ワースト総理   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

>アサ芸biz   >自民党総裁選「コイツだけは無理」ワースト総理(3)  ”パワハラ疑惑 茂木敏充の惨憺たる人望   >アサ芸bizの意見・   >11時間・   

>舛添氏は「コバホーク」こと小林鷹之の弱点を指摘して、「真っ先に手を挙げたのはよかったが、言っていることが心に残らない。   

>若者だけに支えられるのではなくて、爺さんたちの機嫌も取らないと。   

>小泉は長老たちにウケがいい。   

>今でも森喜朗みたいなのが力を持っているわけだからね」   

>役人へのパワハラ疑惑が記事になったかと思えば、新幹線で「なべおさみさんですよね?」と乗客に声をかけられ、食べていた弁当をひっくり返して大声で怒鳴ったことまであったというのは茂木敏充だ。   

>「万が一、総裁になったら周りのスタッフ(がご機嫌取りするため)の『茂木マニュアル』がさらに分厚くなるんじゃないですか」(雲水氏)   

 

茂木敏充に関してはそんな話しかないのですかね。  

 

>旧茂木派の茂木と加藤勝信について、舛添氏は「キングメーカー・森喜朗とは正反対」だと言う。   

>「茂木は面倒見悪いし、森喜朗的な『人たらし』の部分がまるでない。   

>学歴もあって優秀すぎるから、自分からバカになれないんですよ。   

>官僚の全員が自分より能力が低く見えてしまう。   

 

これは序列メンタリティによる禍ですね。   

 

>対して加藤は何の面白みもない人。   

>飯食ってても、役人と付き合ってる感じになる。   

>そつがないところは茂木とよく似てますね」   

>雲水氏は、厚労相だった加藤のコロナ対応が頭にこびりついているという。   

>「最初にコロナが蔓延したダイヤモンドプリンセス号で『防護服は特段必要ない。   

>通常の対応ですから』と安易に言い放った。   

>さらには受診目安を『4日以上熱が続く(37.5度)まで自宅待機』というミスアナウンスまでしました。   

>信用なりません」   

>いずれの候補も悪い所ばかりが目立ってしまう。   

 

そうですね。何もしない人は悪いところが無いでしょうね。   

 

>初の女性総理誕生もしきりに話題となるが、「女性が生まずして何が女性でしょうか」の上川陽子しかり、「元暴力団夫」との枕言葉が付いて回る野田聖子しかり‥‥。   

>大川総裁は全候補をブッタ斬る。   

>「俺から言わせれば、全員ミニ悪人。   

>暗殺未遂まである米大統領選に比べれば小さい。   

16年の大統領選では、何の外交経験も政治経験もない一般人のトランプが共和党を乗っ取った。   

>総裁選も国会議員の推薦なんていらないでしょう。   

>例えば、ホリエモンとか豊田章男とか孫正義とかでいいじゃない」   

 

なるほど。政治家は素人で良いのですね。  

 

>「毒をもって毒を制す」ぐらいでなければダメだとして、さらに大川総裁が竹の子候補に詰め寄る。

>「立候補している議員たちも裏金問題などのしがらみが絶対あるから、誰が総理になったとしても外交も政治改革も何にもできない。   

>進次郎が選ばれたとしたら、支持率が少しは回復する。   

>それで選挙して、何となく自民党政権が続いちゃう。   

 

日本人はあくまで無哲学・能天気ですね。   

 

>その繰り返し。   

>自民党が生まれ変わるんじゃなくて、日本が生まれ変わんなきゃいけないんだからね」   

 

そうですね。与党も野党もマスコミも国民も、皆同じ穴の狢ですね。   

 

>「コイツだけは無理」の積み重ねで結局、誰がなっても無理!   

 

そうですね。マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

それでも自民党総裁は決まるのだが‥‥。   

 

そうですね。日本人は不変ですかね。   

 

>(文中敬称略)   

 

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>*週刊アサヒ芸能912日号掲載   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。公文書のフリガナを ‘振りローマ字’ に変えるだけでも、それ相当の進歩に成りますね。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)