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和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

始めにエホバ(神)は七日間でこの地球を創造した。

そしてその地球を支配させるためご自分の姿に似したヒトを創造した。最初のヒトの名はエバ(人類の母)次にアダム(人類の父)

地球はヒトが苦労をしない状態であった。草木は生い茂り、あらゆるものが完全であった。
唯一神がヒトに約束をなされたこと
「真実の実を食べてはならない。」
ヒトは地球の支配者たるよう創造されたが神の立法つまり聖書は絶対であった。

神の世界には御使いという霊者がいる。これは神のしもべである。ちなみに最初に創造した御使いがイエスである。
その御使いの内にサタンがいた。
サタンは自分が神のように崇められたいと思った。
そこで、神にあなたがヒトに崇められるのはヒトの喜ぶことをしているからではないかという命題を提示。


これが現代の現状に影響することになる。

サタンはエバに行った 。
真実の実を食べると自分で判断できる(立法作成権)を得、神に等しき存在になれるから神は食べてはいけないと言ったのだと。
そしてエバはそそのかされその実を食べてしまう。
続いて夫であるアダムも食す。
ここでヒトは罪を犯した。
神の法に背いたのである。

現代の人類はすべてアダムとエバの子孫(アダムとエバは後にエデンの園を追放され、子を産む。最初はカインとアベル。カインの嫉妬心からアベルは殺害される。この後等比級数に悪が蔓延。そこで神が人を一掃しようと考えた。しかし、義にかなっており、かつ代の人々の中で咎のない者であったノアに箱船を作らせ生き物をそれぞれ二匹づつ入れるよう命じる。有名なノアの箱船である。後続の話として言語を混乱させるバベルの塔の話がある。つまり、悪は駆逐されなかったのである。)であるからその罪を生まれる前から被ることになる。

ここで神はサタンの示した命題を証明するためどんなことがあろうと神を信じる人間がいることを示さなければならなくなった。
そこで神の立法とヒト自らの立法(現代の法律など)つまりサタンの立法どちらを信じるかを我々に問い掛けるため、一時政権をサタンに譲り今がある。

ここで一つ問題が生じることは明らかだろう。
それは我々が既に罪を被っているということである。
これでは公正な判断はできない。
そこで、神は第一のしもべイエスを下界に転生しその命と引き換えに全子孫の罪を贖ったのである。
これがイエスの贖罪の意味するところである。



「聖書 新世界訳」発行者《ものみの塔聖書冊子協会》(主に創世記)より

用いている団体「エホバの証人」







「迷彩」「意識」は対になっているものとする。
無理心中を試みた男女の内面世界を描いたもの考える。
歌詞の漢字に関しては「加爾基 精液 栗ノ花」に準じる。

「迷彩」の一人称は女性、「意識」の一人称は男性と通例言われているが、今回描いているものが人の内面世界であることを考慮すると、男女の性の境界線は非常に曖昧であると考える。よって、互換性があるもとする立場に立って考える。
しかし、解釈においては支障が出ないため、一人称は先のものに準じる。
歌詞の中にそれが示す意味を括弧の中に示す。

今回は綺麗に対をなす詩という観点から解釈してみる。
と言うのは対句が一人称の転換を示すもの(精神内の二面性を表すとも捉えられるが、二項対立という意味で解釈に支障は出ない)であると考えたからである。
今回は先に女、後に男の発言(意識)であるものとする。
その根拠は「白い手」に他ならない。


女:頭が有れば要(淋しさや恐怖)は簡単に片付いて
子供と呼べば汚されないで済むのさ


「子供」は最後のほうの歌詞である「幼児」と同じであると考える。すると、「子供」だからこそ許されることもあることを示しているのか。

僕に少しの光合成 君に似合ふ遺伝子を
ヒトは仕様の無いことが好きなのだらう
「嘘ヲ吐クナヨ」


人ではなく「ヒト」なので生物学的意味合いを含む。それならば、「仕様の無いこと」とは性交を意味するのではないか。
余談だが、光合成(こうごうせい)という言葉にも「せいこう」という音は含まれている。
「嘘ヲ吐クナヨ」がどこに掛かり、誰による発言なのかは問題だ。
これは敢えて括弧内にあるのだから、一人称とは別の誰かの発言であると考えられる。
ここは我々聞き手に対してという可能性もあるが、文脈が全くない中でのこの発言は意味をなさない。よって、唯一の別の登場人物である男の発言(意識)であるとする。


