「美」と「個性」の関連性、そして「類稀な美」への先入観について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

本来、ヨーロッパの古典的なÄsthetik(美学)やKunstphilosophie(芸術哲学)の理論では「Schönheit『美』とはBalanze「均整」とHarmonie「調和」と Einheit「統一感」を有し、そして 非凡で類稀な存在である。」と定義されている。

ドイツの美術史家Johannes Jahn(1892~1976)先生が編集した”Wörterbuch der Kunst” (芸術辞典)の中で Ästhetikについて >Die Lehre vom Wesen, den Bedingngen und Erscheinungsformen des ästhetischen Empfindens, einer Ureigenschaft des Menschen, die zwar vorzugsweise im Bereiche der Kunst zur Geltung kommt, über diesen aber weit hinausreicht, da auch die Natur und viele ihrer Erzeugnisse Gegenstände ästhetischen Empfindens werden können.< (美学とは:人間の根本的個性から起因する美的感覚による条件及び現象の本質に関する学問の事。 其れは特に芸術分野の意義(価値)に該当し、更に此れより広義に発展する。 何故なら「自然」と其の産物も美的感覚の対象となるからである。)と記している。

ドイツの哲学者Friedrich Jodl先生(1849~1914)は其の著書"Ästhetik der bildenden Künste"(造形芸術の美学)の中で”Der ästhetischer Zustand"(美学的状態)とは>Erschließt sich am besten das eigentümliche Wesen der Kunst und die Forderungen, die erfüllt sein müssen, damit irgend ein Produkt künstlerische Tätigkeit in seiner spezifischen Weise wirke, d,h. den Genießenden oder die Genießenden in den ästhetischen Zustand versetze.< 

(芸術の独自の本質と其の要求が最高に満たされるべき事を解明し、此れにて(芸術家の)特殊な手法による何らかの芸術的作品が生かされ、其の後、愛好家を又は愛好家が「美を感じる状態」に持ち込む事。)と記している。
故に多大な才能を持つ人容姿の美しい人確固たる個性を持つ人は「類稀な存在」として高い価値があると見なされる。
故にIndividualität(個性)やEigenschaft(自分らしさ)Oliginalität(独創性)を重視する西洋諸国では前記の様な人や物は当然の事ながら高く評価されるのである。
人間では「顔」が美しい事に関しては西洋でも東洋でも同様に重宝されるのだが、「体形」に関してはヨーロッパとアジアでは感覚や評価が些か異なる様である。
西洋では既にギリシャ、ローマ、インド各国の紀元前の古代文明や文化に於いてKörperliche Schönheit「肉体美」を強調するÄsthetisches Bewußtsein(美意識)が存在していた位である。
此の「美的感覚」は欧米諸国の文化に於いて今も尚継承されており、男性の筋肉、そして女性の豊満な乳房や尻はKörperliche Schönheit「肉体美」又はSexual Charm「性的魅力」の象徴として賛美されるのである。
一方、日本では古より伝わる「謙譲の美徳」の精神が影響してなのか、集団社会の中で余り目立つ事、浮き立つ事を逡巡する人が多いし、又「肉体美」を強調する様な服装を下品で不謹慎と見なす事がしばしばである。
故に、豊満な体形の女性も自分の肉体を誇らしげに強調した衣服を身に着けるどころか、寧ろ自分の大きな胸にKomplex(引け目、劣等感)を感じる人も少なくないらしい。

参考に日本の大手下着メーカーの全国的な調査、統計によると、何と日本人女性の約67.2%がバストサイズA、B、Cカップ以内に属していると言う意外な事実が判明している。
中でもBカップが33.2%と全体の3割を占めているのである。
其れ以上のバストサイズを挙げると、Dカップ:17%、 Eカップ:9.4%、 Fカップ:4.8%、Gカップ:1.2%、 Hカップ:0.2%、 Iカップ:0.1%となっている。

