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今日のテーマは「サッカー王国静岡の歴史」
全国高校サッカー選手権大会では、清水東高校が1980年大会で準優勝、82年には優勝するなど、80年代の10年間で静岡代表は4回の優勝、準優勝も3回と非常に優秀な成績を収めていました。
また、三浦知良や長谷部誠、名波浩、川口能活など多くの名選手を輩出しており、2021年時点では80人近くの地元選手がプロとして活躍しています。
Jリーグに所属する国内出身のサッカー選手を都道府県別の出身地で見ると、静岡県の選手数はトップレベルで、その中でも98年に開催されたフランスワールドカップでは、22人中10人の出身校が静岡県でした。
このことからも、静岡県のサッカーがいかに盛んだったかがわかります。
そして、静岡県藤枝市はサッカースポーツ少年団発祥の地としても知られています。
1924年、藤枝市に旧制志太中学校(現・藤枝東高校) が創立された際に、初代校長がサッカーを校技に取り入れたことがきっかけの一つ。
当時は野球を校技とするのが一般的な時代で、異例な取り組みでしたが、それ以来、志太中学校サッカー部は数々の大会で優勝するなど活躍し、サッカー文化が根付いていきました。
そして、スポーツ少年団制度が発足したあと、藤枝サッカー少年団は64年にサッカー少年団として全国初の登録を果たし、67年には清水市内で日本初のサッカー小学生リーグが開催されています。
高校サッカー選手権大会などでの驚異的な成績から、サッカー王国としてのイメージを定着させてきた静岡県ですが、2000年代に入ったころから勢いがやや落ちてきました。
07年、藤枝東高校が準優勝してから19年に静岡学園高校が優勝するまで、優勝や準優勝のタイトルは獲得していません。
この要因として考えられるのは、ポテンシャルの高い選手たちが、ジュビロ磐田や清水エスパルスなどのユースに入団することでプロへの道を進んでおり、高校の部活でプロを目指す風潮が変わったという点があります。
プロについては、J1の年間リーグ優勝3回、カップ優勝7回、国際カップ優勝2回など数々のタイトルを誇る名門ジュビロ磐田が13年、J2に降格。
また清水エスパルスも15年にJ2降格を余儀なくされるなど、 静岡サッカーは低迷期に入っていました。
しかしながら、現在はジュビロ磐田、清水エスパルスともにJ1に復帰し、J3でも藤枝MYFC、 アスルクラロ沼津が昇格を目指して活動しています。
最近は静岡学園高校卒の2名がジュビロ磐田、清水エスパルスに入団するなど、高校サッカーとプロクラブが連携しながらサッカー王国の更なる発展に取り組んでいます。
今後も歴史あるサッカー王国静岡の新たな発展に期待です。
ほはば飯塚