映画「道」 | ほくとの気ままなブログ

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今年もよろしくお願いいたします。

今年最初の映画ブログは、この作品からスタートです。

 

第29回アカデミー賞外国映画賞受賞作品 

 

映画「道」

 

 

 

1954年 イタリア 104分

 

<監督>

フェデリコ・フェリーニ

<音楽>

ニーノ・ロータ

<キャスト>

怪力芸人「鋼鉄の肺の男」ザンパノ:アンソニー・クィーン、

ジェルソミーナジュリエッタ・マシーナ、

綱渡り芸人イル・マット:リチャード・ベイスハート

 

ザンパノのザンパの由来は粗野の象徴。

ジェルソミーナはジャスミンの花。純粋の象徴。

イルマット(il Matto)は狂人という意味、キ印と訳されることもあり

 

<内容:ネタバレ注意

 

旅芸人のザンパノは芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その姉妹のジェルソミーナをタダ同然で買い取った。

 

粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る。道化の格好で芸をするジェルソミーナ。

 

 

新しい生活にささやかな幸福さえ感じていたのだが、ザンパノの態度に嫌気が差し、街へと逃げていく

そこで陽気な綱渡り芸人イル・マットに出会う。

ジェルソミーナはザンパノに連れ戻されるが、イル・マットのいるサーカス団に合流することになる。イル・マットはザンパノと古くからの知り合いらしく、何かとからかってザンパノを逆上させる。ある日、我慢の限界を超えたザンパノはナイフを持って追いかけるのだが、その行いで逮捕されてしまい、サーカス団は町から立ち去らねばならなくなる。

 

イル・マットとサンパノはサーカス団から追放される。サーカス団のオーナーはジェルソミーナに一緒に行くように誘うが、ジェルソミーナは町に残る。

イル・マットは、「自分は役立たず」と嘆くジェルソミーナに「世の中のすべては何かの役に立つ、この小石も同じこと」といいジェルソミーナに手渡す。またその小石を大切に持つ彼女に、イル・マットは次のように話す。「ジェルソミーナも役に立っている、それは神様が知っている」と言い残して立ち去る。

 

 

この夜、ジェルソミーナはイル・マットが運転するザンパノのバイクの荷台に乗せられ、ザンパノのもとへ送られる。翌朝、2人は到着した。イル・マットは行き、ジェルソミーナはザンパノのバイクにもたれかかってザンパノを待ち、釈放されたザンパノはジェルソミーナがやってきて自分のバイクもここにあるこの事態に渋い表情を見せる。

 

ジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで芸をする日々をすごした。しかし後日、ザンパノは自動車の車輪の不具合を直すイル・マットを見かける。

 

 

 

仕返しする機会を待っていたザンパノはイル・マットを撲殺する。

ジェルソミーナは、イル・マットの死に放心状態となる。

 

ザンパノは、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなったジェルソミーナを見捨て、居眠りしている彼女を置き去りにして去ってゆく。

 

 

幾年かの時が流れ、見知らぬ海辺の町に立ち寄ったザンパノは、ジェラートをほおばりながら、耳慣れた歌を耳にした

それはジェルソミーナがよくラッパで吹いていた曲だった。これを歌っていた町娘にザンパノがたずねると、ジェルソミーナと思われる旅芸人が、この町に来ていたことがわかった。ある朝、この旅芸人は死んでいたという。

 

少し老いたザンパノは、往年の鎖芸をこの町のサーカスで披露する。酒場で暴れた後、海岸にやってきたザンパノは天を仰ぎ地にしがみつき、絶望的な孤独感に打ちのめされ、ひとり嗚咽を漏らし、ラストを迎える。

 

(ウィッキペディアより抜粋、一部記述追加)

 

***********************

 

 

魂が深く必要とする神の愛と恵み

 

この映画は監督フェリーニの人生が反映されているといわれています。

3名の俳優の演技と、あのニーノ・ロータの音楽「ジェルソミーナ」の悲しくも美しい旋律につきます。

 

あまりにも有名な作品ですから知っている方も多いとは思いますし、作品を観ていない方でも「ジェルソミーナ」の曲を一度は耳にしたことはあるのではないでしょうか。

 

昨年12月12日横浜ジャック&ベティにてフェリーニ祭りの1発目の上映で鑑賞してきました。

フェリーニ作品の中でも私の大好きな作品の一つ。

TVやDVDなども含めると、何度も鑑賞はしていますが、映画館でこの作品を観るのは、午前十時の映画祭など含め3回目かな?

しかしそれでも冒頭から、ジェルソミーナ演じるジュリエッタ・マシーナがスクリーンに登場すると、もうウルウルしてしまいました。

冒頭のシーンなどは、別に目頭が熱くなる場面でもないのにねぇww

 

余談ですが私の中では、何回も観てわかっているのに滂沱の涙になってしまう他の作品では、映画「蛍の墓」「汚れなき悪戯」もそうなのです。

 

 

失って初めてわかる大切なもの!

