午前十時の映画祭9 映画「裸の島」 | ほくとの気ままなブログ

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午前十時の映画祭9 

 

映画「裸の島」

(モスクワ映画祭グランプリ受賞作品)

 

 

1960 年近代映画協会 95分

 

<監督>

新藤兼人

 

<キャスト>

乙羽信子、

殿山泰司

 

<内容:ネタバレ注意>

瀬戸内海の一孤島。周囲約五〇〇メートル。この島に中年の夫婦と二人の子供が生活している。孤島の土地はやせているが、夫婦の県命な努力で、なぎさから頂上まで耕されている。春は麦をとり、夏はさつま芋をとって暮す生活である。

島には水がない。

畑へやる水も飲む水も、遥るかにみえる大きな島から伝馬船(テンマ船)で担桶(タゴ)に入れて運ぶのだ

夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされた。

子供は上が太郎、下が次郎、太郎は小学校の二年生で、大きな島まで通っている。

ある日、子供たちが一匹の大き鯛を釣りあげた。

夫婦は子供を連れて、遠く離れた町へ巡航船に乗っていく。鯛を金にかえて日用品を買うのだ。暑い日の午後、突然太郎が発病した。孤島へ医者が駈けつけた時、太郎はもう死んでいた。葬式が終り、夫婦はいつもと同じように水を運ぶ。突然、妻は狂乱して作物を抜き始める。訴えかけようのない胸のあたりを大地へたたきつけるのだ。夫は、それをだまってただ見つめている。泣いても叫んでも、この土の上に生きてゆかねばならないのだ。灼けつく大地へへばりついたような二人の人間は、今日もまた、明日もまた、自然とはげしくたたかっていくのである。(MovieWalker)

 

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今回初めての鑑賞。

新藤兼人作品では、以前「北斎漫画」をアップしたことがあります。

ほとんど会話のないセリフを排した、実験的な映画

 

担桶を担いで水を運ぶシーンが、毎日毎日何回も何回も繰り返されていきます。

 

 

この映画を観て、あの映画「ニチェの馬」をすぐに思い出しました。

https://ameblo.jp/hokuto31313131/entry-12356179857.html

↑ニーチェの馬、過去記事

 

年代的にはこちらのほうが古いので、ニーチェの馬の監督が参考にしたのか?否パクったか?Ww、

モスクワ映画祭グランプリなど、海外で評価を受けているのであながち違うとも言い切れないとは思いますが。

 

 

瀬戸内海に浮かぶ無人島「宿禰島:すくねじま)がロケ地。

新藤監督自身広島出身。

溝口健二の元で修行、また第二次世界大戦にも従軍している。

監督と俳優の音羽信子とは愛人関係(晩年正式に籍を入れています)。

だから演技でも無理させていたのか?

 

この映画近代映画協会が、資金繰りが苦しくなりなり解散記念として制作された作品とのこと。

しかし、海外での高評価を受けて、近代映画協会は解散しないですんだとのことです。

 

 

さて内容ですが、セリフが一切ないといっても、学校での生徒たちの話し声とか町の騒音などが聞こえてきます。

そして全篇に流れる音楽。

ニーチェの馬でも、全編にながれる何とも言えない音楽のリフレインが映像に深みを与えていましたね。

 

家族は一切無言かというとそうではなく、数カ所で声が流れます。

それは、幸福と絶望哀しみをより深く印象付けました。

 

孤島に住む一組の夫婦には男の子2人、その家族が暮らすためにわずかながらの田畑を耕しています。

しかし、この島には水がない。

自分たちが生きるためにそして、乾いた土地に植えた作物のために、隣の島から水を毎日毎日何度も運ばなくていけません。

水が入った桶は20キロくらいはありそう。

 

それを天秤棒の両サイドにかけて2つの桶に入った水を運ぶ。

船で運んで、島の頂上付近までは急な坂道。

映画を観ていても重そうに見えましたね。

 

あるとき山道を運んでいる時に、乙羽信子が水をこぼしてしてしまいます。

それを見た夫は、かけより頬を叩く。

妻は飛ばされるがまた起きて仕事を続ける。

何ともいえないシーンでした。

 

 

広大な土地に対して一回に運んでくる水の量を考えると、無駄無意味のようにも感じてしまいます。

そんなに苦労するのなら、引っ越してしまってもっと楽な暮らしでもすればいいのかと、観ていて思ってしまうほど。

 

 

しかし、汗水かけて収穫した麦を収めて歓びに変わる時もある。

子供たちはも親が水くみに行っている間は、食事の支度を手伝ったり、上の兄が学校が休みの日や帰宅してから釣りをしたりして、生活の手伝いを積極的に行っている。

 

 

ある時、子どもが大きな鯛を釣り上げた。

それを家族全員で街に売りに行き、売ったお金で家族でロープウェイにのったり、食堂で食事をしたり、子供用のランニングを買うなど楽しいひと時を過ごす。

 

 

このシーンは、家族の幸せなひと時を本当に感じさせてくれました。

言葉はなくても、感じるんですよね。

みんなの表情が輝いていた。

家族そろって生きていることの証。

 

しかし、人生とは残酷なもので幸せの時間などはあっという間のひとときの物。

 

その後に、長男が亡くなってしまう。

 

 

隣島の学校の生徒たちが参列してくれ、葬儀を終えてそのあとまた通常の生活に戻るのですが、乙羽信子が畑に水を撒いている時に、突然水の入った桶をひっくりかえして、またせっかく植えた苗を引っこ抜いて挙句の果てに地面にひれ伏して泣きわめきます。

今まで一言も声を出していない乙羽信子が、はじめて声を出しました。流石にこの時ばかりは夫の殿山泰司もなにもせず、妻のほうを無言で見つめるばかりでした。

 

双方の気持ちわかりますね。

そしてその後、

また隣島に水を汲みに行き、水を運ぶ。

その水を作物にまく、そしてまた水を汲む、運ぶ、その繰り返しの日々・・。

 

 

生きる事はとてつもない事だということを、言葉で表現するのではなく映像から観る者に感じさせる映画なのかと・・。

労働、家族、人生の根源に迫った映画なのかと感じたしだいでして。

なかなかすごい映画でしたね。

 

やはりこの映画も、ついつい最後まで観てしまう映画でした。

ニーチェの馬よりは、リズムはありましたねww

 

<おまけ>

この島には実際年配の男性が住んでいたようです

村上坂一郎さんというかたが一人暮らしをしていたそうです。

彼は復員してきたら妻が他の男と一緒に逐電したことを知って(この辺は真実かどうかわかりませんが、住んでいたのは事実のようです)、世の中が嫌になり、やぎやアヒルとこの島で生活していたようです。

そのヤギやアヒルはこの映画にも出てきます。

 

この水運びは相当重かったと思うのですが(映像で見ていても重たそう)、乙羽信子さんは肩の皮が数度剥がれたそうです。

ちなみに新藤監督は担げなかったようですよw

 

5点満点中4.0