日本とドイツに於けるファシズムの誤解と真実  | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

かつて3月10日は「大日本帝国」時代には「陸軍記念日」であった。
又偶然にも第二次世界大戦中、暗号解読官(少尉)であった我が親父殿の誕生日でもある。
そしてあの悲惨極まりなき「東京大空襲」(死者:約10万人、焼失家屋:約26万8千軒)のあった日でもある。
第二次世界大戦(1939~45年)が終わって既に60年以上が経過し、21世紀に入った今日では此のの大戦を経験して、当時の事を語ってくれる重要な「生き証人」が少なくなりつつある。
又、戦後の学校教育の中でも、並びに書籍、映画、ドラマ等でも大抵の場合一方的な見解、観念によってファシズムをただ単に「邪悪な思想」として解釈している。
此のままでは当時の知られざる真実が公表される事無く、現代社会に於いて埋没する恐れすらあるので此の論文を認めるに至ったのである。
古代中国の哲学の教義、又は毛沢東の言葉「物事や世の中を一方的ないしは表面でしか見ない者は必ず失敗する。」の様に此のファシズムに関する現代の見解、概念にも同様に多様の誤解や間違いが見出されている。
其の証拠に現代社会では帝政時代とファシズム時代の美徳であった「愛国」「勤勉」「忍耐」「国家(祖国)の為の貢献」はほぼ完全に忘れ去られ「自由」だの「平等」だの「国民主権」等の本質的な意味を穿き違え、其の結果「利己主義」「物質主義」「拝金主義」「目的、希望の欠如」等の御粗末極まりなき状態に陥った者共が大勢いる。
(因みにファシズム時代のドイツでは此の様な者の事をUntermensch(下等人間)又はUnwertes Leben(無価値な命)と称していた。 一方日本では「非国民」と呼んでいた。)
歴史が物語るように帝国主義の時代(1880~1900年頃)にはドイツ、イギリス、フランス、等のヨーロッパの列強国、及び日本、アメリカが其の軍事力及び経済力によって、文明の立ち遅れた東南アジア、アフリカの諸国を次々と植民地化して行き、此れによって自国の勢力と領土を拡大したのであった。
そしてファシズムの時代(1930~45年頃)にはKolonial Politik(植民地政策)で不利になった日本、ドイツ、イタリアの三国はVöler Bund(国際連盟)の条約を無視して軍備を強化して、最終的には第二次世界大戦と云う最大の悲劇を引き起こしてしまったのであった。
此の戦争で最も特筆すべき事は人類史上初めて非武装の民間人の死亡数が軍人の死亡数を遥かに越えた事である。(第二次世界大戦の正確な死者の数は未だに定かではないが、少なくとも6000万人を超える!)
そして此の戦争を通じて人類は次々と兵器を発展させ、遂には世界をも破滅させる程の大量殺戮兵器を発明するまでに至ったのである。(例:原子爆弾、ロケット兵器、細菌兵器)
正直に言うと余も個人的に「兵器」及び「戦略」「戦術」に関して幼少の頃より多大な関心を持ち、引き続き研究して来ているので豊富な知識を有している。

其れ故にこれ等について色々と書きたい所ではある。

 Panzerkampfwagen Ausf.Ⅲ N ↑ 

 Jagtpanzer 38t."Hetzer" und 7.5cm L24 + 3.7cm L45 ↑ 

 8.8cm Flak/Pak L37 ↑ 

 "Kübelwagen" Sdkfz.1 Typ82 und MG34 ↑ 

 "Krupp Protzel" und 2cm Flak L43 ↑ 

 BMW R75 mit Seitenwagen 

ドイツの例: 航空機;Me109,110,163,262, Fw189,190, Ju87,88, He111,162,
戦車;Pzkpfw Ausf.Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ 、其の他の車両;Sdkfz シリーズ、
戦艦; Bismarck, Tilpitz, Scharnholst, Gneisenau, Graf Spee, Rützow,
巡洋艦、駆逐艦、Uボート、
火器;Pak, Flak, MG34,42, MP38,40,43,44, Gew98, P08,38,
秘密兵器;V1,V2,等

日本の例: 航空機; 零戦、隼、飛燕、鍾馗、疾風、紫電改、月光、屠龍、
戦艦; 大和、武蔵、陸奥、長門、日向、比叡、霧島、伊勢、
空母; 赤城、加賀、飛龍、翔鶴、信濃、大鳳、葛城、
その他、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、
戦車; 92式、97式、 歩兵銃;38式、99式、等

