歳三さんの名前 | 土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

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土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

現代の感覚からは理解できないのが、


「なんで昔の人(いろいろな時代をひっくるめて)って

あんなに沢山いろんな名前を持っているの!?」


ということではないでしょうか?


幕末の頃も、


幼名(幼い時の名前)」だの、

通り名(俗名)」だの、

いみな(武士としての正式名称みたいな、名乗りのようなもの)」だの、

雅号(句を読んだり書を書いたりするときの名前)」だの、


一人の人物なのに、名前が沢山…


「こんがらがりますーあせる

と若い方などからよく質問を受けるので、

歳三さんの名前を整理してみますねp(^-^)q


歳三さんは、「宗門人別帳(江戸時代の戸籍台本みたいなものです)」

には、「土方歳蔵」と必ず登場してきますので、

多摩時代の名前は、「土方歳蔵」と書くのが正しいんですね。


で、上洛すると手紙なんかほとんど

「土方歳三」の表記になりますので、本人が

ゲンを担いで漢字を変えたのかどうかは分かりませんが、

京都以降は「土方歳三」と書くのが正しく、

この漢字で世間一般では通っています。


どちらも、「ひじかたとしぞう」ってよむのは

変らないんですけれど…(*^ー^)ノ


それと、俳句を読むとき用いた雅号は

「豊玉(ほうぎょく)」です。


これにはおそらく、

「豊かな玉川」の意味が込められていると思います。


ちなみに、お兄さんの良循(りょうじゅん)さんの雅号は

「玉州(ぎょくしゅう)」で、ここにも玉川の字が出てきます。


それと、男子には一番大事な「諱(いみな)」ですが、

歳三さんは「義豊(よしとよ)」でした。


土方家は、代々男子の諱には「義」の字を用いるのが慣わしなんですね。

義大、義徳、義諄、義厳、義喬

(家系図には代々源氏と記してあります)


そこで、戒名も勿論

「歳進院殿誠山義豊大居士

(さいしんいんでんせいざんぎほうだいこじ)」

と、諱が使われています。


それと余談ですが、家督を相続した土方家の家長は

「土方隼人(はやと)」と名乗ります。

いわゆる「世襲名」ですね。

歳三さんも甲陽鎮撫隊の頃、

「内藤隼人」という偽名を用いているのですが、

これはきっと、この世襲名からとられたものでしょう。


愛称としては、俳句の要五先生は「とし君」と手紙に記しているので、

目上の人達からは「トシ君」と呼ばれていたかな?


では、ふるさとの人達は歳三さんをなんと呼んでいたでしょう?

「トシさん、トシさん。」と親しみをこめて読んでいたそうです。


現在の我が家では、専ら「歳三さん」です。

子供たちは「トチゾー!」などと呼んでおります。

皆さんは、歳三さんのことについて調べていくと、

いろんな名前に遭遇して混乱するかもしれませんが、

そんなときはぜひ

上の水色の各名前を思い出してくださいねニコニコ


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