>朝日新聞 >「若いうちから生の英語に」織田翔希が語ったアメリカ挑戦の背景 >朝日新聞社によるストーリー >・4時間・
> 今夏の甲子園で大会史上最速の156キロを計測した横浜高(神奈川)の右腕・織田翔希(しょうき)投手(18)が15日、日本球界を経ずにアメリカ球界に挑戦する意向を表明した。
>同校で記者会見を開き、決断にいたった背景や意気込みを語った。
> 制服姿で登場した織田投手は記者会見の冒頭、起立して約3分間にわたって堂々と決意を表明した。
> 「昨日までの(日本のプロ野球の)各球団の皆様との面談でもお伝えさせていただきましたが、自分の最終目標である世界一のピッチャーという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました」
> 「このタイミングで行く理由は、やはり一番の困難である『言葉の壁』という部分で、若いうちから生の英語に触れることで、大リーグに上がった際にチームとしっかりと意思疎通を図れる。
>そこが一番かなと思います」
そうですね。意思疎通が一番大切ですね。
> 「日本一になるんだという夢を持って横浜高校に入学し、1年生のころからたくさんの経験をさせていただきました。
>チームの仲間や、たくさんの方々に支えられ、最後まで完走することができ、次は世界で絶対に戦いたいという気持ちが芽生えてきました」
そうですね。世界一への挑戦が大切ですね。日本人は日本一ばかりを言いすぎる。これは序列社会に住む人間の内向き姿勢ですね。我々の経済は世界につながっている。日本は世界の中の順位を下げてはならない。
> 「横浜高校の関係者の皆様、家族のみんな、そしてチームメートや友達、そういった方々への感謝の思いは絶対に忘れずに、これから戦っていきたいなと思っています」
> 「アメリカ挑戦ですが、マイナーリーグもそうですけど、(アメリカの)大学も考えています」
> 「小さい頃はNPBを夢に見て、そこでプレーをしたいという思いがありましたが、横浜高校で素晴らしい舞台で活躍することができて、さらに上の舞台で活躍したいと思えるようになりました」
> 「やってきたことは間違っていないと感じています。
>どの道に行っても、やるべきこと、上を目指していくことには変わりがないと思っています。
>横浜高校で培ってきたこと、たくさんの方々の思いも背負って、アメリカの地で挑戦したいと決断しました」
> その後に報道陣から代表質問があった。
>主なやり取りは次の通り。
> ――時間をかけて今回の決断に至った。
>最後まで織田投手を悩ませていたものは。
> 「U18(18歳以下日本代表)の経験をさせていただいて、初めて日の丸を背負って、国を越えて戦いました。
>その際、トップの選手が集まっていて、こういった舞台でさらに上を目指してプレーしたいという刺激を、その環境からもらい、ここまで悩んできました」
> ――米球界挑戦を決断した理由は。
> 「NPBを経由した方が、メリットは多いかもしれません。
>ですが、世界一(の舞台)でプレーしたいという思いが一番背中を押してくれました」
> 「たくさんの方々とお話しさせていただいて、すごく悩みましたが、やっぱり一番は世界一になりたいという自分の気持ちで決めました」
> ――家族との話し合いは。
> 「お母さんとは、二人三脚のように、つねに連絡も取り合っていました。
>『自分のやりたい道に進んでほしい』と快く言ってくれました」
> ――米球界挑戦を表明した今の心境は。
> 「このような会を開いてしっかりと決断できたので、覚悟を決めて挑戦していきたいなというふうに思っています」
> 「異国の地に行くので、英語や食生活の部分も関係してくると思います。
>野球の環境もそうですし、生活の部分も考えながら(進路を)決めたいと思います」
> ――今後はどんな投手になりたいですか。
> 「横浜高校で愛され、応援される選手を目標に掲げてここまでやってきました。
>これからも、愛され、応援される選手、そしてチームを勝たせられるような選手になりたいなと思っています」
> ――横浜高校で学んだことは。
> 「最初は悩んで、不安もありましたけど、人としての部分もすごく学ばせていただきました」
> 「伝統のある学校で、たくさん応援してくださる方がいる試合で投げさせてもらいました。
>こういう舞台で投げさせてもらうことは本当にめったにないと感じているので、大舞台で投げるマインドの部分というものはアメリカに行っても大切になってくると思います」
> 「横浜高校に来たからこそ出会えた方もいらっしゃいますし、これまでたくさん応援してくださった方もいるので、感謝の気持ちは絶対に忘れずに、恩返しできるように頑張っていきたいと思います」
>(安藤仙一朗)