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今日のテーマは「天下分け目の地、小牧山城 その1」
「関ヶ原の戦い」と言えば天下分け目の大戦として知られています。
東軍西軍合わせて15万人以上が一堂に会した、日本の歴史上最も大規模な戦闘であり、勝利を収めた東軍・徳川家康が幕府を開くこととなりました。
戦国時代を終わらせ天下統一の決定打になったという意味での「天下分け目の戦い」については、「関ヶ原の戦い」よりも「小牧・長久手の戦い」がより重要だったとの見解が示されることも少なくありません。
本能寺の変で横死した織田信長の跡目を争い、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康が衝突したのが1584年のこと。
この両者が直接的に戦ったのはおそらくこの一戦のみで、合戦の詳細は割愛するものの、戦国最強クラスとなっていた徳川軍が戦術的勝利を得たのに対し、調略などを巧みに進めた羽柴軍が戦略的な勝者となり、天下の趨勢は決定的なものとなりました。
秀吉が天下人にならなければ、家康の江戸移封はなく東京という街は存在すらし得なかったかもしれません。
逆に、家康が大きな勝ちを収めていたら、今頃は岡崎や浜松あたりが首都になっていた可能性もあったことを考えると、「小牧・長久手の戦い」の絶妙な決着は、今の我が国の姿にも多大な影響を与えていると言えます。
その「小牧・長久手の戦い」の際に、徳川家康が本陣を置いたのが愛知県の小牧山城。
標高は86メートルですが、周辺が平地のため思っている以上に高さを感じる山です。
尾張北部から美濃に向けた拠点とすべく、織田信長が築いた城といわれています。
本格的な石垣を用いて城郭が作られたのは小牧山城が初めてという説もあるようで、これがなければ安土も大坂も江戸も、そのほか数多ある名城の姿は違ったものになったかもしれません。
次回は、小牧市の現在の様子について。
ほはば飯塚