おまけ編です
法要後、函館空港へ送って頂きながら、松前観光協会の方と松前城資料館の久保先生に、いろいろな史跡をご案内いただきました。
久保先生は、松前町の歴史の第一人者です。
箱館戦争、特に松前の戦いについてもお詳しく、土方軍の行軍ルートなど勉強になりました。
最初に私のお願いで、松前公の歴代墓所にお寄りいただき、お参りさせて頂きました。今回、旧幕府軍側だけでなく、やはり新政府軍側の墓所にも手を合わせたいと思いました。
そのあとは、折戸浜台場あとへご案内いただきました。
折戸浜台場は、松前手前にあり、江差方面から南下してくる新政府軍を阻むには、最後の砦となった台場です。
風車(?)の立っている平場が折戸浜に設けられた台場跡。
ちょうど木古内駅前のモニュメントに絵図が紹介してありましたので、画像をお借りして載せてみます。
右下の平場が上の写真の平場と一致する場所です。
(どちらも原史料:函館市中央図書館所蔵です)
実際にその場に立っていると、学校の校庭くらいはありそうな平場になっています。
明治2年の戦いで旧幕府脱走軍は、ここに砲台を設置し、新政府軍の海陸からの攻撃に対し、「ここを抜かれたら松前になだれ込んでくるぞ。」と防戦しました。
数十年前、開発のために崖を切り崩したところ、新政府軍の軍艦より放たれたとみられる砲丸が出てきたそうです。
向かいには松前小島が見えます。
折戸浜台場を後にし、
久保先生は、「明治元年の11月、土方軍は白神岬の海側から攻めてくると予測した松前藩は海沿いに陣を張って待ちぶせたけれど、実は当時3つあった道のうち、遠回りして一番山側のルートから進軍してきたんだよね。」
と、旧道をご案内くださいました。
敵の予想の裏をかく戦術をとる土方軍。
小さい頃から喧嘩強い歳三さんの勘どころでしょうか。
結構幹線道路沿いに旧道は遺されていて、GWには旧道ウオークなる催しもあるそうです。
歳三さんの通った道を歩いてみたくなりました
(土方資料館も忙しい時期なので、当分予定は立てられませんが)
そして、その時でした
クマが、停車していた車のすぐ前(1メートルないくらい?)を、たかたんっと軽やかに横切って、すぐ脇の繁みに入りました
「く、熊だ」と地元のお二方も驚きが隠せない様子
…逃げもせず。エンジン音とか自然界ではありえない音がしてるのに怖くないのかな?
車に乗っている私たちをしばら〜く眺めた後、ザザザと熊笹の繁みの中へ消えて行きました。私たちも、クマを刺激しないようにと静かに発進しました。
あーびっくりしました。
人生初のヒグマとの遭遇です
久保先生によると、おそらく3歳くらいの子グマ。独り立ちしたばかりで、母親がついていなかったから良かった。あれで母子連れだと、母親がすごく攻撃的で危険なんだそうです
少し前には人間の生活圏に近寄ることはなかったそうですが、ちょうど前日にも木古内駅のそばのスーパーの近くで熊の目撃情報があったとニュースで報じられていたそう。
もしかしたら、だんだんと人間の生活音に熊が慣れ始めてきているのかなと思いました。人間に危害があれば、罪ない動物も射殺されますし、どちらにも良いことはないので、なるべくお互いテリトリーを守って共存できると良いですよね。
しかし、ゆったりした動きで
「のっしのっし、がおー」
のイメージのあったクマでしたが、実物はめっちゃ身のこなしが軽く機敏さもあって、狙われたら一瞬で捕まりそうでした
しかし、全員無事で良かったです。
暖かい時期の北海道はアスファルトのあるところでも、何があるかわかりませんね。
(鹿、飛び出しとかもよくあるようですし)
いつも道南の台場跡を訪ねると思います。
雪の積もる前にと、旧幕府脱走軍はたくさんの台場を作っています。雪解けを待って新政府軍がやってくると、きっとわかっていたから。
しかしながら、新政府軍との攻防より以前に、見張りの兵士など、道南の厳しい自然との戦いではなかったかと。
寒さ、束風、動物たちとの闘い…
銃砲の響く戦場までは熊は近づかなかったでしょうが、台場などの持ち場で寒さをこらえ昼夜見張りをする隊士たち、行軍の間のハプニングなど、苦労はしのばれます。
そんな事柄にも思いを馳せ、帰路に着きました
最後に人生初体験のおまけつきで、
今回の旅、いろいろな意味で忘れられない旅となりました
長くなってしまいましたが、最後までお読みくださった皆様、
お付き合い頂きましてありがとうございました
終わり