沈黙は発言である | 和して同ぜず

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頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

政治問題、歴史問題に関しては、「沈黙は発言だ」。


まず、価値判断が学問の中に含まれていることを前提とする。
これは立場を取るため(研究の対象とする事象を決めるため)です。


僕は社会の中にいるのだから、発言することは社会に働きかけているということになる。

現実に現在進行している問題に対して賛成も反対もしないことはありえない。
少なくとも民主主義社会では、沈黙することは、現在進行している問題の容認であります。





専門家でないからといって意見できないとするなら、問題を容認することになりますが、それも専門外の行動だからできません。
したがって沈黙は僕にはできない。
話すこともできないし、沈黙することもできない。




なんてこった。お手上げです。






だから、専門外のことで意見はありません、というのは嘘。
僕は虚構にすがりつき、判断停止に陥っていた。

判断停止は、政治社会問題においては、現状維持に傾く、つまり、保守主義が強くなるということ。


政治に無関心を決め込み、中立的でありたいと願った私は、保守への指示発言を常にしていた。


政治に失意を抱けは抱くほど、『現状維持に私は助力します』と僕は躊躇なく声高らかに叫んでいたのか…





さて、これからは能動的に発言しなければならなくなった。