大江健三郎「芽むしり仔撃ち」 | 和して同ぜず

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頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

 大江健三郎(以下大江。)の作品の中で私が始めに手に取ったのは、「死者の奢り・飼育」であった。読了後の恐怖感は今でも鮮明に記憶している。私は、この作品には人の感性をねじ曲げる力を秘めていると感じたのだ。大江がこの作品を執筆した年齢は、私とほとんどかわらないことも私に畏敬の念を抱かせた原因の一つである。大江と同時代を生き、ともにノーベル文学賞受賞者候補となった人物として安部公房(以下安部。)があげられるが、私にとっては仏の安部、修羅の大江というふうに感じられた。安部の作品を読んでいる際には、神秘的体験の追体験を誘導してくれるように感じるのに対し、大江の作品を読んでいる際にはあたかも直接体験しているかのようにさえ錯覚してしまうほどの強烈な心理描写で常に威嚇されているように感じるからである。ではなぜ、今回再び大江の作品を読もうと思い至ったのか。それは、暫定的ではあるが、読後、前述した感情を抱いた作家が大江ただ一人であったからである。
さっそくだが「芽むしり仔撃ち」の解釈を始めたい。まず内容を簡単に説明する。
 「太平洋戦争の末期に、感化院の少年達(何らかの前科を持つ)は山奥の村に集団疎開する。その村で少年達は強制労働を強いられ、伝染病が発生した為に少年達を残し村人は隣の村に避難し、出入り口(物理的にはトロッコ)は閉鎖されてしまった。彼らは“自由の王国"(大人の監視が無い状態)を建設しようと試みる。その後、村で暴力的な事件が発生し、少年達と村人との間で対立する構図が出来上がる。村長が戻って来て、少年達は座敷牢に閉じ込められる。村長は村での少年達の狼藉行為(住居への無断侵入)を教官に通知しない替わりに、村人達はいつも通りの生活を送っていて、伝染病も流行していなかった事にしろという取引を持ち掛けて来た。少年達は当初は反発したが、一人二人と村長に屈服して行く。最後まで村長に抵抗する意志を捨てなかった「僕」は村から追放される。」
問題となるのは物語の最後に村を追放された「僕」がその後どうなったのかである。以下、順を追って説明する。
【(非)意図的な大人からの解放(社会からの離脱)】
 (非)意図的としたのには理由がある。集団疎開の道中に幾度も脱走を試みている。これが意図的な社会からの離脱である。一方で、親元への引き取りに期待をし、村に置き去りにされたことに対して怒り、恐怖を覚えている。これが非意図的な社会からの離脱である。
【自閉的生活(社会的無関心)】
 始め、子供たちは監督者(大人)が不在のため、行動及び判断基準を喪失し、途方に暮れる。(大人の保護の喪失の実感)が、「異常ではあるがきわめて自然」に行動を起こしはじめる。これが自由の獲得であり、自律の始まりでもある。ただし、「僕」だけは不安を拭いきれないでいる。「僕らは時間の執拗な遅滞と谷間を覆う静寂に苛いらし疲れ始めていた」(p.81)社会的無関心による大人や社会の影響の否定を表面上なものにすぎないことを自覚しているのである。なぜ「僕」だけ自覚に成功したのか。それは、彼が死に対して深い洞察(絶望感、閉塞感、恐怖)を持ち、疫病が死を現実みのあるものに変化さしているからである。また、村の中の唯一の大人である兵士に、社会的無関心は卑怯で無責任ではないかと指摘される。これに対して、「僕」は社会的無関心の強行を主張する。なぜか。村の中で日常(大人の保護が不要な世界)が取り戻され始めたからである。「兵士との間には高い障壁があってそれを乗りこえることができない。兵士はおどおどしているくせに村の中へ外部を持ちこんでいて、今となってそれにこだわっていた。大人になりかけの奴、大人になった奴、それらは始末におえない、と僕は余裕にみちて考えた」(p.124)
【絶望(社会的無関心の限界)】
