オーケストラ体験してきた | 蓮のメモ帳

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弦楽合奏サークルでviola弾く婆。

地元の市民オケ(アマチュア)で一日体験がありました。

初心者OK、全部弾けなくてもOK、オーケストラを体験してみませんか、という有難い企画。

曲は、チャイコフスキー交響曲第5番の4楽章をやるという。

しかもプロの指揮者の指導でという贅沢さ。


この催しを、約一カ月前にTwitterで知り、

「やったー!」

と申し込みました。

チャイコフスキーの5番は学生のとき、定期演奏会でやったことあるので…すぐ弾けるかな、懐かしいな、なんとラッキーなのかピンクハート(…などと喜んでいたのは最初のうち)


メールで送られてきた楽譜を、コンビニでプリントするという難関も乗り越え、練習開始。

性格的に、合奏に参加する以上、落ちるのはもってのほか、絶対にきちんと弾き通したい。。


しかし練習を始めると、40年前とはいえ半年も練習したことのある曲なのに、本当〜〜に難しかった。

《よくこんなの弾いていたなぁ…ぜんぜん弾ける気がしない…楽勝と思ったのに…。これが体験なんて…もっと簡単な曲でいいのに…、しかしせっかくのオーケストラ体験なんだから「ザ・交響曲」って感じのチャイコフスキー5番くらいでないと意味ないか…。

コレどんな速度でやる気なんだろう…フツーに速いのか…少しは忖度してもらえるのか…、しかし楽団の指揮担当とかでなくてプロ指揮者が来るしな…。4楽章って11分くらいだけどビオラの休むとこ10秒くらいしかないんだけど最後まで担いでいられるかな…きざみがすごくて弓を落っことしそう…》

などと心で愚痴りながら毎日3時間くらい、弾いてはため息、弾いてはため息。はあぁ…


学生時代のビオラのパート譜は、4年前に関西に引っ越したときに、全て捨ててきてしまった。

捨てるんじゃなかった…35年くらい保管してたのに…。

どんな指遣いで弾いていたのだろう?

指遣いとポジショニングの研究からせねばならなかった。


指遣いは全て忘れていたが、ボウイング(弓のアップダウン)は不思議によく覚えていて、当時と逆さのボウイング指定が多く、変に苦労した。



しかし、若い頃って怖いもの知らずだったな…。


若い時は「弾けなかったらどうしよう」と不安に思ったことがなかった。


学生の頃、「来週、◯◯大学の定期演奏会、ベートーベンの7番、出られませんか」なんて話がくると、たとえどんな曲でも「やるやる!」と言って仲の良い先輩と一緒に数回の練習とリハーサルだけで本番に出ていたりしてた…。

コワッガーン



ビオラというパートはたいてい人が不足しているのでそういった他大学のトラ(エキストラのこと)の話はよくあった。

他にも合唱団のレクイエムの伴奏(弦楽合奏)をしたり…

木管楽器を入れた弦楽五重奏に参加したり…

今はなくなったが昔はジュネスオーケストラというのがあって、「青少年音楽祭」としてNHKで放映される一般学生のオーケストラがあり、一度参加した。

 その時はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」をやった。

オーディションに行くと審査員に当時のN響のコンサートマスター徳永二男氏がいたりしたのだ。


若い時は、みんな勢いで?弾いていて、そしてただただ楽しんでいたなぁ。

若さってすごいものだったんだな。


しかしまー久しぶりに交響曲を練習してみて、ゆるめの弦楽合奏とは、酒とジュースくらい違う、と思ったことでした。

チャイコフスキーはかなり強い酒と言えよう。

そう、ウォッカかうずまき


もう管弦楽をやる機会はないかと思っていたので、大変ではあったけど本当に楽しかった。

一日体験は30人くらいの参加者があり、盛況でした。

速度はプロ並みで、死ぬかと思うほど速かったですダッシュ