>東京新聞 >「国旗の前に、人権守れ」 新宿で「国旗損壊罪」法案に反対する集会 >17時間・
> 参院で審議中の「国旗損壊罪」法案は、国旗への敬意を刑罰で強制し社会の萎縮や自己規制を生むとして、法案に反対する集会が11日夜、東京・新宿駅南口であった。
>参加者200人(主催者発表)が「国旗の前に、人権守れ」「国家は個人の心を縛るな」「違憲立法、権威の暴走」などと声を上げた。
>◆「愛国心が強制されるようで怖い」
> 法案を巡っては罪に問われる要件の曖昧さや、憲法が保障する「表現の自由」の侵害などを法学者らが懸念する中、与党などは国会会期末の17日までの成立を目指す構え。
>集会は平和イベントを催す市民有志グループなどが企画した。
> 冒頭、有志グループの金沢伶さんが「法案には、社会をどんどん萎縮させる空気をつくる本質的な問題がある。
>自由な社会は、敬意を法律で命じることで生まれるものではない」との声明を読み上げた。
そうですね。
> 参加者たちはリレートークで「罰則で心を縛る、愛国心を強制する法律。
>日の丸を損壊しなければ表せない怒りもある」「日の丸には戦争の際に戦意高揚のシンボルとして扱われてきた歴史がある」「いろいろなことが制限される第一歩だと思う」などと訴えた。
> 研究者らの「連帯メッセージ」も紹介され、哲学者で東京大名誉教授の高橋哲哉さんは「今回の法律を許せば、人権から国権へ、民主主義から権威主義への流れがますます強まる」と指摘した。
そうですね。日本人は無哲学・能天気である。しかし情緒には流される。海行かば、、、、ということか。
> 参加した都内の40代女性は「(国旗損壊罪が)『愛国心の醸成につながる』と言った国会議員もいて、強制されるようで怖い」と話した。
勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)
> 法案は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法」で「公然と国旗を損壊、除去、汚損」した場合、2年以下の拘禁刑か20万円以下の罰金を科す内容。
今の国旗は、昔の錦の御旗のようなものですね。民はそれを見て恐れおののくようになるか。
>(飯田克志)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。
わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。現実ばかりがあって非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]
「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人主義がなく、個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。
英米流の高等教育機関において、自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば、独創性が認められると学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)