第六百九十九回 税理士業務を考えるブログ~学問の神様 菅原道真と神戸~ | ほはば こんな会社です!

ほはば こんな会社です!

ほはばの社員になる前に。
ブログを読んで、ほはばを知ってください。
ラジオでもほはばの日常をお送りします。
「ほはばVOICE」は 右のQRコードから!

ほはばで働きたい!と思ったらいつでも連絡してください!
ほはばは毎日成長し、毎日ひとを募集しています!

業界を良くするために
世の中をよくするために
ほはばが業界の方に続いて一般企業の方々からも学ばせてもらおう!というブログ。

今日のテーマは「学問の神様 菅原道真と神戸」

学問の神様と言われる菅原道真は、平安時代に学者・歌人・政治家として活躍した実在の人物。
5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し神童と称されました。

その後も18歳で文章生、23歳で文章得業生、38歳で文章博士など、学者として出世を続け、宇多天皇からは右大臣にまで重用。
ただその後は、謀反を計画したとして大宰府へ左遷され、失意のまま現地で亡くなります。

ところが、京の都では道真の左遷を謀略した藤原一族に変死怪死が続出。御所清涼殿の柱に雷が直撃し多くの貴族が焼死するなどして、「道真公の祟り」と人々は恐れました。
そこでその怨霊を鎮めるために道真を神として祀る神社「北野天満宮」を造営、学問の神様として崇められるようになったといいます。

北野天満宮は全国約1万2千社の天満宮、天神社の総本社ですが、神戸北野異人館街にも「北野天満神社」があります。
北野坂を登りきったところに鎮座し、神戸三宮を一望する「天空の神社」とも呼ばれ、北野の地名の発祥となった神社です。

この神戸の地には、道真が都を落ち大宰府へ赴任する道中、地元の人々が失意の道真をもてなした逸話が多く残ります。

菅原道真が大宰府へ左遷される船路の途中に上陸し、船をつないだ松だという「菅公船繋の松」。

「板宿八幡神社」は道真が大宰府に向かう途中のある夜、須磨の浦の波が高かったため舟待ちすることになった折、里人たちが現在の神社境内に雨露をしのぐために板で作った簡単な宿を用意して道真をもてなしたそうで、これが「板宿」の地名の由来となっています。

天満宮聖跡二十五霊社の一つ「綱敷天満宮」の伝承も「板宿」と同じく嵐で舟待ちをしていたとき、漁師たちが網の大綱で円を作り、休んでいただいたことにちなんで創建。
縁起物も多く、巨大な茄子に腰を掛けると何でも願いが叶うという「なすの腰かけ」「なす」の花は一つの無駄もなく実を結ぶこと、また 「成す」 という語呂が縁起を含みます。「波乗り祈願像」は須磨の海でサーフボードを抱える幼少時代の道真公をモチーフに制作されました。
「波乗り祈願」 とは、成功 を収めるために、うまく時流の波に乗ることを祈願するものといいます。

大宰府への失意の道中にあった道真公を精一杯もてなした神戸の縁の地に、その思いを馳せながら訪れてみると、より一層ご利益が増すかもしれません。

ほはば飯塚