正しい節約と倹約 | よろず話屋

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具体的な方法論は多々あるが、いろんな社会体制においてそれぞれ”正しい”節約や倹約というものがある。

趣旨的なところを主に述べたいと思う。

 

節約や倹約にはもともと、我慢とか辛抱とか貧乏とかネガティブな印象をもつ場合が多いでしょう。

そうです、それで正しいのです。

キャッチャーにしようと、「楽しんで楽にできる節約」などという言葉もでてくることはあるが、資本主義や貨幣経済の社会である以上、お金を使わなくなれば全体が悪くなる。

お金を使えば使うほど、これらの社会はよくなる。

アベノミクスという政策が行われて異次元の金融緩和ということが行われたが、これも多くのお金を”流動”させようと国が行った政策だ。

その効果がどれほどあったかはおいておいて、意図としては完全にそうである。

 

ということで、節約や倹約の正しい心理状態として

 

「きつい、嫌い、キリキリする。」

 

という3Kでなくてはならない。

これが正しい。

 

また社会体制に関係ない倫理的正しさもある。

それはそれぞれの社会体制に関係ない理論的節約や倹約である。

例えば普通に生きていても放射線は宇宙からふりそそぎ人体はこれを被ばくする。

あるいは医療機関でレントゲンを撮ると被ばくする。

あるいは原子力事故などが起きた場所で汚染された場所にいると被ばくする。

地球上に降り注ぐ放射線はやむを得ないし、レントゲンもその病気による健康被害との天秤でレントゲンによる検査を妥協するかどうかの選択であり、原子力事故による汚染ならばそこにはいかないほうがいい。

これを節約も倹約もしないということに当てはめると、放射能事故による汚染場所にいき無駄に被ばくすることが浪費となる。

 

あるいはもっと直接的節約の例で行くと、中には地球温暖化対策として化石燃料を使わない移動、風や太陽光発電で発電した電気で動く乗り物を使う人とか、夜は明かりをつかわない朝に置き、夕方以後にはもう寝るような生活をする人もいるが、そこまでではなくても普通にこれまでの文明を使いながらも車で買い物に行く回数を減らすとか、より近いお店だけにするとか、高額でもより燃費がいい車や電気消費量が少ない家電に買い替えるとか、あるいは買い替えずにずっとそれを修理してでも使いつづけていくとか。

 

これはこれで正当な目的に対する正しい理論的節約である。

 

プラスチックを使っていたものを紙や木のものに変えてそれを使い続けるのも正しい節約や倹約となる。

 

正しい節約と倹約はおおむね伝わったと思う。

 

それでは間違えている節約や倹約とは?

 

それは目的がケチであること。

あるいはお金の積み立てが目的である・・・・だからケチであることだ。

それを自覚する一つの目安としては、節約や倹約をすればするほど、きりつめればきりつめるほど快楽や喜びを感じることだ。

この節約と倹約は今の日本においては”間違えている”と断言できる。

 

節約して倹約して喜びを感じなくていい。

 

「もう二度とあんな生活はごめんだ!」

 

という節約生活や倹約生活の節約と倹約が正しい。

 

節約と倹約は無理にしなくていい、必要上やむなく、お金がないから、生きていくことのみに執着した結果のみの節約と倹約でよい。

ただ、そういう生活をしているといくら隣の芝生よりも枯れている芝生かもしれないが、それが普通で日常ならばそれはそのままでよい。

全体でみても、急に浪費家になったり、急にケチったりなどという行為をする人が多いほど景気の変化が大きい。

それが普通なら普通なように生き続けることが、国内における需要と供給の計画がたてやすく全体の変化も少なく、その変化による被害も少ないのだから。

 

そういう話し。