京都・宇治の『平等院・鳳凰堂』の歴史と絵の制作、及びお盆の話 | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

2017年6月29日以来制作している京都・宇治の『平等院・鳳凰堂』が、7月18日に思いの他早く完成した。
平等院は永承七年(1052)に摂政関白・藤原頼道公が、父・道長公から譲り受けた別荘「宇治殿」を寺院に改築する事によって開基される。
元来長きに渡り天台宗に属していたが、天和元年(1681)以降、寺社奉行の裁定により天台、浄土宗の二宗によって共同管理される事になり、現在は単立寺院となっている。
「鳳凰堂」は平等院の開基の翌年の翌天喜元年(1053)に建立された、平安時代の建築の最高傑作の一つである。
日本では前記の1052年以来、釈尊の入滅後2千年以降に仏教が衰退し、世の中が乱れると言う、所謂「末法思想」が流行する様になった。
而も同時期に異常気象、飢饉、動乱、戦乱、等が多発した為、国内情勢は一層不安定になり、国民の不安と厭世的な考えは更に広まった。
其れ故、当時の皇族、貴族達は祖国と国民の救済、及び「極楽往生」を願って、「平等院」以外にも大規模な寺院の建立を推進して行った。
京都の「六勝時」と呼ばれる円勝寺、延勝寺、最勝寺、成勝寺、尊勝寺、法勝寺は其の代表例であるが、後の洛中に於ける戦乱や災害によって、これ等の大寺院は全て焼失、又は廃寺となり、当時の寺院建造物で原型を留めているのは、『平等院・鳳凰堂』唯一つとなっている。
其の平安時代後期の建築技術の粋を尽くした完成度と壮麗さは正に見る者を圧倒する。 
まして此れを描くともなれば辟易するに到るのである。

1990年に余が初めて当時院を参拝し撮影した時には、当時の我が作品の主題はドイツ一辺倒であった故、まさか将来自分が此の絵を手掛ける事になろうとは努々思わなかった。
余が撮影した当時は「鳳凰堂」(正式には阿弥陀堂)は柱や梁の塗料(弁柄)や壁の漆喰が風化していたし、向かって左側の背景には、昭和40年(1965)に建設された「宝物館」の屋根が見て取れる。
しかし「鳳凰堂」は2012年9月3日~14年3月31日まで、屋根の葺き替え、柱や梁の塗り直し、屋根飾りの鳳凰の金拍張り等の大規模な修理が行われた。
そして其の斜め後ろ(境内南側)に立つ「宝物館」も老朽化に伴い解体され、2001年に其の跡地に「鳳翔館」と云う名の新しいモダンなデザインの宝物館が開館している。
其れ故に、今日の「平等院・鳳凰堂」は1965年~2012年までの時代とは外観が多少異なって見えるのである。
其れでも余は自分が初めて撮影した時の写真と1960年代後半に発行された絵葉書を元に、絵の制作を行った。


此の作品には相当な手間暇を要し、1か月以内に完成するのは到底不可能だろうと思っていたのだが、実際描き始めると、制作は自分でも驚く程快調なペースで進み、(15日目の)7月13日の時点で空と鳳凰堂を殆ど描き上げてしまったのである!
一番手間のかかる鳳凰堂が出来上がれば、周りの風景は比較的簡単に出来るので、このまま進めば17日ないしは18日頃には完成すると見込んでいた。
今年の徳島県・鳴門市ドイツ館に於ける我が個展『ドイツの教会と日本の天台寺院』(第2集)2017年12月1日(金)~2018年1月21日(日)に出品する作品は一応全て揃っているのだが、此の作品は必ず人目を惹くであろうから、是非とも出品しようと思っている。

既に此の絵は我が母上からの要望で、彼女の事業所に常設展示している。

流石に『平等院・鳳凰堂』は観光名所として、国宝、UNESCO世界遺産として、そして10円硬貨の図案としても極めて有名なので、我が館を訪ねて来る友人、客人達は誰もが皆此の絵を『平等院・鳳凰堂』として認知してくれるのである。

 

因みに7月14、15、16日は本来仏教では「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言い、経典「仏説盂蘭盆会経」が元になって成立した法要日であり、俗には「お盆」と呼ばれ、仏教檀家にとっては最も重要な先祖供養の日である。
此の名前の由来はサンスクリット語の"ullambana"がもじれた物である。
一般的には8月15日前後にお盆を行うのが習慣になっているが、其れは何故かと言うと「明治維新」以降の近代化が進む以前は日本国民の大半が農業に従事していた為、7月中旬は田んぼを中心とする農作業(全て手作業)が大変忙しかったので、お盆の準備もままならなかった。
そこで、農作業が比較的楽になる8月中旬に延期したと云う訳である。
「盂蘭盆会」の起源になった物語は以下の通りである。
釈尊(お釈迦様)には500人の羅漢(仏弟子)がいたが、其の中で最も優れて、常に釈尊に着き従っていた人達を「十大弟子」と呼んでいる。
其の中の一人が「目連尊者」で遠くの物事を素早く察知したり、他人の心を見抜く能力に最も優れていたので「神通第一」と釈尊に褒められていた。
ある日、目連尊者は亡き両親の供養の為、神通力によって来世を覗いて見た処、何と彼の母親が餓鬼道に堕ちて苦しんでいる事が分かったのである。
目連尊者は此れを大変嘆き悲しみ、自分の力では母を救い出す事が出来ないので、彼の師に助けを懇願した。
すると釈尊は「お前の母の罪は重いので、お前の力では克服出来ない。だが幸いにも7月15日に大勢の僧侶達が過去を反省し懺悔して、修行に入る時が近付いている。 此の日に僧達に食事を供え、お前の両親の為の供養、回向を願うが良い。 さすればお前の母は救われるであろう。」宣われた。
目連尊者は此の教示を受けて、7月15日に諸仏と大勢の僧侶達に請願し、両親の追善供養をして貰った。
こうして餓鬼道に堕ちていた彼の母は救われ、極楽浄土へ導かれたのであった。

