映画「菊とギロチン | ほくとの気ままなブログ

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きたのそらからきこえてくる 

 

こえにむかって わたしはさけぶ

 

すてきなくには どこにありますか 

 

しっていたら おしえてください、

 

つみぶかいめをした なきむしのすめるくには 

 

どこにありますか 

 

しっていたら おしえてください

 

 

映画「菊とギロチン」

 

 

 

2018年 189分

 

<監督>

瀬々敬久

<キャスト>

花菊ともよ木竜麻生、

十勝川たまえ韓英恵、

中濱鐵東出昌大、

古田大次郎寛一郎、

玉椿みつ嘉門洋子、

 

<内容>

大正末期、関東大震災直後の日本には、不穏な空気が漂っていた。

軍部が権力を強めるなか、これまでの自由で華やかな雰囲気は徐々に失われ、人々は貧困と出口の見えない閉塞感にあえいでいた。

ある日、東京近郊に女相撲一座「玉岩興行」がやって来る。力自慢の女力士たちの他にも、元遊女の十勝川(韓英恵)、家出娘など、ワケあり娘ばかりが集まったこの一座には、新人力士の花菊(木竜麻生)の姿もあった。

彼女は貧しい農家の嫁であったが、夫の暴力に耐えかねて家出し、女相撲に加わっていたのだ。「強くなりたい。自分の力で生きてみたい」と願う花菊は、周囲の人々から奇異の目で見られながらも、厳しい稽古を重ねていく。

 

いよいよ興行の日。観戦席には、妙な若者たちの顔ぶれがあった。彼らは「格差のない平等な社会」を標榜するアナキスト・グループ「ギロチン社」の面々で、思想家の大杉栄が殺されたことに憤慨し、復讐を画策すべく、この土地に流れ着いていた。

「ギロチン社」中心メンバーの中濱鐵(東出昌大)古田大次郎(寛 一 郎)は、女力士たちの戦いぶりに魅せられて、彼女たちと行動を共にするようになる。「差別のない世界で自由に生きたい」――その純粋な願いは、性別や年齢を越えて、彼らを強く結びつけていく。

 

次第に中濱と十勝川、古田と花菊は惹かれあっていくが、厳しい現実が容赦なく彼らの前に立ちはだかる。

 

(公式HPより抜粋)

 

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初鑑賞。

実在した「女相撲」と「ギロチン社」の史実を元にしたオリジナルストーリー作品。

 

 

ここに出てくる「ギロチン社」の面々は、映画の最後にモデルになった実在の人物の写真とともに、その後が記載されています。

 

 

 

(中浜鉄)

 

中濱鐵にしろ古田大次郎にしろ、若干20代なかばにして死刑になっています。

自分たちの思想に合わない者は、天誅を下すという暴力的行動を認めることはできませんが、その年齢で天下国家を論じる姿勢には、私の学生時代また今の学生と比較すると、社会や国家に対しての熱量が違っているのは画面からも伝わってきます。

 

 

逆に天下国家を論じなくても、平穏暮らしができるのは良い事なのかもしれませんが!

大正時代まだまだ世界的に見れば、発展途上の日本の国でしたからね。

国を良くしたいとの願いは強かったでしょう。

 

 

またこの作品の中には関東大震災時、混乱に乗じた朝鮮人が放火したとか井戸に毒を入れた等、凶悪犯罪、暴動などを画策しているというデマによって、官憲や民間の自警団による朝鮮人また朝鮮人と誤認された人々を殺害してしまった事件の事などに触れています。

そしてその時に、社会主義者や無政府主義者も殺害した動きがあったようです。

そのような不安定な時代から、さらにとてつもなく危ない時代に日本の国家は動いていくのでした。

 

今回初鑑賞でしたが、シナリオ、俳優の演技など所々粗削りに感じるのですが、やはりこの手の作品に共通する制作者の熱いエネルギーを感じました。

ただこのような作品は、興行的にはあまりヒットしないであろうと思いますが・・。

 

ちなみに92回キネマ旬報第2位(ちなみに1位は万引き家族)でした。

 

 

政局が不安定な世の中、そして差別偏見がまかり通る世の中、その中で家庭の事情や朝鮮から海を渡って日本にたどり着いた者、平等な世の中をつくろうと自分たちの思想主義を実現しようとする者など、それぞれが必死に混沌とした世の中を必死に生きる。

女相撲とアナキストをマッチングして、よくもこのような青春群像劇を作り上げたものだと感心です。

 

 

そういえばギロチン社というと、その誕生から終焉を描いた作品に山田勇男監督「シュトルム・ウント・ドランクッ」があります(未見)

 

 

この物語はその実在した無政府主義結社「ギロチン社」のアナキスト達と、当時これまた存在していた女相撲が、もし出会ったらというフィクションになっています。

 

 

 

発表当時は「女相撲とアナキスト」という副題がついていたようですね。

 

 

 

関東大震災の後の日本、国がどんどん閉塞していく世の中、そこに生きた者を通して、暴走していく権力に対しての是非を問う作品でもあったかと思いました。

危うい世の中にならないよう、このような異色作品を観ておくのもまた良しでしょう。

 

 

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(おまけ)

 

ウィッキペディアなどを参考にしますと、女相撲の歴史は古く、雄略天皇13年ともう日本書紀の時代から行われていたらしい。

そして江戸中期頃から流行りだしたよう。

 

 

 

 

明治に入るまでは服を脱いでのふんどし姿だったのですが、明治に入り男との取り組みや裸体画禁止になって、薄い肉襦袢を着こんで猿股を穿いての取り組みに変更されたよう。

 

そして、これは格技を競うというよりもむしろ余興の舞踊、力業曲芸を主としており、演目は「お目見えかっぽれ」、「相撲甚句」、締め込み姿で派手などてらをうちかけてずらりと並び囃子方に合わせて力足を踏みしめ、「いちゃな節 」という俗謡を踊る舞踊、また源太郎、「どじょうすくい」、その他「流行の小唄節」、「流行踊り」のほか、「腹の上での餅つき」、七人娘曲芸などであったようです。

 

 

 

また四股名は「姥が里」「色気取」「玉の越(玉の輿の洒落)」「乳が張」「腹櫓(はらやぐら)」などの珍名がみられたようです。

 

女相撲を調べるだけでもけっこう面白そうですね。

その後、女相撲から時代を経て女子プロレスに移っていきます。

 

女相撲は、九州地方で昭和三十年後半にかけても、巡業が行われていた記録があるようです。

劇中でも、もう女相撲は時代遅れ、外国ではサーカスから女子プロレスなるものがあるようだとの会話がでていましたね。

 

5点満点中3.5

(写真すべてお借りしました