めんどくさいから思うまま書いておこう。
はてさて・・・・・ネット上のコメントなどのやりとりで、いわゆる他人と交流を持ちたいと思ってる人ってどれくらいいるものでしょうね?
コメントでやりとりして、やりとりの相手とリアルに交流をもとうとするの?
そういう方が主流なのだろうけど、これってさ、出会い系だろ?恋愛関係を求めるか、知人・友人を増やしたいかの差で。
うぜー!一緒にされるのが、うぜー!あほか!
リアルで関わるのはうざいからネットなのに。
情報の交換だけできるだろ?
相手がどこの誰とか性別とか興味ないし。
バカバカしい。
自分と同じ意見を探したいのか、自分がおかしいと思う人に翻意を促すのか、お前はおかしい!と意見をぶつけ合うのか。
他人だぜ?どこの誰とも知らん。
仮に自分は実名で実在の写真をあげていても、そうである保証はできないし、しようとするだけ無駄に個人情報を垂れ流して危険を呼ぶことになる。
ちょっと未だにわかってない人がいるよね。
リアル関係で交友してんじゃないんだからさ。
そういうのだけ求める人は、外部との交流をたっておいたほうがいいよ。
コメント欄の閉鎖が一番。
他人他人、赤の他人。
それこそ知り合いならメッセージでやりとりすりゃいいだろ?
ネットの使い方が分かってないなあ・・・・・。
メル友じゃあるまいし。
みんなネットを何に使う?リアルの連絡手段でないなら、後は検索で調べたり、地図みたり、動画や音楽聞いたり、つまり情報だけだろ?
ではブログは?
何のためにして、何のために見るの?
主張を発信したり、他人がしてるブログを見て人間観察でしょ?
交流もちたいの?
いや、俺は全然そんな気はない。
ちなみに出会い系も”したことがない”。
勝手にネット利用はこうだと決めてかかるのもいいが、俺からいわせりゃ使い方がみんなわかってないだけだろ。
俺も外部からのコメントを遮断してたが、それもアメーバ以外の外部から記入されるというところから、ウイルスなどの記載も可能なのかな?と思ったからセキュリティの面で止めてただけ。
今はアメーバでも外部からでもコメント可能だが・・・・・・別にされないよ。
ちなみに、それぞれが自分がただしいと思ってるんだろうが、学識的に正しいことが書いてあっても、間違えてるよと思うようにレベルも多いと思うよ。
これを異論反論てか?ばかじゃねえか。
ちょっとネットと他人との交流とかいうテーマで解説してみるよ、未だにわかってないのがきっと多いんだろう。
人と人の交流ってなんだ?
面と向かい、相手の風貌を見ながら声を聴いて、お互いに会話をするよね?基本だよね。
このときの会話は、心情の変化や緊張や集中力のなさなどで、声を聴いてても聞いてなかったり、聞いてることと違う意味で解釈することがあるでしょ。
これが文字だと、会話と違って変なことは生じないし、何度でも見返せる。
違いがわかる?
次ね、例えば外国に行き、そこにいる日本人と知り合う。
日本にいると近くの県の人がいれば、遠い県の人もいるのだが、同じ外国のその場所にいるから、交流がもてる。
日本にいれば遠くて会うこともないのに、その時は手で触れられるほど近くにいるわけだ。
ここまではリアルの交流の話し。
さて、これはネットだ。
文章のやりとりだけで、相手の顔も声も風貌も性別も不明だが、情報端末を持つだけで、世界中の人と交流がもてる。
文章でな。
どこの誰とか、どんな人とか関係なく、日本の総理大臣どう思う?などといきなり聞ける。
相手がだれか知らないし、相手が誰だろうと関係ないもの。
関係するの?出会い系?へー。
俺はしてないよ。
日本の総理大臣どう思う?と聞いても別に答えが返ってこなくてもいいが、匿名の場で何を警戒する必要があるのかもよくわからない。
このボケ!カス―!といきなりいうのはどうかと思うけどね、いるけどな、アメーバにも。
これも俺はしたことはない。
日本ではマナーというはじめまして、などの挨拶を必要だというね。
馬鹿だから。
どういう関係?安全だから高校生でも出会い系しなよってこと?すれば。
ちなみにアメーバのメッセージシステムは、実名、住所、電話番号などの文字だと判別するとやりとりができないようになっているらしい。
とちゅからそうなり、今もそうだろうが。
出会い系はできないようにね。
それで、このメッセージもきたことはない、万が一にも送ってたのがいるのならそういうこと。
それにしても、ネット上で文章のやりとりしてさ、友達になったー!なんて感覚には俺はならんよ。
それでブログなどは、そのブログ開設者のパーソナルスペースであるという概念があほうどもにより確立されてるので、事実ブログの管理者のやりたい放題という現実があるので、一応尊重してる。
本当は公平とか、道徳と法の順守というのが基本になるのだが、唯我独尊を基準に生んだブログの一つの概念がある。
そういうのが実情だ。
俺は別に特に道徳や法に反してなければ異論反論のたぐいのコメントなどは正々堂々と提示してあげるけどな。
何のためにコメント欄があるのか?これが分かってないのが多いだけ。
また、異論反論というと、そういうのはいやだとか、嫌いだとか、だからお前はくずだとか馬鹿だなどと、異論や反論の論、つまり内容がない個人の感情がそれだと思っている人もまた多い。
自分が知ってること、こうだと思っていたことと違うから、これは間違いだ、これは正しいなどと、その根拠がなにかも示せずに、あるいは逆に
本来こうだとされているものをどこからひっぱってきた情報かしらないが、こうであると言い出す。
どっちも問題があるんだけどね。
ネット上にあるという呪いのサイトに呪う人の名前を記載すると、うらみをはらしてくれるという・・・・
「いっぺん死んでみる?」
ほらほら、とんでもないことになるからしちゃだめだよ!
死んだら生きていけないでしょ!
ネットをなめちゃだめ!絶対!
なんか、地獄少女はそんな作品じゃないぞ!とかいう気持ち悪い日本の大人がいる・・・・・・。
頭悪。
そうかそうかそんなら手紙で呪う相手の名前を送れ。
それとも、閻魔愛love?うわー、ご愁傷様。
今の日本人の大人がリアルでいやがらせを始めるにあたり、十分な動機と理由がこれだぞ、どうする?困るよね。
もちろんこっちは困ってるけどな。