(※俗にE、Fカップを「巨乳」、G、 H、Iカップを「爆乳」と呼び、日本人女性では極めて少ないのである。)
此の様な事情から日本では豊満な体形の女性用の衣服、特に下着は大量生産されていないので、此れに該当する女性達は衣服や下着の選択肢も自ずから制限され、購入費用も平凡な女性より高くつくらしい。
「極端な体形」に関しては「超筋肉質」の余も同じ事で、普通の上服では胸や肩や腕が窮屈なので(場合によっては)ボタンを少し外にずらして縫い付けたり、ズボンではウエストが広過ぎるのでいつも知り合いの仕立て屋さんに頼んで3cm程詰めてもらっている。
しかしながら余ですら日本国内で生活している時には此の類稀な容姿を見せびらかしたり、誇張する事はなるべく控えている。
かつて余が画家として個展を開催していた頃(1994~2016年)でも、日本では自分の姿をマスメディアを通じて一度たりとも公開しなかったし、展覧会期中も決して会場に姿を見せなかった。
何故なら芸術家が其の(美しい)容姿を売り物にして「名声」や「人気」を稼ぐのは、才能の足りないの者の仕業だと思うし、余は自分の才能だけで勝負したいからである。
其れどころか余は日常生活に於いても親しい人を訪ねる以外の外出時にはいつもサングラスをかけ、手袋をはめているのである。(但しマスクは生理的に受け付けない。)


余が大好きな「爆乳美人」と言われる女性はどうしても其の希少性から、一般的に群を抜いた"Sexual Symbol"「性の象徴]、又は"Sexual idol"「性的偶像」として男性に注目され易い様である。 
実にSexual Charm(性的魅力)、Sexualität(性的能力)を売り物にしているグラビアアイドル、又はPorno女優には「巨乳美人」「爆乳美人」が多く見受けられる。

(此の事は東洋西洋共に共通している。)
一部の低俗な男共の間では「爆乳の女性達は知能が低い反面、性欲が強い、故に口説けば直ぐ性的関係を持てる」と言った下卑た事実無根のVorurteil先入観)が浸透している様である。

とは言え人の好みは「十人十色」「千差万別」で、男性の中には「爆乳」を大き過ぎて不細工だと感じる人もいる。 

此の様な男性は自分が貧弱な体形をしている事が多い。
詰まり人間は意識的に自分に釣り合った相応しいPartner(相手)人を選んでいるのである。
だが実際「爆乳」の女性達に尋ねた処、自分が度々男性からの注目を浴びるのを意識しているので、其の分だけ胸の平板な女性よりも遥かに男性に対する警戒心が強いと同時に、近付いて来る男性が多い経験から、自ずと「人を見る目」が出来ている様である。
他方で前記の下卑た事実無根のVorurteil(先入観)は、該当する女性達には失礼且つ迷惑至極なのではないかと思えるのである。
ただ豊満な体形と言うだけで、いやらしい見方をされたり「性のはけ口」として付け狙われるのでは、彼女らはたまった者ではないのではなかろうか!
人間は成程自分の好きな物事を理想化する傾向があるのだが、余は自分が大好きな「爆乳美人」の中にも清純で真面目で自分の「純潔」や「貞操」をきちんと守れる人は必ず居ると信じている!恋の矢

此れに関しては男性も似たり寄ったりで、余り容姿が美し過ぎると、もてるどころかかえって(※一部の)女性からは、「遊び好き」だとか、「軽薄」だとか、「好色家」だとかと言ったVorurteil先入観)で評価されてしまう事がしばしばである。
心理学的に考察してみると、此の様な容姿が際立つ男性を敬遠する女性は、往々にして自分自身が性的魅力に欠けているか、又は過去に容姿の良い男に騙されたり、裏切られた等の苦い経験のあるのいずれかである事が多い。
ついでに書くと、一緒になる男性の条件として一番に「経済力」を挙げる女性は、自分自身が下賤の生まれであるか、現在も低所得で貧しいかのいずれかであると考えて間違いない。
この様な女は往々に金目当ての打算的な性分であるので、「富裕層」又は高収入の男性を付け狙う傾向があるので、該当する男性は警戒する必要がある。