今日では一般大衆の宗教離れが著しく、特に若い世代の間では「お盆」を家族で祝う習慣すら少なくなっている状況である。
しかし、時には喧噪で猥雑な現代社会から自らを逸脱して、世俗界の情報や流行等に振り回される事無く、自分自身を見つめ直し、人間としての正しい生き方、人生の意義や存在価値、等についてじっくり考える機会として、「お盆」は利用してもらいたい物である。

「地球温暖化の著しい今日では「お盆」の時期の7~8月にかけて、厳しい炎天下の中、毎日何軒もの檀家を祈祷の為巡回している僧侶の方々も大変ではないだろうか。」と余が言えば、我が親類の幼馴染は「そりゃ世話ねーわ。 盆は坊主共の一番の稼ぎ時なんじゃから、あいつらホイホイ言うて回りょーらあ。」と答えた。

更には「坊主共はええ気なもんじゃのう。 どこの家へ行っても馬鹿の一つ覚えみてーな経を読むだけで銭がもらえるんじゃから。」とも言っていた。 (余も確かに彼の言う通りだと思えたのである。)


とは言え此の様な時代になっても、まだ物質や情報に振り回されず、其れどころかこれ等と殆ど関わりを持たずに生活している方々が現実に存在しているのである。
仏教の修行僧、そしてキリスト教の修道士が其の方々である。
余は芸術活動の関係上、日本の天台宗総本山・延暦寺、そしてドイツの我が地元Brandenburg市大聖堂と其の郊外の村LehninのZisterzienser Kloster(シトー派の修道院)にて貴重な御縁を承った。

比叡山延暦寺・根本中堂

Zisterzienser Kloster Lehnin
そこでは今も尚私利私欲を捨て、己の人生を「神仏」に御仕えする為に捧げている僧侶と修道士を目の当たりにする事が出来、余は彼らに何とも言えない共感と感動と尊敬の念を抱いたのである!
余は彼らの様に「出家」の身でこそないが、出来る限り彼らに似た生き方をする様に心掛けている。
現代人が物質や情報に支配される事無く、自分を見つめ自分を磨く為には、時々「物質文明」や他人との繫がりを断ち切る事が唯一の方法であると考えられる。

此れは現代文明に浸りきった現代人には決して容易な事ではないが、現代文明(テレビ、コンピューター、スマートフォン、自動車、他)や他人の意見や価値観(社会通念、流行、噂、他)にいつも支配されている様では、いつまで経っても

“Individualität”(個性、独自性)や“Identität”(自分らしさ)を認識する事も、形成する事も出来ないのである。
これ等の事を実行出来ない人生とは如何に虚無で無意味、無価値であるかと余は思えるのである。

Individualität”(個性、独自性)やIdentität”(自分らしさ)を持って、自分本来の“Weldanschauung”(世界観)を形成し、そして“Lebensziel”(人生の目的)や“Lebenswerk”(人生の仕事)に真剣に取り組んで見事に達成する事こそ真の有意義で価値ある人生であると思うのである!

 

心理学の学派を2つに大別すると、「来世」を肯定する派と、否定する派に分けられる。

心理学及び仏教を学んで来た余はあくまでも「来世」を肯定する立場で考察する事にしている。

現世を生きる者は、来世に行った先祖や家族を供養する立場ではあるが、釈尊の御教えの如く、「老」「病」「死」は全ての人間が避ける事の出来ない宿命なのである。

即ちいつの日か今度は自分が来世に行った後、子孫ないしは後世の人々に供養される事になるのである。

此の事を思うと、たとえ人間が現世で美しい容姿、健康、才能、財産、等のGebürtige Tugend「先天的徳」に恵まれ、そして業績、名声、地位、権力、富、等のNachgebürtige Tugend「後天的徳」を獲得しようとも、地上に於ける人生を終えて此の世を去るに当たってはこれ等全てを清算しなければならないのである。

来世に持って逝けるのは精々現世で得た美しい思い出、幸福、満足、正しい教え、等のGeistige Tugend「精神の徳」位であろうか。

余自信もこれ等のGebürtige Tugend「先天的徳」やNachgebürtige Tugend「後天的徳」を此の世に残してGeistige Tugend「精神の徳」を備えた魂で来世に旅立つ日がいつか来る事を思えば、自分自身が、此れからも悔いの残らない充実、満足した人生を送り、尚且つ家族や後世の人々から感謝、尊敬される人間であるべきと心得えている。


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