しかし本来「芸術家」の立場上、余り兵器の事について此れ以上書くと、「言語道断!」だとか「不謹慎!」だとか「芸術家にあるまじき記述!」だのと厳しく批判されかねないので今回は遠慮しておく。
そうではなく今回は題目通りファシズムの誤解と真実について述べて行く事にしよう。
前述の通り今日ではこの思想及び二つの世界大戦に関する図書や其の他の文献は世界中で大量に出回っているが、其の殆どは戦後に作成され発行された物ばかりである。
即ち戦後生まれの現代人は大抵の場合、戦後の解釈による情報、知識しか得ていない事になる。
余は当時の真実を正しく知る為には現代の書物だけではなく、当時の出版物も読んで見る必要性があると考えている。
にも拘らず帝国主義、ファシズム時代の原点の証書や資料を入手する事は容易ではないし、其れ等が「復刻版」として再発行される事は余程の事が無い限り有り得ない。
其の上此の時代を生き抜いて来た人達から当時の体験談を聞いてみるのも重要な参考となるのである。
此れも大変残念な事ではあるが、高齢化が原因で世界大戦を生き抜いた人々も次々と世を去って行かれているのも事実である。
其れ故にこれ等の方々から聞かせて頂いた貴重な話を将来の為に引き続き残して行く事も我々の義務であると考えられる。
御粗末な事ではあるが世界大戦と云う大惨事の歴史が風化する事によって、今日の先進国の大多数の人間達が平和や裕福への感謝の気持ちを忘れ、其の上国家、社会への貢献と云う国民としての義務をないがしろにしているのである。
即ち時が経つにつれて歴史の真実が忘れられ、遂にはただの「伝説」又は「昔話」になりかねない。
其れ故に余は帝政時代及びファシズム時代に発行された証書や資料を大量に採集して其れ等を研究し、更に余の個展の折に、そして余のホームページ上でも公開する事をして来ている。
其れ以外にもファシズム時代及び第二次世界大戦を生き抜いてきた余の多くの友人、恩師達からも当時の事について色々と学ばしてもらっているのである。

これ等の長年に亘る活動から確認した事は、まず第一にファシズムとは別名「極右主義」とも称される様に、此の思想の世界観とは極めて一方的且つ、異なる又は相反する思想に対して非常に排他的で攻撃的な事である。
当時ファシズムの独裁政権の下では日本でもドイツでも君主(独裁者)や軍部に逆らう人々を「危険分子」「反逆者」又は「犯罪者」として弾圧、迫害、逮捕そして極端な場合処刑したのであった。
彼らが本当に「人間のクズ」又は「社会のゴミ」の様な下等で無価値な存在ならば特に問題は無いのだが、其の中には寧ろ国家や社会の為になる有能な人々も幾らかは含まれていた事も推測される。
又、当時は今程学歴のある人は沢山いなかった故に、其の単純で素朴な国民を煽動する為に多くの偽りの説明、宣伝をしたのも事実である。
ドイツでの例:「ドイツは純粋なゲルマン民族の国家である。」
 「世の中の災いや不幸の元は全てユダヤ人による物である。」
此れによってナチスは国民の心(又は情念)に愛国心と誇りのみならず、憎しみや恐怖を植え付けたのであった。
此の心理学を応用した政策はナチス党が第一党に成る事、そして絶対的優位を保持する為に絶大な効果があった。
現在でも尚、ナチスの心理学的政策は世界中の心理学者達によって、興味深い例題として本や論文、又は大学等の講義の中でも引用されているのである。
場合によっては狡猾な政治家や業者、其の他によって悪用される事もしばしばである。
一方日本でも戦争中軍部が国民に対して、負け戦をあたかも勝ち戦のように報道したり、ある部隊の悲惨な全滅を「名誉の玉砕」等と美化した事等も虚構の例として挙げる事が出来る。

扨、余が所蔵しているファシズム時代に日本、ドイツの両国で発行された図書を紹介するとしよう。

先ずドイツで1933年にナチス党の出版局が発行した

 "Deutschland erwacht"「目覚めるドイツ」である。
此の本には当時のヒトラー総統やナチス党員、軍人そして彼らを熱狂的に支持する国民の姿を写した生写真が大量に掲載されているし、本文を読んでみても至る所にヒトラー総統やナチス党を賞賛する内容ばかりなのである。
此の様な本を大勢の単純且つ素朴な国民が見たらヒトラーやナチスを自分達の「救世主」として信じる(勘違いする)のも必然の様にすら感じられる。


