時々ある | さらさらと

さらさらと

さらさらと流れて生きてますinHungary

クリスチャンになって、かれこれ4年。

教会に通い始めて、かれこれ7年。


その中で、過去2回ほど、小さいのと大きいのと、

いわゆる「信仰にめざめた」経験があり、

特に、その大きいほうの昨年経験したのは、

これは神様の介入が無かったら、

もう私は生きてなかったな、ってくらいでかかった。


毎週、旦那さんと教会に通い、礼拝に参加してるわけですが、

ま、しんがぽーに来てからは礼拝が英語なので、

60パーセントは、何言ってるのか分からないけど(苦笑、

日本語教会のほうで、それを補う形をとってる。


いろんな牧師先生がお話をしてくれるけれど、

毎回毎回、確かに大切なお話だけれども、

いつもいつも、あ、これが必要だったんだ、

と感じるわけではない。

(牧師先生によっては、お話が下手で、

結局何を伝えたいのか分からない事も多々あるし・・・)


時々、ほんとに時々、

意識的にしろ無意識的にしろ、

何か考え事があって、何かを探している時、

牧師先生の言葉のどこかに答えやヒントが隠されているのを感じる。


今日がそれ。


日本から来ている牧師先生のお話の中に、

まさに、今自分が抱えている問題の解決策、

というか、

そこを考えなきゃいけないんよ、

と言うヒントが感じられた気がする。


新たに生まれた疑問や、解決策と思われる何かを、

もう少し自分の中で吟味し、

旦那さんと話し合ってみよ~っと。


うん、今日は、あのあまりにも雰囲気の悪い日本語教会に、

今日お話をしてくださった牧師先生が、

新風を吹き込んだ感じ。


だって、いつも灰色の教会内が、

今日は、薄いピンクがかった黄色だったもん。


人のパワーってすごい。


私は、この日本語教会を去ろうと思っていたけれど、

彼女のパワーを感じ、

何か変化させることができるかもしれない、

って、もう少し残りたくなったもん。