総合病院 卒業① 主治医への想い | * poco a poco * 少しずつ、一歩ずつ

* poco a poco * 少しずつ、一歩ずつ

2人の子どもたち(娘と息子)、私のありふれた日々をつづっています。
息子は2歳でインフルエンザから痙攣重積型(二相性)急性脳症を患いました。治療やリハビリについても記録しています。




    


​​2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子

病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です気づき

笑顔で元気!をモットーに頑張りますスター


下矢印まとめ記事
キラキラ急性期治療編 

キラキラ回復期リハビリ入院編 

キラキラ就学相談編 
キラキラ支援級→支援学校 転入編 





先日、総合病院の通院日がありました。





こちらに書いた通り、総合病院の主治医が病院を離れることに悲しい





初めて先生にお世話になったのは急性脳症になる前のこと。



1歳すぎから尿検査で引っかかっていたのね…




急性脳症の急性期治療を終えた後、リハビリ入院のために大学病院への通院が始まってからは



後遺症に関する治療や検査は 大学病院


それ以外の全身管理は 総合病院


と棲み分けをしてきました。



就学前までは喘息を繰り返してしまい、一時は予防の飲み薬+吸入をしていたことも


入院一歩手前ってのも何度かあったっけ。



喘息が落ち着いてからは息子の困りごとが少しでも減るようにと漢方治療をしてくださいましたニコニコ




夜尿で悩んでいた娘もお世話になりました。


他の病院では全く効果がなかったのに、先生の手にかかった途端に進展し1年経たずに卒業できました。



今年の2月で発症から5年が経ち、漢方治療はあまり効果が見られないこともあり、主治医のご退職をきっかけに息子も総合病院を卒業することになりました。




先生にお世話になった期間


なんと 5年7ヶ月びっくりマーク





子どもたちの治療の面ではもちろん、親の私も何度も何度も精神的に助けられました。



急性脳症の疑いと告げられた日


急性期治療をしていたとき


検査入院で心折れたとき




喘息で入院しかかったとき


支援級から支援学校に転入を決めたとき



どんなこと話も聞いてくれて、



お母さんの対応が上手だから息子くんはこんなに伸びてるんだよ


お母さんはいつもよくやってくれているよ



と励ましてくれました。



悲しいことがあっても辛いことがあっても、通院日を目標に日々を乗り越えてきた5年間でした。




大袈裟でもなんでもなく



主治医は息子の命の恩人であり


私たちにとってヒーロー


ですキラキラ




息子に「◯◯病院はもう終わりだから、先生にお手紙を書こうよ」と誘い、色紙に写真を添えてメッセージを書きましたラブレター


メッセージを書いたのは息子だけ。


私は直接お礼を伝えよう思い、書きませんでした。




さて、息子は無事にメッセージを先生に渡せたでしょうか?



(続く)