「言語道断」 ごんごどうだん
相手の話がもう話にならない、言葉にならない
ほどひどいという時にいつも使われる熟語
「言語道断」
日常会話でもしょっちゅう登場します。
さて、四字熟語の中で99%は
「○○‐○○」というふうに、前2字、後ろ2字
で区切って読まれます。
この「言語道断」は私は大人になってからも
「言語‐道断」と区切って読んでいました。
ほとんどの方がそうではないでしょうか?
実は
「言語道‐断」と3つ目で区切って読むのです!
「言」「語」「道」はすべて「いう」の意味。
つまりは、相手の言うことを遮断するということを
さしています。
「言」「語」「道」は同じ「いう」の意味でも
ちょっとずつ、言い方が違います
「言」は相手を責めるような、攻撃的な言い方です。
「語」は自分を守るための、自己弁護的な言い方といえます。
「道」は「みち」の意味が当たり前となっていますが
中国の「論語」「唐詩選」といった数多くの文献からも
「道」は「いう」の意味で使われています。
相手に報告するような「いう」の意味。
「報道」のように現在でも、「道」は相手に伝えていうという
意味がしっかり残っています。
「言語道断」のもう一つの意外なことは
この熟語は仏教用語でした。
しかも、話にならないといった悪い意味の言葉ではなく
「言語道」を断つ、つまり言葉にすることができないほど
仏の究極の教えはすばらしいものだという、良い意味での
熟語でした。
これが本来の意味でしたが、いつの間にやら
世間では、言葉にならないほどひどいの意味になって
しまったのです。
まったく人をなんだと思って、ひどいことを言う人がいます。
まさしく「言語道断」ですが、
でも、そんな人は仏様の慈悲深い心に立ち戻って
本当の意味での
「言語道断」を知ってもらいたいですね。( ̄^ ̄)