(又してもいつもの様に自惚れた事を書くのだが、)此の論文を書いている余自身は顔が彫の深いフランス風の美人顔で、体は身長173cm、スリーサイズはB:105、W:68、H:93(cm)、上腕周り:37cmの所謂「超筋肉質」なので、自ずと知れた類稀な容姿である。
此の事に関しては日本人の親類、友人、知人達のみならずドイツ人の友人、知人達にも認められているのである。
余は自分の類希な容姿があるのは親からの遺伝子とウェイトトレーニングや格闘技の練習を長年続けただけでなく、其れに伴う学術的な事(例:Anatomie(解剖学)、Psychologie(心理学)、 Ernährungslehre(栄養学)、Sportmedizin(スポーツ医学)、Meditation(瞑想)、等)も学んで来た成果であると確信している。


ドイツの天才文学作家Friedrich Schiller先生(1759~1805)は其の書簡集"Über die ästhetische Erziehung des Menschen" (人間の為の美学的教育について)の中で>Durch gymnastische  Übungen bilden sich zwar atheletsche Körper aus, aber nur durch das freie und gleichförmige Spiel und Glieder der Schönheit. Ebenso kann die Anspannung einzelner Geistkräfte  zwar aueßrordentliche Temperatur derselben glückliche und vollkommene Menschen erzeugen.<(体操やトレーニングによって成程スポーツマンらしい肉体を養成出来るが、しかし其れだけでは自由で同型の運動と美しい身体の各部だけである。同様に精神力を鍛える事によって卓越した気質と幸福で完全な人間を作り出せる。)と記されている。
とは言え余は日本独自の保守的な考え、習慣の根強く残っている地方の古い町のど真ん中に住んでいる事もあって、どうも余は類稀な容姿のみならず、随分とお洒落(又は個性的な)格好をしていると思われている様である。
此の様な状況から余はもてるどころか、寧ろ周囲の大部分の庶民からは「近寄り難い」、「風変わりな」ないしは「住む世界が違う」人と思われている様である。
其の上、自分と容姿の釣り合う前記の「爆乳美人」にとことんこだわっている故、お陰で余は未だに自分に相応しい女性に縁が無いのである。

ショボーン嗚呼、情けない!我が人生の最大の慙愧!残念!無念!)

ドイツの諺に”Jeder Hans finidet seine Grete" (どんな男でも相応しい女を見つける)と言うのがある。

(※此の諺は場合によっては日本の「割れ鍋に綴じ蓋」の様な意味にも解釈される。)
「其れならば幾分妥協して身近な女性を受け入れれば良いではないか。」と言う意見もあるのだが、何分此ればかりは余が10歳の頃よりの憧れ、希望である故、妥協は出来ないのである。ラブ


一般の人達に「人間が共に生活を営むに於いて、最も重要な要素とは何か?」と聞いてみると、男女共に「誠実」「優しさ」(思いやり)「信頼性」「価値観の共有」「真面目」「向上心」等を挙げている。
此の事については古今東西、往々にして共通しているのである。
要するに「容姿の美しさ」等は左程重要な要素ではななく、寧ろ「有れば良い」位でしかない。
詰まり外見上の(肉体的な)美しさよりも、内面的(精神的な美徳の方が遥かに重要で優っていると言う事である。
(※家柄と容姿に自惚れる高慢な性格の余は此れを重く受け止めて「自己反省」をしなければならない!)
余がドイツで(芸大)学生時代に当時大家で友人のH.Berthel氏から以下の様な「小話」を聞いた事がある。
Es war zwei Männer wer sich befreundet.  Einer wird später heiraten, dabei zwei Frauen sind Kandidaten.  Eine ist schön aber böser Charakter,  noch Eine ist nicht schön aber guter Charakter.
Einer fragt >Welche nimmst Du davon?<  noch Einer antwortet>Ich nehme die Frau nicht schön aber guter Charakter.<  >Aber warum?<  >Weil, Schönheit bleibt nicht länger, doch guter Charakter bleibt immer.<
和訳:
「ある所に友人関係の男が2人いた。其の内1人が近々結婚を考えているのだが、候補の女性が2人いる。 1人は美人だが性格が悪い、もう1人はスベタだが性格は良い。
「お前はどっちを選ぶんだい?」と1人が聞くと、もう1人がこう答える「俺はスベタだが性格は良い女と結婚するよ。」「そりゃ又、どうして?」「だって、美しさなんて長くは続かない、けど性格の良さはいつまでも残るからさ。」
(※此の小話はHochmütiger Narzisst(高慢な自惚れ屋)の余にとって大変印象深い物であった。いい歳をして容姿の美しさに固執して其れを維持しようと、今だに「悪あがき」しているのだから・・・・・家柄と容姿しか取り柄の無い者は此の程度の事しか出来ない。) 
扨、全国の弁護士や裁判所の統計にも出ている事なのだが、驚いた事に平成時代以降に結婚した夫婦の内、何と32%が離婚しているのである。
かつて日本は先進国の中でも突出して離婚率の低い国であったが、状況は時代の流れと共に変わる様である。
其の最たる原因として挙げられるのが、夫の浮気(不倫)と妻の浪費(散財)なのだそうである。
同ブログの余が以前書いた記事『心理学チェックリスト「友人、恋人、配偶者にするに悪き者」』