 突然、「僕」の愛人である少女が発病し、死ぬ。これを機に、「僕」の中に再び死が現実みを帯びてたちあらわれることになる。「彼(兵士)の声はふいに年長者らしい重みと冷静さをもっていた」(p.136)「疫病、その言葉、たちまち厖大に葉をひろげ根をはびこらせて村をおおい、嵐のように猛威をふるって人間たちをうちひしぐ言葉が子供だらけ取りのこされた村で初めて現実みを帯びて喉から叫きだされたのだ」(p.139)これらの表現から、少女の死は、社会的無関心の限界をしめすとともに、大人への主導権の譲渡を象徴している。「それ(犬)が僕にはすさまじく繁殖する病菌の塊のようにさえ見えて来るのだ」(p.142)
 もう一つ象徴的な事件がある。それは、これまで死、感化院の子供たち(「僕」を含む)と対照的に描かれ、「僕」の心の支えとなっていた弟への「僕」の裏切りと弟の失踪である。社会的無関心に限界があろうと、主導権が大人に渡ろうと、絶対的心の支えが存在したおかげで、自己を保つことができたわけであるが今はその精神的支柱を失ったのである。「僕はすっかりどんづまりにおちこみ、むせび泣きながら暗い夜の道に屈んで汚れた雪をかきあつめるしかなかった」(p.147)
【安堵(社会復帰)】
 村人が帰還してくる。これも突然のことである。はじめ、自由の束縛以上に疫病という恐怖からの解放に喜ぶ。「温かい湯のように裕な安堵の感情が湧きあがって来るのをうけとめた」(p.151)その喜びもつかの間、子供たちは捕虜のようなあつかいを受け、無断で村人の住居に侵入したことを責められる。「たちまち狂躁的な昂奮は暗い不安に落ちこみ変質した」(p.154)ここで、子供たちは“捕虜のよう”ではなく本当の“捕虜”となっていたことが次の文章からうかがえる。「俺たちは村を支配し所有していたのだ、と僕はふいに身震いにおそわれて考えた。村の中へ監禁されていたのではなく、俺たちが村を占拠していたのだ。その俺たちの領土を俺たちは抵抗一つしないで村の大人にあけわたしたあげく、納屋に閉じこめられてしまっている」(p.157)
 村人は子供たちに言論弾圧をおこなう。これは過去をはっきり見ないでことをすませようとする大人のずるさをあらわす。大江の言動から察するに、なし崩しの大勢順応主義による戦後処理批判ともとれなくもない。なんにせよ、社会に対する反抗である。「不思議な厭らしさにべとべとする安堵、ぎこちなくしっくりしないしこりを残した未成育な安堵が僕らの中へ入りこもうとした」(p.170)はめこまれることことほど屈辱的なことはないとも言っている。「開きかかっていた蓋が急速に固く閉じた」「僕らはうまくはめこまれようとしていたのだ」(p.171)
【闘争(社会に対する意思表明→抵抗→手段の模索)】
 「村長と彼の背後の荒あらしい人間たちへの恐怖に目をくらませ貧血しながら、しかし喉をいっぱいに拡げて叫んだ『俺たちはだまされないぞ、お前のいうことにだまされて、はめこまれたりはしないぞ、お前こそ俺たちを甘く見るな』」(p.172)ここで社会に対して宣戦布告している。つまり、新しい生き方の模索の第一歩を踏み出すことを決意したのだ。しかし、「僕」は絶対的な精神の支柱を失っている。また、村での不安感、焦燥感、無気力感から、社会には関与しなければ生きていけないことを悟っている。「僕は閉じこめられていたどんづまりから、外へ追放されようとしていた。しかし外側でも僕はあいかわらず閉じこめられているだろう。脱出してしまうことは決してできない。内側でも外側でも僕をひねりつぶし締め付けるための固い指、荒あらしい腕は根気づよく待ちうけているのだ」(p.179)

 今までは知らずとも大人の社会の中に居座っていた。だから、自律しなければならない今、なにをすればいいか見当もつかないのである。「僕には兇暴な村の人間たちから逃れ夜の森を走って自分に加えられる危害をさけるために、始めに何をすればよいかわからなかった」(p.179)
「僕は歯をかみしめて立ちあがり、より暗い樹枝のあいだ、より暗い草の茂みへ向かって駆け込んだ」(p.180)
ここにきてようやく結論が提示される。この後「僕」はどうなったのか。文章を見る限り絶望的状況である。しかし、今まで見て来たような解釈に当てはめると、新しい生き方の模索であり、自律のための通過儀礼でもある。そうであるならば、簡単に死んだとは想像しづらい。むしろ、殺してはいけないのではないか。新しい生き方の創造と自律を促す作業の可能性を否定してしまっては、自らを否定することにつながる。だから、「僕」を生かそうと努力することが私の先の問いに対する答えである。