的な物)が多い事に不満をもらします。

薬を多く飲み始めてから、精力が低下した、肌の調子が悪い、記憶や気力が落ちているなどなど・・・。

そして彼らに理解あるDrに相談しながら薬の量を減らしていくと、あらまぁ~彼らは生き生きとしてくるのです。

(実際、薬漬けになることで治るものも治らない、逆に病気を重くしてしまうことはあります)

 

そして女性と経験したいなどの欲望が男性スタッフにはふつふつと・・・。

ある時その要望に応えようと、政府機関に登録されたプロの娼婦をEUの助成金で買うのです。

また事前に講義も受けます

「リズミカルに3回弱く、1回強く・そして後で良かった?と聞くことはNGだ」

 

 

その現場に行くバスの中では、みんなメンバーは極度の緊張状態。

それが事終わった帰りのバスの中では、大はしゃぎ。

 

 

とってもおかしかったですが、納得できる場面でしたね。

だって人間だものww

 

この欲求不満の男性たちのために、2人の娼婦を買うエピソードですが、本当の事だそうです。

順調に見えたかのような組合に、大事件がおきます。

 

 

それは寄木張りの依頼主の女性に、メンバーの一人ジージョが恋に落ちてしまいます。

初デートでの初めてのキッス。

 

 

そしてクラブへ行くのですが、そこにきていた客の心無い行いで問題が起きてしまいました。

ジージョが前々から気にしていた

「手作りの料理には毒が入っている」

という妄想。

初デートのクラブで、食べ物を口にします。

会場にいた者が、

「これは手作りだから美味しい」

と、いった一言に彼が反応してしまいます。

その会場で嘔吐してしまいました。

そこからひと悶着。

一緒にいたメンバーも暴力をふるってしまったり警察沙汰になるのですが、ジーショが好意を寄せている彼女が警察に言った一言を、彼は陰から聞いてしまいました。

「一度キッスをしただけだけど、こんなに頭のおかしい人たちだったなんて。知らなかった。」

「そんな頭のおかしい人を罪にするなんて可哀そうだから、許してあげてください」

と懇願しました。

その言葉を聞いたジージョは深く傷つき、翌日自殺してしまったのです。

時として、この「哀れみ」がその人の心を深く傷つけてしまう問題ですね。

 

そして、映画「時計仕掛けのオレンジ」ではないですが「元の木阿弥に」

ここはとっても悲しくシビアな場面でした。

 

 

 

 

この事件が原因で組合を指導するネッロは、組合を去ろうとします。

ただここからまた大どんでん返し。

頑固に彼らの行ってきたことを反対していた主治医が患者たちの改善を認め、その組合のリーダーネッロに継続することを勧めます。

しかし、相当なダメージを受けてしまったはネッロは、それでも去ろうとします。

 

 

そしてそして、感動の大逆転があるのでした。

 

たぶん同じような実話があった場合、日本で映画化したとしたらこれほどのユーモアを交えた作品ができるだろうかと考えてしまいました。

やはりイタリアと日本の国民性の違いなのかな?

彼らのエピソードの中には、日本だったら非難されそうな場面も結構ありましたからね。

 

実話では、この作品の中で描き切れなかった苦労もあったと思いますが、このようなことが現実に起こったとは本当に素晴らしい事ですね。良い作品でした。

 

エンドロールには次のような言葉が添えられています。

 

本作は 元精神病患者の雇用のため80年代に生まれた社会連帯共同組合の実話を基にしている。

”ノンチェロ”協同組合は寄木張りが行われ 合言葉は「やればできるだった。

今日イタリアでは2500余りの社会連帯組合が存在し、約3万人の異なるかたちで 能力を持つ組合員が働いている。

本作は彼らすべてに捧げられる。

 

またエンドロールはジプシーブラスのような音楽が流れていましたので、これまた私の心はヒートアップでした。

 

(写真全てお借りしました)

 

 

5点満点中4.1

 

 

 

 

 

 

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バザリア法

 

1978年脱施設化に踏み出した、世界初の精神科病院廃絶法である。後に同年12月23日成立の833号法に条文が移された。

精神科病院の新設、すでにある精神科病院への新規入院、1980年末以降の再入院を禁止し、予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行う。治療は患者の自由意志のもとで行われる。やむを得ない場合のために一般総合病院に15床を限度に設置するが、そのベッドも地域精神保健サービス機関の管理下に置く。緊急に介入しなければならない時、必要な治療が拒まれた時には強制治療できる。その場合、二人の医師が個別に治療が必要という判断、治療の場は地域精神保健サービス機関以外、という条件を満たさなければいけない。また、市長あるいは市長の任命する保健担当長の承諾や、その市長が48時間以内に裁判所への通報することも義務づけられている。強制期間は7日間。延長の場合は再度手続きを踏む。本人や本人に近しい人は裁判所へ抗告することもできる。

これにより、従来「自傷他害の恐れがあり、公序良俗に反する」場合には警察署長権限により強制的にマニコミオ(精神病院)に収容されていた精神病患者は、新法では患者の危険性についての規定が無くなり、保健の行政権限を持つ市長の許可を得なければ強制収容できなくなったために医師が機械的に強制入院を行うことは減った。

(ウィッキペディアより)

 

また、世界で初めて精神病院の廃絶を唱えた精神科医、フランコバザリア医師の事で書かれていた内容。

もう本当に素晴らしいまさにその通りだと思いますので、そのままコピー。

 

以下コピー

 

1979年サンパウロの講演会で狂気と精神病について語り、重要な予防策は貧困との闘いとしている。当時のイタリアでは高所得者は医師に個人的な治療を受けており、精神病院に入院することはなかった。また、「私たちのなかには狂気が存在しています。」と万人における理性と狂気の内在を示唆し、狂気そのものの普遍性を唱えた。精神病の概念を否定し、「統合失調症」などの病名をつけることを「医師にとって都合のよい烙印を押すこと」としている。また、長期入院の慢性患者については「病気が原因で病んでいるのではなく、施設が原因で病んでいることがわかってる」と長期入院について非を唱えた。

スイスのジャーナリストとのインタビューでは精神病について、「病気ではなく、苦悩が存在する」としており、その解決策を見出すことを重要視した。

(ウィッキペディアより抜粋)