4月14日(土)姫路獨協大学・はりま会主催のはりま歴史講座
「明治維新の勝者と敗者・西郷隆盛と大鳥圭介の時代」全10回講座
の第1回「大鳥圭介と土方歳三」を担当させて頂きました。
講座では、200名弱の方がご受講下さいました。
大鳥圭介さんのご出身地・播磨國にて、
大鳥圭介、土方歳三について話す機会を頂き、
ご受講の皆様、姫路獨協大学様、はりま会様に、感謝申し上げます。
今回、有りがたいことに
大鳥圭介保存会長である小林ご夫妻様にお誘い頂き、講座の前日に、
大鳥圭介さんの生誕地である上郡町(かみごおり)を訪ねることが出来ました。
その旅、目からウロコの連続でしたのでご紹介したいと思います
姫路から乗換えながら30分くらい。
「イノシシと鹿が人間より多いような限界集落なんですよ。」と伺っていたのですが、
確かに自然豊かなのどかな景色
上郡駅前にはどーんと大鳥圭介さんのご紹介が。
町役場の前には、大鳥さんの銅像どーん
地元の英雄なんですね。
ちなみに銅像は明治100年を記念して建てられたと記載があります。
車で10分ほどで生家あとに到着。
生誕地は、現在再建されて「いきいき交流ふるさと館」として、
大鳥圭介にまつわる史料を月二回第1/3日曜日に展示しています。
集落のみなさまが沢山集まってくださり、温かく出迎えて下さいました。
嬉しく、なんだかはずかしく
この日は特別開館して頂き、猪尾塾長様に丁寧に案内して頂きました。
猪尾塾長様は長年コツコツと資料をまとめられ、お子様向けの紙芝居から、
大鳥圭介に関わった沢山の人物の特別資料ファイルまであり、
「これ、大鳥圭介さんに興味があるなら外せない!」が目白押し。
貴重な史料も
勿論大鳥さんの七言絶句の漢詩のお軸や書額なども沢山ありますが。
生家跡ならではのゆかりの品。
大鳥圭介さんのお医者さまだったお父様の診療カバン
大鳥さんが用意した、日清講和条約調印時に使用された硯
日本側の代表は、外務大臣・陸奥宗光。
そして、産湯の井戸もそのままに遺され
子ども向けの紙芝居も、クオリテイが高いです
天保の飢饉で、天保3年生まれの大鳥さんは
幼少時代とても貧しい環境のなか、工夫して食糧を調達して育ったとか
楽しみは近くの滝ツボで沢ガニをつかまえて食すことだったとか
近くの川では鮎が取れたとか
相撲大好き少年で、一度負けた際には、すご〜く悔しがったとか
箱館戦争後の獄中時代は、自分の作った牢獄に榎本武揚、相馬主計、荒井郁之助らとともに、
4畳半に7人で入牢するハメになったなんて事も。
(その後明治政府に必要な頭脳を持った人物として、後半生は日本の発展のために活躍します)
男爵になっていても、大伯母さんに叱られたら、「ごめんなさい」と素直に謝ったとか
皆さん、お気付きになりました?
そうなんです
どれもこれもエピソードが歳三さんとかぶりすぎ
(歳三さんも親戚のおばあさんに「ぼた餅も食って行く余裕が無いんじゃ戦に勝てんよ!」と一喝されて素直〜にいただきますをしたエピソードがありますね)
こちらをたずねるまでは、私のなかの大鳥さんは、お医者さんの家に生まれて幼い頃から一流の教養を身に付けた御坊ちゃまで、エリート街道まっしぐら、最新歩兵術も頭に入っているスーパーインテリ、のイメージでした。
でも、故郷に伝わる大鳥圭介さんは、歳三さんと同じように、川で遊んで相撲を取ったガキ大将で、のびのび育った人物
目からウロコのエピソードを沢山伺い、
とーっても親近感を感じてしまいました。
やっぱり、実際に訪ねてみないとわからない事、
感じられることって沢山ありますね
陸軍奉行大鳥圭介、陸軍奉行並土方歳三は、
結構気の会うコンビだったのではないかな〜と感じました
来月の5月4日は「圭介まつり」が催されるようですよ。
お近くの方は、ぜひお出かけになって見てはいかがでしょうか。
素顔の大鳥圭介さんに出会えますよ〜