(子供のように)泣いたら何だつて此の白い手に入りさうで(想定)
答へ(本心)なら純粋だ 惹かれ合つてゐる こんな風に君を愛する 多分


騙し合うことは可能性としてはあるけれど、それはあくまで想定でしか無く、実際には本心で人間関係は構築されているはずと思い込んでいるということではないだろうか。

男:幾つに成れば淋しさや恐怖は消へ得る
子供(の心)を持てば軅て苦痛も失せるのか


歳をとれば生きる苦悩から逃れるすべを得ることができるのか?
逆に童心に変えることで逃れることができるのか?(自分の子供を持つことでとも解釈できる)
どちらなのだろうか。


君が慕ふ思春期と 僕が用ゐる反抗期
最早語呂を合はすことが好きなのだらう
「嘘ヲ吐クナヨ」



一見すると、「君」と「僕」の不一致を象徴するのかなと考えた。
しかし、よく考えてみると「思春期」と「反抗期」はどちらにせよ、自我の芽生えによる保護に対する抵抗によるものと考えることができるのではないか。

とすると、次の「最早語呂を合はすことが好きなのだらう」は完璧なまでの対句に対する皮肉ととれなくもない。
二項対立を異常なまでに意識しているけれど結局言っていること(光の当て方が違うだけ)も発言者も一緒なのか。
真相は一人による独白か。



(子供のように)泣いたらどんな法も覆して願望通り(確信)
答へ(本心)なら残忍だ 騙し合つてゐる こんな風に君は愛する 多分


一人による独白だとすると、人間の両面性を示すのがこの詩の意味するところなのではないか。
対句となっている一節はともに人間に内在する。どちらか一方では嘘になる。
「嘘ヲ吐クナヨ」とはものごと一面性だけ(人間を美化し、あるいは醜化しすぎた思考)で判断するな、ということなのか。

やっかいなのがこのあとに挿入されている「嘘ヲ吐クナヨ」である。
歌詞カードには書かれていないのだが、実際には歌われている。しかも強調されている感がある。
「最早語呂を合はすことが好きなのだらう」であったらいいのに。だが、筆を取った以上何らかの解釈を示すことが使命だとも感じる。
ここで以前の可能性が答えを導いてくれるかもしれない。
つまり、この「嘘ヲ吐クナヨ」こそが歌い手である椎名林檎から聞き手である我々に投げかけられたものではないか、とういうことである。
メロディのつなぎとして用いただけかもしれない。
シンメトリーを崩してまで伝えたかった何かがあったのかもしれない。
しかし、歌詞カードには書かず、敢えて挿入した真意は推し量ることは困難だ。




まう是以上知つて 眠らない夜(相手はいない)と心中未遂(自殺)
思ひ出に酸化した此の含嗽薬 迷彩


先に行っておくがこの二行の解釈は無理矢理である。
では、苦しいかもしれないがいってみよう。
自分が無知であることを知って自殺を試みるように感じた。
そのせいもあって、「含嗽薬」が睡眠薬にしか思えない。

無い物(生きるための道標) 頂戴なんて憤ってゐる幼児同様
お母様 混紡(二面性のある意識)の僕を恥ぢてゐらつしやいますか


【種類の異なる繊維をまぜ合わせて糸につむぐこと。】(大辞林)
解釈の上でこの言葉がこの詩が二面性を表す第一の根拠となった。

君が愛した 僕

入り口と出口で様変わりしてますがご了承ください。
思考回路をそのまま書き下ろしたものとして読んでいただけると幸いです。
この様子ですと「迷彩」も二面性による独白とも考えられる。
「迷彩」「意識」は対になっているものとする。
無理心中を試みた男女の内面世界を描いたもの考える。
歌詞の漢字に関しては「加爾基 精液 栗ノ花」に準じる。
「迷彩」の一人称は女性、「意識」の一人称は男性と通例言われているが、今回描いているものが人の内面世界であることを考慮すると、男女の性の境界線は非常に曖昧であると考える。よって、互換性があるもとする立場に立って考える。しかし、解釈においては支障が出ないため、一人称は先のものに準じる。
歌詞の中にそれが示す意味を括弧の中に示す。

