衆院政治改革   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

>日刊ゲンダイDIGITAL   >自民はやっぱり反省ゼロ「衆院政治改革特別委員会」 ついに初開催も野党も呆れるグダグダぶり   >日刊ゲンダイDIGITALによるストーリー・   >10時間   

>「政治家の言い訳を二度とさせない」「法令順守の意識の徹底が必要」――。   

>自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて設置された「衆院政治改革特別委員会」が26日、初めて開催された。   

>今国会の焦点の一つでもある政治資金規正法改正について自民、立憲民主両党などが意見表明した。   

>「今国会中に制度改正を必ず実現する。   

>政治家の言い逃れを二度とさせないためにいわゆる連座制の導入が必要だ」   

>同委員会で自民党の大野敬太郎議員(55)はこう声を張り上げていたが、野党議員は冷ややか。   

>それはそうだろう。   

>野党案がそろって議員本人の責任を明確化するための「連座制」導入を主張しているのに対し、自民案は収支報告書が適正に作成されたことを示す「確認書」の提出を議員に義務付け、会計責任者が処罰され、議員の確認が不十分と判断した場合は刑罰を科し、公民権を停止するという内容だからだ。   

>「連座(制)もどき」「なんちゃって連座制」「全くヤル気が感じられない」——。   

>野党議員が呆れるのも無理はない。   

>大野氏は「政治家の言い逃れを二度とさせない」と言っていたが、今の状況を見る限り、自民党が本気で裏金事件を反省しているとは思えない。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。だから深刻な反省には至らない。蛙の面に小便であろうか。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

>■派閥の解散届を出したのは1団体のみ   

>「宏池政策研究会、志師会、清和政策研究会、近未来政治研究会、平成研究会について、確認を致しましたところ、昨日、423日現在で政治団体の解散届けは提出されておりません」   

 

日本人には哲学がない。だから、政治家には政治哲学がない。ノンポリ・政治音痴ではどうにもならない。    

わが国は数合わせの論理で政治を動かすしかない。派閥はその為の手段である。だから派閥は解散できない。   

 

24日の参院予算委員会。   

>総務省担当者の答弁は、岸田文雄首相(66)が1月下旬に表明した党派閥の「解散」が全く進んでいないことを明らかにした。   

>最大派閥「安倍派」(清和政策研究会)や二階派(志師会)などの派閥を舞台に繰り広げられた裏金作り。   

>岸田首相は唐突に「派閥解消」を打ち出し、自身の岸田派(宏池政策研究会)の解散を表明。   

>以降、安倍、二階、森山、茂木の各派閥もこれに続いた。   

>政治資金規正法では、政治団体を解散した場合、代表者および会計責任者であった者は、解散の日から30日以内に解散や解散年月日を届け出る必要があるが、岸田首相が解散を打ち出してからすでに3カ月経つのに、いまだに解散届すら出ていないわけだ。   

26日になって、近未来政治研究会(森山派)がようやく東京都選挙管理委員会に解散届を郵送したというのだが、遅すぎると指摘せざるを得ない。   

 

日本人には意思がない。だから意思をまとめる努力が見られない。何事にも’Too slow, too late’ である。     

 

>《泥棒が何をエラソーに再発防止策なんて言っているの》   

>《この期に及んでも抜け穴を探している自民案に意味あるのか》   

>《このまま派閥も解散せず、ほとぼりが冷めたら復活する。今は死んだふり》   

 

全ては漫画の世界の出来事ですね。お陰様で、我が国は漫画・アニメの大国になりました。       

 

>カネの流れを透明化し、違法、脱法行為を犯したら刑事罰を処す――こんな当然で簡単な事を決めるのに一体どれだけ時間をかけているのだろうか。   

 

日本人には毛が三本足りない。    

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかり (きれいごと) を語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。