子供が暴言を受けた時にしたこと① | 日韓年の差夫婦☆バイリンガル☆脱ステ

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元ホステス、その後ハワイへ。同じ大学だった、12歳年の違う韓国人旦那と結婚。子供をおうちでバイリンガルにすることを成功しました。『相手の好きに触れる』このテクニックがホステスも育児も同じだな~と思う今日この頃。独自の育児法や家庭学習のことなどを綴ったブログ

 
子供が『良くない言葉』
を受けた時の対処法について
 
色々思うことがあったので
うちはこんな感じで対応しているよ
というシェアです 指差し

 

 

 

 
現在、子育真っ只中のママたちや
子供をすでに自立させた
先輩ママたちでも
社会人でも誰でも
 
もし同じようなことで困っていたり
似たような経験で
悩んだことがあったなら
どんな方法で乗り越えてきたのか?
 
自分が誰かの言葉で
嫌な気持ちになってしまった時
どんな方法で気分を切り替えたのか?
 
 
では、それが自分ではなくて
自分の子供だったら?
 
自分の子供が
他者からの暴言により
嫌な思いをしていたら?
 
他者から言われた言葉に
必要以上に
心に傷を負ってしまっていたら?
 
 
 
そんな時、子供にどんな声かけをして
励ましたり、乗り越えてもらうのか
 

 

 

 
 
『 良くない言葉 』って
場面によっても
様々な言葉があると思うんだけど
 
今回、ここで話しているのは
子供が他者から浴びせられた
『馬鹿、クソ、四ね』みたいな
そんな言葉のことね。
 
 
こーゆー言葉って
早いと園生活から
聞くこともあると思うんだけど
 
うちの場合は、小学校に入学してから
『クソ女、うんこヤロー』とか
そういう暴言を毎日のように聞く
もしくは言われるという
洗礼を受けました。
(よくないワードを言う子は
学年に1人2人ではなく結構いる)
 
 
 
それを言う子の方は
口癖にせよ、意図的にせよ
 
なぜ、そのような言葉を
他者に言うのか?
という私の分析と見解があって
 
じゃ、それらの暴言を
娘が浴びるのを回避する目的で
私がすぐにしたことがあるんだけど
(娘は私が動いていたことは全く知らない)

そのことについては
今は、誰でも読めるこのブログでは
シェアしないつもりです お願い







今回、シェアしたいなと思ったのは
娘への『声かけ』について。

 
『落ちた鉛筆を拾ってあげたら
クソ野郎!!って言われた』
 
とか、そんな報告を受け始めて
私がすぐに娘にしたことは
 
 
なんでそういう言葉を言うのかな?
恥ずかしいのかな?
なにかに怒っているのかな?
と、暴言を吐く子の気持ちを
娘と一緒に考えてみたこと。
 
 
 
私は
人の言動には必ず目的や意味があると
考えるので
 
娘にも、相手を観察するスキルを
身につけてもらいたいなと思うのと
 
その人の人間性とか性格みたいなものを
簡単に決めつけないで欲しい
と思っている。
 
 
 
 
最初のディスカッションの時
娘は『わかんない
フィコなにもしてないよ。
鉛筆を拾ってあげただけ。』
 
って感じで言ってたので
私が考える、その子の気持ち
私が考える
その子が置かれた環境を伝えました。
 
 
その子にお兄ちゃんとかがいて
クソ野郎!とか
言われたことがあるのかな?
 
 
TVやYouTubeで
芸人さんがクソ野郎って言ったとき
周りの人が笑っていて
ほかのひとにギャグで言っていいって
思っちゃったのかな?
 
 
まさか、パパやママが
おうちの中で
クソ野郎とか言ってるのかな?
それで覚えちゃったのかな?
 