 

ジェルソミーナを虐げてきた粗野な男ザンパーノが、自分の歩む道の途中で、捨ててしまった者の大きさ大切さに気が付く。

ジェルソミーナは、役立たずと思っていた自分がイル・マットの言葉で、粗野で野蛮なザンパノに寄り添い支える覚悟をきめるべく道を見つける。

 

 

イル・マットを含め3人のキャラクターは重要で、見事にそれぞれの俳優さんが演じていました。

そのなかでも、純真無垢で弱い立場のジェルソミーナを演じた、ジュリエッタ・マッシーナの名演は映画史に語り継がれる演技でもあるかと思うくらい素晴らしですね。

 

 

また乱暴で教養がなく粗野な男ザンパーノを、これまたアンソニー・クインのための役柄というほどの名演でした。

このような役は、彼はピッタリなんですよね。

ところで、ザンパノのあのような大道芸だけでは、今の世の中では生活できないし、当時としてもどうだったのだろうと思ったりしました。

単純に肺を膨らませて鎖を切るだけですからねw

 

 

そして脇役ではあるイル・マットですが、あの映画解説者淀川長治さんはイル・マットを神と語っていたらしいです。

彼はこの映画の中で、需要なキーマンであるとも思われます。

ザンパノをとにかくからかい、最後は彼に誤って殴殺されてしまいますが、時には前述した通り、

「石ころにも価値がある、この世に価値のないものはない」とジェルソミーナに助言したりしています。

そしてザンパノは犬と同じでジェルソミーナの事を好きなのだけれど、吠えるしかないと本質を突いた話もしています。

終始ふざけた感じにも見えるイル・マットですが重要な設定でしたね。淀川さんが言う通り神も一理あるのかも・・・。

 

 

 

印象に残る場面は数多くありますが、修道院で一夜を世話になり翌日の別れのシーンもそのひとつ。

 

 

バイクの荷車に乗ったジェルソミーナが、目に涙をためて手を振って、修道院の人々と分かれる場面は切なかったですね。

前日の夜にザンパノが教会の品物を盗もうとして、それを止めるのですが・・・。

出発当日浮かない顔をしているジェルソミーナに、

「ここに残って生活してもいいのよ

と話す修道女。

 

 

 

しかし彼女は断り、けなげにもザンパノについ行く。

そして荷車のなかで手を振りながら目に涙をため別れるのでした。

前日の出来事の思いも込められた別れのシーン。

彼女の心情を思うと何とも切ないシーンでした。

いやぁ~記事をかいていてもウルウルしてきますよww

 

 

失って初めて気が付くもの

フェリーニ作品の中では、もっとも直球的でわかりやすい作品。

この物語は非常に単純明快。

姉妹ローザがなくなった後に、その身代わりとなって売られたジェルソミーナ。

そのジェルソミーナもやがて捨てられて亡くなってします。

時を経てその捨ててしまった者が自分にとっては大切な人だったことに気が付かされ、慟哭するといった物語。

 

ザンパノの粗野、そしてジェルソミーナの純真無垢な心の対比、そこに二人をつなぎとめるイルマット。

素晴らしい黄金のトライアングルが成り立っています。

かしそのバランスが崩れてしまうと、何もなくなってしまう現実。

 

 

言語に絶するようなラストシーン

 

ザンパノが酒場からでてきて、海岸までの長回しのシーンは圧巻です。

ザンパノと別れてからジェルソミーナの姿は最後までスクリーンに登場しません。

見知らぬ海辺の町で彼女の死を知ったザンパノ。

飲み屋で酔いつぶれ、そして深夜の海岸で慟哭するのです。

そこにはあの曲が流れているだけ。

涙を誘う見事なラストでした。

 

 

 

 

初めて鑑賞した時にはただただ感動しただけですが、何度かこの映画を観ていると、彼の慟哭する姿は粗野な男ザンパノが成長した姿であったとも思われました。

またザンパノは一見野蛮人の様な男に見えるのですが、この物語を見ているとわがまま勝手で一方的な男ザンパノも、時にはジェルソミーナを気遣っているシーンなどもでてきて優しさも見せています。

悪いのはザンパノなのですが、時々意固地になる彼女をなだめたり・・。

 

 

彼女と別れるシーンでも、眠りについている彼女にコートをかけ少しばかりのお金を握らせる、そしてラッパも置いていくなど。

もしかしたら彼女と生活するなかで、自然と彼のなかに人間らしい変化が芽生えてきたことなのかもしれません。

 

そのことは以下のような事でも感じられるのではないでしょうか。

ジェルソミーナが吹いていた曲は、彼女が生前の時にはザンパノにはさして関心がないような曲だったかもしれません。

また時としてその曲は、イル・マットも小さなヴァイオリンで弾いていました。

そんな関心がなかった曲を彼女と別れた数年が経った頃、街中でそのメロディを聞きそして己の間違いを気が付かせてくれる。

ということはその曲とともに、ジェルソミーナの存在が知らず知らずの間に、ザンパノの心の中に深く刻まれていたのでしょう。

 

いつもは無意識の中にある存在、しかし無くなっていなくなって初めてわかることの重要性。

この映画を観る誰もがまた考えさえられることかもしれません。

日常の何気ない事にも感謝せねば!!

 

そうそうジェルソミーナは表情が豊かであり、そして少し頭の足りないなどの設定ですが、その表現が本当にあっているのかは疑問だったりもします。

彼女の行動を細かく見ていると、物事の善し悪しの分別がしっかりできていて、意外にも相手の心理も読み取ろうとしたりすることのできる人だったことがわかります。

 

 

 

お勧めの一作!

映画史に残る名作だと思います。

 

 

 

(おまけ)

 

綱渡り芸人イル・マット演じる、リチャード・ベイスハートですが、映画「Drモローの島」で獣人のリーダーで出演していたのですね。

まったく知りませんでした!

 

*当時のイタリア映画の慣習から会話、音楽、音響関係は後から追加。アンソニー・クインとベイスハートはアメリカ育ちでイタリア語が話せず英語で会話していた。

ジュリエッタマッシーナはイタリア語で会話。ですからオリジナル版ではあのザンパノの声は吹き替えなのです。

そしてその吹き替えをしていた方は、羅生門の三船敏郎の吹き替えも担当していた方だったようです。

ちなみに日本での吹き替えは、

ジュリエッタ・マッシーナは市原悦子さん、

アンソニー・クインは小松方正さん、

リチャード・ベイスハートは愛川欽也さんでした、。

 

(画像全てお借りしました)

 

5点満点中4.4