にも書いている事だが、異性にだらしがない、浮気者、そして(無茶な)借金をする、又は浪費する者は「結婚生活」と言う長丁場を乗り切るには相手として最も不適当であると断言出来るのである。
此れはCharakter(性格)の良し悪しよりも寧ろ Moralität(道徳観) と Persönlichkeit(人格)の問題ではなかろうか?



医学の分野で観察すると、ドイツの高名な精神科医で心理学者のErnst Kretschmer先生(1888~1964)は人間のCharakter性格)をPykniker(躁鬱質)、Leptsomer(分裂質)、Athletiker(スポーツマン質)、 Nervös(神経質)、 Paranoische(過信質)、そしてHysterische(ヒステリー質)の6種類に分類し、これ等の人間のCharakter(性格)がKonstitution(体形)と密接な関連がある事を提唱し、理論と実例に基づき証明されている。
例えば「爆乳」の女性は往々にして全体的に肉付きの良い体形で、肌はきめ細い「餅肌」で、血色が良いのである。
これ等の特徴から豊満な体形の女性はPykniker(躁鬱質)の性格の人が圧倒的に多いと診て間違いない。
*Pykniker(躁鬱質)の性格の特徴として、社交的、楽天的、温和、現実的、感情的、積極的、気分屋、調子に乗り易い、等が挙げられる。
又、Physiognomik人相学)に於いても同様に、「巨乳」「爆乳」の女性は往々にして丸顔で、顔の造り(目、鼻、口)も丸みがあり大きい事も認められる。
此の様な顔、体形を俗に「タヌキ型」と名付けている。
逆に「タヌキ型」とは対照的な「キツネ型」は顔が面長で目や眉が細く、鼻や唇も薄いのが特徴である。
又、体形も瘦せ型で華奢な上、肌は艶が無く青ざめている人が多いので、Leptsomer(分裂質)性格の人が多いと見受けられる。
*Leptsomer(分裂質)の性格の特徴として、非社交的、悲観的、冷淡、理(夢)想的、理性的、論理的、生真面目、消極的、等が挙げられる。
更に其の他のCharakter(性格)について解説すると、

*Athletiker(スポーツマン質)は其の名の通り、体形は筋骨が強靭でがっちりとしており、肌はきめが粗目である事が多い。
此の性格の特徴として、道徳的、模範的、規則的、習慣を重んじる、忠実、向上心がある、粘り強い、考えが固い、等が挙げられる。

*Nervös(神経質)の性格の特徴として、神経質、敏感、謙虚、繊細、丁寧、控えめ、気配りが出来る、悩み易い、等が挙げられる。
*Paranoische(過信質)の性格の特徴として、過信質、自意識過剰、信念が強い、凝り性、思い込みが激しい、融通が利かない、等が挙げられる。
*Hysterische(ヒステリー質)の性格の特徴として、勝気、自己中心的、虚栄心が強い、目立ちたがり、態度が変わり易い、見掛け倒し、利己的、等が挙げられる。

Kretschmer先生や後の心理学者達の調査、統計によると、これ等のCharakter(性格)は1人の人間に単独で存在するよりも、寧ろ複数の組み合わせで存在する事が多い様である。
例えば余の性格は自己分析すると、Leptsomer(分裂質)とAthletiker(スポーツマン質)の混合の様である。


Kunstmarkt von Heinrich Gustav   
All rights reserved