我慢力   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

>集英社オンライン   >日本社会で高く評価される「我慢力」は、自ら主張しなければ損をするだけという世界のスタンダードにおいてどうなるのか   >オピニオン6時間   

>日本社会では高く評価される、黙々と勤勉に働く「体育会系」タイプは、実は日本人特有の気質らしい。   

>その特徴は、ハリウッド映画に対し、「自分たちが気に食わない表現があると、烈火のごとく怒り、すぐにストライキをする」中国人や韓国人の姿とは対照的だという。   

>日本文化が育む「分相応の壁」を打破するためのメソッドを、書籍『分不相応のすすめ』より一部抜粋してお伝えする。   

 

日本は序列社会で成り立っている。だから分相応が存在する。   

 

>言うことを聞いておけばとりあえずOK  

>就職活動や、その後の社会人生活において、会社から高く評価されやすいタイプとして「体育会系」があります。   

>大学を通じて部活動をしっかりやってきた体育会系の学生が、就職活動に強く、会社に入ってからもビジネスパーソンとして活躍しやすい背景には、それ相応の理由があります。   

> コミュニケーション能力に長けている   

>まず、野球やサッカー、アメリカンフットボールといったチームスポーツの経験から、コミュニケーション能力に長けていて、チームでの情報共有や団体行動に慣れている点があります。   

>会社における仕事は、基本的に個人プレーは少なく、チームプレーがメインです。   

>チームを作り、上司から指示を受け、仲間と情報共有や役割分担をして、課せられた役割を全うする、というのが一般的です。   

>体育会出身者は、そうした働き方に、早くスムーズに順応しやすいわけです。   

> 身体的・精神的にタフ    

>また、身体的・精神的にタフである点も特徴とされています。   

>部活動のハードな練習や試合で鍛えられてきたため、体力も精神力もあらかじめ備わっていることが期待されます。   

>監督や先輩から厳しい指導を受けても、正面から受け止められたり、程よく聞き流しながら上手く対応したりする「タフさ」を持っている人が多いでしょう。   

> 命令を「ちゃんと聞く」   

>組織のルールや上司の命令を「ちゃんと聞く」という点があります。   

>部活動の経験から、年功序列を重んじる価値観が染みついており、ちゃんとルール通り、命令通りに頑張ることができる人が多いのです。   

>厳しくつらい環境にも我慢強いため、「すぐに仕事をあきらめない」「不満があっても文句を言わない」「簡単に会社を辞めない」といった会社にとってのメリットが見込めます。   

> 勤勉性が高い   

>また、勤勉性が高いことから、たとえ報われなくても真面目に働き続けてくれる、という特徴もあります。   

>総じて、会社や上司にとって、「いい部下」「いつも頑張ってくれる」存在で、便利で管理しやすく、それゆえに高く評価されやすい、といえます。    

>大企業向きの「スペシャリスト型」   

>ベンチャー・中小企業向きの「ゼネラリスト型」   

>現状に疑問を投げかけたり、自分の意見を持って反発したりして「変えよう」とはせずに、「言うことを聞いて」と言われれば素直に聞き、言われた通りに頑張る。   

>こうした特徴を持つ人材は、大きな組織で、上下関係や役割分担が明確になっていて、ルールが決められた環境の方が活躍しやすいタイプです。   

>1つの役割を全うする「スペシャリスト型」といえるでしょう。   

>だから、大企業に好まれるし、向いていることになります。   

>このスペシャリスト型と対照的なのが、色々な役割を持って、部門横断的にあれもこれもと組み合わせて対応する「ゼネラリスト型」の働き方です。   

>ゼネラリスト型は、例えば、開発担当であっても、ときに営業や広報の役割もこなして、総合的な対応ができるタイプです。   

>「何でも、すぐに対応できる」という属人的な強みを発揮する中小企業。   

>数人から始まって十・百・千とケタ違いに規模を急拡大させていく中で、役割が横断的になり、またそのときどきの規模や状況によって、流動的に柔軟な対応を求められるベンチャー企業。   

>こうした組織では、ゼネラリスト型の方が働きやすく、活躍しやすくなります。   

>文句を言わず、反抗せずに、黙々と、勤勉に働く。   

 

自己の意思を表せば、当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから、日本人は常に傍観者にとどまっている。孤高の人か。わが国は世界の中にあって世界に属していない。     

 

>こうした体育会系の特徴は、じつは海外から見れば、日本の人に広く当てはまる特徴になっています。   

>その意味では、これまで見てきた話は、体育会系でなくとも、誰もが自分事として考えていいかもしれません。    

 

そうですね。   

 

>日本の描写が間違ったままのハリウッド映画   

>ハリウッド映画では、日本を舞台にした作品が数多くありますが、いまだに日本の描写がめちゃくちゃなものがほとんどです。    

>それに比べて、中国や韓国を舞台にした作品では、現代の中国・韓国それぞれの「間違っていない描かれ方」がされていることが多いといいます。   

>その理由は、「日本人は抗議しない」からと指摘されています。   

>あるハリウッドのプロデューサーは、「日本人は怒らない」から、わざわざ配慮した表現をする必要がないと説明したといいます。   

 

そうですね。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思えですね。   

 

>一方、「中国人や韓国人は、自分たちが気に食わない表現があると、烈火のごとく怒り、すぐにストライキをする」から、そうなってしまうと大変なので、あらかじめ配慮した表現をしておくのだそうです。   

>日本は、ハリウッドが作るままを受け入れるだけで、もし不満があっても黙っている。   

 

日本人には意思が無い。だから指示待ち人間になっている。上意下達の習慣がある。情報は一方通行である。労働者は上からの賃上げを心待ちにしている。      

 

>一方、中国と韓国は、しっかり問題意識を持って自己主張をして、自分たちの主張を通す。   

>また、現在の新しい中国人像・韓国人像を自らハリウッドへ発信して、イメージを自分たちの手で更新していく。   

>こうした「日本とハリウッド」の関係性は、そのまま「日本のビジネスパーソンと会社」の関係に当てはまるものではないでしょうか。   

>黙っていて、自ら主張しなければ、損をするだけであり、「中国・韓国とハリウッド」の関係を目指した方が良いことは明らかです。   

 

そうですね。求めよさらば与えられんですね。Ask, and it shall be given to you.     

 

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文/永井竜之介

(略)

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

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