こんな感じで
私の思いつく事柄を述べました。
 
 
そしたら娘が
『あ、恥ずかしくって
ありがとうって言えなくて
クソ野郎って言ったとか? 』
 
と、娘なりに
思いついたことを言っていたので
 
そうだね、そういうこともあるかもね
という風に意見を交換し合った。
 
 
で、私が娘に普段から
絶対にしないことがあって
それは
他者への批判発言なんだけど
 
担任の先生や他の先生のことでも
身内のことも、どんな人に対してでも
 
誰かの人格の批判や悪口と
取れるような言葉は
娘には一切聞かせない。
 
これは徹底しているので
今まで1度も娘そのようなことを
聞かせたことはないです。
 
 
なんでかっていうと
絶対に子供に先入観を
植え付けてしまうし

 
クソ野郎という言葉自体は悪いけど
それを言っているその子が
悪い子かどうかなんて
 
それだけの事柄だけでは
全く分からないことだし。
 
 
 
例えで言うと
 
えー、なにそれその子悪いね
もうその子とは話さなくていいよ
何その子、ウザイね
 
みたいな言葉を親が子供に言うのは
 
それって私的には
ブーブーな発言だなと思ってて。
 
 
 
だって
これから娘が
色々なタイプの人に出会いながら
人生を謳歌していく中で
 
 
自分の中の基準というか「当たり前」
みたいな物差しで
 
事あるごとに誰かをジャッジして
 
自分が嫌だと思ったり
え?と思うような
相手の行動があったときに
 
『相手を理解してみる』
 
っていうことをせずに
相手を批判したり悪く言ったり
しちゃうような
 
娘には
そういう思考回路に
なって欲しくないなって思うので。
 
 
どんな人に対しても
人格批判とか
誰かの悪口だとかは
娘が大人になった時でも
言ってほしくないなと。
 
 
 
 
じゃ、なんで娘に
そうなって欲しくなかっていうと
 
 
娘に良い人間でいて欲しい
とかじゃ
全然なくてね。
 
 
作らなくていい人間関係の悩みを
自らで生み出し、悩んで欲しくない
 
必要がないところ
すなわち、人を嫌うという行為で
娘の大事なエネルギーを
費やして欲しくないというか。
 
それだけ。
 

近所のポッちゃん
吠えた声を聞いたことがない
人懐っこいポッちゃんです
 



 
私の経験上ね
 
相手の言動に対して
すぐに人の良し悪しを決めつけたり
批判めいたことを言ったり
嫌ったりする人たちって
やっぱり共通点があるのよね
 (これも今回は説明を省きますが)



なにかしらへの不満の種があって
いつでも、だれが嫌いな対象がいると


そこ費やす自分のエネルギーって
良いものか、悪いものか
で考えると
決して良いものじゃないよなっと。

だから、私はには
人を嫌うエネルギーって
無駄に思えて仕方ないの。
 
 
稀に、楽しそうに人の悪口を言って
活き活きとしている人もいるけど
もう、それは黒いアイツに
魂を乗っ取られているようなね
 不安あせる

見えない黒煙にまかれて
次から次へと
自分の望まぬ事柄を
引き寄せているような。
 
 
でも、本人はそれに気づかず
望まぬ事柄は他者が原因
他者のせいと思い込んでいて
 
その人の行く先々で
トラブルが起こるというか

で、年がら年中
だれかを批判したり
悪口を言っていたりとか。
 
そこにエネルギーと
自分時間を使う価値
あるのかな?

 
 
 
だから、誰かに暴言を吐かれた時に
吐いた相手を
「嫌う」ってするんじゃなくて
 
あ、なんか
そーゆー人なんだなって
 
ただ、認めて
受け流すっていうか。
 
そのほうが
大事な自分のエネルギーを
使わなくて済むし。
 

同時に

そのエネルギーがさ
自分の潜在意識がね
自分の望むものへと向いてくれると
私は思っていて。
 
 
だから、私が暴言を言われた!
と娘に報告を受けた時に
まず娘としたことが
 
相手のことを知る
相手を理解してみようと
試みる
ということ。

そのままの事柄を
受け入れて

自分が嫌な思いをした
感情があったならば
それも流してあげる
ということ。

 

 

 

簡単なトピックではなかったので

長くなってしまいそう~


なので、分けて書きます!

 

読んでくれてありがとう!

ニコニコ