次に日本で1938年に陸軍歩兵部によって発行された「支那事変・戦跡の栞」(上、中、下巻)である。
此の本でも日中戦争(1937~45年)の事を「支那事変」と表現している。
と云うのは当時日本はすでに「国際連盟」を1933年に脱退していたものの、「中国に対する戦争」と世界に宣言すると、さすがに国際連盟からの干渉があるので、「支那事変」即ち中国国内での内乱鎮圧と言う所謂「大義名分」を掲げたのである。
此の本の中でも日本軍が中国戦線の至る所で連戦連勝した様に書き記されている。
しかし実際は広大な中国の領土との関係で補給線が伸びた事、そして中国軍及び八路軍の所謂「人海戦術」によって、日本軍は戦術的には勝つものの、戦略的には大変苦しめられていたのである。
其の他此の本では中国人や其の生活体系についても明らかに「下等人種」として見下した表現をしている。
丁度当時ドイツ国民がヒトラーのナチス政権を盲目的に信じ従ったのと同様に、日本でも軍事政府の発表や通達や指示に国民は盲信、盲従したのであった。

最後に現在の日本とドイツに於けるファシズムに対する政治的処置、法律上の規制及び国民の意識について書くとしよう。
日本では民主政治に基ずく「思想と言論の自由」を保証して、ファシズム又は右翼思想に対しても特別な法律上の規制、罰則は設けていない。
其れどころか与党の政治家の多くが第一級の戦犯の霊を祭る「靖国神社」に毎年参拝している位である。
此の事に対して近隣のアジア諸国、特に中国、奸国は非常に批判的ではあるが、日本には独自のしきたりや考え方がある。
即ち外国人如きに干渉する権利等全く無いのだから、そんな事は無視しておけば良い!
又、民間でも旧日本軍の軍装品等を販売する事も全く自由である。
一部の店では日本軍どころかナチスの軍装品まで売っている位である。
とは言え戦後生まれの日本人の大部分は当然戦後の教育しか受けていないし、其の上日本の文部科学省及び各地方の教育委員会も出来るだけファシズムや日中戦争、太平洋戦争については学校の授業で詳しく教えない様にしている。(そこには日本の過去の戦争犯罪についてひた隠しにしようと言う政治的意図が窺われる。正に諺の「臭い物には蓋」の如くである。)
其れ故に戦後生まれの大抵の日本人はただ単にファシズムを非人道的で野蛮な思想と思い込んでいるか、もしくは殆ど無頓着かのいずれかである。

一方ドイツでは過去に同じファシズム国家であったにも拘わらず事情が全く違う。
先ずドイツは言うまでも無く第二次世界大戦後、東西に分裂し其の状態が1990年まで続いたのだから、東ドイツと西ドイツでは勿論の事、行政、法律そして国民意識も全く別の物となっていた。
ドイツが統一されて早や20年近く経とうというのに旧東ドイツでは未だに資本主義の本質が理解出来ず、ただ表面だけ西ドイツの真似をしている愚かな国民が少なくないので、彼らを西ドイツ国民は嘲笑しているのである。
現在ドイツの法律ではファシズムはおろか右翼の政党による組織、活動は公的に禁止されているが、それでも右に傾いた保守系の小さな政党は幾つか存在する。
其の他ドイツ政府は現在も尚、ナチスの戦争犯罪を追及しているし、特に当時犠牲になったユダヤ人(約600万)の子孫に対しても賠償しているのである。(全く御愁傷様で殊勝な事である。)
又、学校教育に於いてもナチスによる政治的虚構や戦争犯罪についても十分に教えている。
これ等の事から如何に今日のドイツ人が自分達の過去(ナチス時代)を反省しているか、そしてナチスの存在を警戒しているかが良く分かる。(逆に言えばそれだけヒトラー総統の魔力は強大だと言う事である!)
それでも尚、余の個人的な経験からすれば、ドイツには未だにナチスや極右主義を密かに支持、賞賛する人々は大勢いるのである。(ただ彼らは行政や法律で禁止されているので、表立って主張出来ないのである。)
かくして今日のドイツ社会は多くの「ゲルマン魂」など持ってはいない軽蔑すべき「腰抜け」や「怠け者」や「偽善者」共を作り出してしまったのである。
又、ドイツ国民の意見を聞いてみても現在の自国の行政や法律に不満を唱える人が圧倒的に多いのである。(此の事に関してだけは東西共通している。)
余もナチスが正しい等と主張しないにしても、一方的に邪悪で危険な思想と決め付けてしまうのは愚かな間違い且つ誤解であると考える。
寧ろ此れは“Die Freiheit zur Meinung und Äußerung“(思想、言論の自由)に対する矛盾した剥奪行為である!
そうではなくて、もっとナチスや右翼思想についても自由に主張出来る可能性を与え、許容すべきなのではなかろうか。
全く人間と云う生き物は自分達にとって有益な物事だけを「正義」と考える傾向がある。
依ってファシズムに対する誤解は今も尚続いている。
繰り返し書くのだが、世の中を一方的にしか見ない者は必ず失敗するのである。
故に物事を全体的に把握するバランスのある感覚や考え方が大切なのである!
                             
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