「ねえ一一層遠く知らない街に隠居して沈黙しませぬこと?
 こんな日々には厭きたのさ(厭世観)  ねえだうぞ攫つて行つて」
 

 人付き合いに嫌気がさし、自分のことを誰も知らない土地に赴き、唖のふりをすることで関係を一方通行し、意見の衝突を消極的手段で解消する。



 (人間関係から)逃げ延びて水密桃(人間性)に未練 砂みたいな意識と云ふ次元で

 水蜜桃について
(花言葉「天下無敵・チャーミング・私はあなたのとりこ」桃には邪気を祓う力があると考えられている。『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。)人間性の象徴か。
 砂について
【細かい岩石の粒の集合。主に各種鉱物の粒子からなる。通常、径2㎜以下、1/16㎜以上。】(広辞苑第五版より)
「砂の粒の大きさにはほとんど変化はなく,1/8mmを中心にほぼガウスの誤差曲線に近いカーブを描いて分布している。」
「世界は砂みたいなものじゃないか・・・・砂ってやつは、静止している状態じゃ、なかなかその本質はつかめない・・・・砂が流動しているのではなく、実は流動そのものが砂なのだ」
「年中しがみついていることばかり強要し続ける、この現実のうっとうしさとくらべて、なんという違いだろう」(安部公房「砂の女」より)
砂に対するイメージは流動し続け、生物を拒絶すること。


  逃げ延びた暑さよ(人間的暖かみ)何邊へ 揺れ(動揺)が生じ

一旦離脱したものの人間らしさが失われることに恐怖を覚える。


其の尽 怠惰に委ねた最後の青さ(蒙古斑)

【先天的に発生する幼児の、主に仙椎の部分の皮膚にでる薄青い灰色の母斑のこと。発疹の様に見える。通常3~5歳で消失する。通常、所々に現れるか、一つの大きなものが、腰椎、仙椎、臀部、脇腹、肩に現れる。胚の発育の段階で、真皮内のメラノサイトが神経堤から表皮までの移動する間に受ける刺激によって発生する。性差は認められず、男女とも同じ割合で発生する。真皮メラノサイト(蒙古斑細胞)は、生後の種々の色素病変に関係する。太田母斑、口唇裂に合併した蒙古斑、後天性太田母斑様メラノージス、色素血管母斑症などである。】
歌詞を聴いて最初に思いついたのが蒙古斑。人間の名残みたいなものか。ここは苦しい解釈。言ってしまえば、私個人のイメージ。

もう還らないと知つた温度(人間と認識されうる特性)も超へられぬ夜の恐怖色


人間と対等に関係することをやめたため、人間と認識されうる特性を失いつつある。個体としての意味を失い、種としての意味(繁殖)が表に出てくる。それに恐怖を覚えるが、後戻りできない。

境界に澱む(傍観者として世界と関わろうとしていた)でゐた决心の甘さ

たうに喪つた岸壁(心の壁、個体としての自我)打つは


引いてくれぬ後悔と涛(掛詞「涙」)の色


(非人間的世界を)待ち侘びて凍る(掛詞「馨る」)馨は混凝土 (無機物、無機質な世界)

待ち侘びて凍る(希望であった非人間的世界に恐怖する。)
馨る馨は混凝土(無機的な世界)



砂みたいな意識と云ふ器官で

待ち侘びた寒さ(無機的世界、非人道的世界)よ何邊へ 揺れに動じ(動揺)


此の儘 愛情(温、愛)に模した修正ペンの白さ(冷、精液/生殖)

死んだ有機物から生きた無機物へ(安部公房「壁」より)


现状を必死で繕つては剥いだ素肌に恐怖色

これは文字通り。建前と本音。

傍観に徹してゐた感慨の淡さ

たうに喪った雷雨(涙)仰ぐは泣いてくれぬ残忍な雲の色(黒、闇)
雷雨→雨が降らない
涙→泣いてくれない
涙が涸れた。感情を失った。