ケンカ投法 by 東尾修 | 「ライオンズ・西鉄・大鵬・目玉焼き」

「ライオンズ・西鉄・大鵬・目玉焼き」

西鉄ライオンズからの歴史を大切にしたい、小学校時代からの長ーいライオンズファン。ライオンズを中心とした野球談義が好み。
野球を介して社会問題も考える。

去年の11月30日発行となっています。この題目で、今頃かい?って思ったけど、なんせ東尾の話なので、本屋で見つけて、即買いました。
子供の頃からライオンズ
私のプロ野球の原点、「西鉄ライオンズ」出身の選手(OBですが)の話しは、中々ないので貴重です。

この本で始めて気づいたこと、、いくつかありましたが、その最たるものは、1969年(東尾入団一年目)に、

あの稲尾と、池永と、東尾が投手として3人が一軍にいたという事実、、、今となっては、夢のような世界です。

涙が出そう。。。稲尾現役最後の年だったそうです、、、1969年、、、私、ファジーに言えば、大学生、、。


本を読む時は、後でポイントを探す時に便利な様に、殆ど赤線を引きながらですが、「ほうほう、、へえ~♪」って所が多いので、赤線だらけになってしまいました。


稲尾のビンタ

池永との事、、、ケンカ投法の師匠。先輩池永と、可愛がられた東尾の友情、、、私、涙

稲尾からスライダーを学び、

河村からシュートを習い、(河村を知ってる人、いれば嬉しいですけど、稲尾の高校の先輩で、西鉄ライオンズで

活躍した気の強い投手です)

木樽と成田からフォームの勉強をした

江夏からは、オールスターの時、膝を柔らかく使う練習方法を習った

スライーダーが投げる球の70%だったけど、外スラ、内スラ等がどうやって産まれたか

阪急の最強時、上田監督時代、バッテリーのサインに「デドボール」もあったという話し

200勝をやった1984年、福岡からタマエ婦人と子供の理子も応援に来た(理子まだ9才)

松坂をドラ1で入団させた時の話し

等々、他にも色々と、、、

西鉄ライオンズ入団時の可愛い写真も載っていました、、、この時から背番号21番もらってたんですね、、さすがドラ1!。


p.s.1968年秋のドラ1ですが、契約金の事も書いてありました。

契約金1,000万、年俸180万だったそうです。

雄生の契約金は忘れましたけど、年俸は1,500万、、、40年で約8倍!

ちなみに、サラリーマンとの比較を自分を例にやってみました、、、東尾と私、年が近いので、、、

40年前当時、、、東尾 180万、大卒サラリーマンの私、約60万円、、、プロ野球vsサラーマン格差約3倍

今、、、雄生 1,500万、大卒サラリーマンの年俸、、、約350万円前後かな?として、、格差約4倍

う~ん、、ファジーだけど、あまり変わってないのかな?比較対象が間違ってたかも。。ゴメン。