第七百一回 税理士業務を考えるブログ~楽都郡山 その1~ | ほはば こんな会社です!

ほはば こんな会社です!

ほはばの社員になる前に。
ブログを読んで、ほはばを知ってください。
ラジオでもほはばの日常をお送りします。
「ほはばVOICE」は 右のQRコードから!

ほはばで働きたい!と思ったらいつでも連絡してください!
ほはばは毎日成長し、毎日ひとを募集しています!

業界を良くするために
世の中をよくするために
ほはばが業界の方に続いて一般企業の方々からも学ばせてもらおう!というブログ。

今日のテーマは「楽都郡山 その1」

郡山市は福島県中央部に位置し、東北地方では仙台市、いわき市に次いで第3位の人口規模。

歴史的には、1873年に安積開拓がはじまり、猪苗代湖から水を引く事業で全国から技術者や人員を確保し、1882年に安積疎水が完成。
この通水により、日本初の長距離高圧送電に成功し、工業用水や電力の確保で製糸・紡績業が発展しました。

現在は、首都圏から新幹線で約90分、鉄道や高速道路も縦横に交差するエリアと 交通の便もよく、商業都市としての機能を有している、そんな郡山市ですが、実は音楽とともに栄えてきた都市でもあります。

第二次世界大戦後の郡山は、工業団地の開発など企業誘致もあり、工業都市として人口が急増。その中で暴力団抗争が激しくなるなど、「東北のシカゴ」といわれる時期もありました。

一方、歌で国民の心が癒され、全国規模で「素人のど自慢大会」が人気を博す中、郡山市では本格的なオーケストラの演奏会実施などの機運が高まりました。
1954年には、郡山音楽協会と郡山青年文化協会主催による「NHK交響楽団公演」の開催がきっかけとなって、著名団体の公演や音楽会などが開催され、いつしか郡山は「東北のシカゴから東北のウィーンへ」「音楽都市 郡山」などと称されるように。

64年の「十万人コーラス運動」、66年の「二十万人コーラス運動」といった市民活動も活発となります。
その後も72年には郡山市がモデルとなった映画「百万人の大合唱」が公開。74年には当時日本で最大規模となる野外ロックコンサート「ワンステップフェスティバル」も市民を中心に開催されました。

これらの活動実績もあり、郡山は音楽都市としての礎を築き、合唱・合奏の音楽教育も活発となりました。
郡山市内の小中学校では、各学校に1団体の合唱部、合奏部を組織し、高校、大学、大人の団体など各年代でも合唱や合奏に触れ合うことが出来る環境も整備。

その後も、小中高等学校での音楽活動や、ママさんコーラスなど大人が活動する団体の継続もあり発展を続けます。 
2008年に「音楽都市」を宣言し、現在も全国大会に出場した郡山市内の団体や個人による「トップコンサート」、全国大会金賞受賞団体による「全国合唱祭」、フロンティア大使で指揮者の本名雄次氏と著名なオーケストラによる 「ふれあいコンサート」、フロンティア大使で作曲家の湯浅譲二氏作「安積山の歌」の合唱など様々な音楽活動を行っています。

次回は、コロナ禍での音楽活動について。

ほはば飯塚