第七百六十七回 税理士業務を考えるブログ~サッカー王国静岡の歴史~ | ほはば こんな会社です!

ほはば こんな会社です!

ほはばの社員になる前に。
ブログを読んで、ほはばを知ってください。
ラジオでもほはばの日常をお送りします。
「ほはばVOICE」は 右のQRコードから!

ほはばで働きたい!と思ったらいつでも連絡してください!
ほはばは毎日成長し、毎日ひとを募集しています!

業界を良くするために
世の中をよくするために
ほはばが業界の方に続いて一般企業の方々からも学ばせてもらおう!というブログ。

今日のテーマは「サッカー王国静岡の歴史」

全国高校サッカー選手権大会では、清水東高校が1980年大会で準優勝、82年には優勝するなど、80年代の10年間で静岡代表は4回の優勝、準優勝も3回と非常に優秀な成績を収めていました。

また、三浦知良や長谷部誠、名波浩、川口能活など多くの名選手を輩出しており、2021年時点では80人近くの地元選手がプロとして活躍しています。

Jリーグに所属する国内出身のサッカー選手を都道府県別の出身地で見ると、静岡県の選手数はトップレベルで、その中でも98年に開催されたフランスワールドカップでは、22人中10人の出身校が静岡県でした。

このことからも、静岡県のサッカーがいかに盛んだったかがわかります。

そして、静岡県藤枝市はサッカースポーツ少年団発祥の地としても知られています。

1924年、藤枝市に旧制志太中学校(現・藤枝東高校) が創立された際に、初代校長がサッカーを校技に取り入れたことがきっかけの一つ。
当時は野球を校技とするのが一般的な時代で、異例な取り組みでしたが、それ以来、志太中学校サッカー部は数々の大会で優勝するなど活躍し、サッカー文化が根付いていきました。

そして、スポーツ少年団制度が発足したあと、藤枝サッカー少年団は64年にサッカー少年団として全国初の登録を果たし、67年には清水市内で日本初のサッカー小学生リーグが開催されています。

高校サッカー選手権大会などでの驚異的な成績から、サッカー王国としてのイメージを定着させてきた静岡県ですが、2000年代に入ったころから勢いがやや落ちてきました。

07年、藤枝東高校が準優勝してから19年に静岡学園高校が優勝するまで、優勝や準優勝のタイトルは獲得していません。

この要因として考えられるのは、ポテンシャルの高い選手たちが、ジュビロ磐田や清水エスパルスなどのユースに入団することでプロへの道を進んでおり、高校の部活でプロを目指す風潮が変わったという点があります。

プロについては、J1の年間リーグ優勝3回、カップ優勝7回、国際カップ優勝2回など数々のタイトルを誇る名門ジュビロ磐田が13年、J2に降格。

また清水エスパルスも15年にJ2降格を余儀なくされるなど、 静岡サッカーは低迷期に入っていました。

しかしながら、現在はジュビロ磐田、清水エスパルスともにJ1に復帰し、J3でも藤枝MYFC、 アスルクラロ沼津が昇格を目指して活動しています。

最近は静岡学園高校卒の2名がジュビロ磐田、清水エスパルスに入団するなど、高校サッカーとプロクラブが連携しながらサッカー王国の更なる発展に取り組んでいます。

今後も歴史あるサッカー王国静岡の新たな発展に期待です。

ほはば飯塚