ドイツ語翻訳・通訳の思い出、及び関連資料の案内 | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

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 Luftaufnahme des Berliner Stadtzentrum mit Schloß, Dom und Lustgarten (um1900)

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Königliches Schloß und Schloßbrücke Berlin (um1900)

 

余はドイツのKunstakademie Dresden (ドレスデン国立芸術大学)で1991~95年学び卒業し、同時にMedizinische Akademie Dresden  (同市国立医学大学)で特別受講生として92~94年まで学んだ。

更に1994年にはBrandenburg州のAngermünde町の St.Marien Kircheで初の個展を開催して画家としてのプロデビューを果たし、

翌年95年にはStendal市のAltmärkisches Museumにて2度目の個展を開催した。(いずれも公共事業)

其の後日本に帰国し、画家のみならずドイツ語の知識、ドイツ国内での経験、及びドイツから持ち帰った多数の図書、文献、資料を社会で活用する為、ドイツ語の翻訳・通訳をしてみる決心をした。

そして日本でドイツないしはオーストリアと姉妹都市関係になっている市や町の役所、国際交流センター等にドイツ語の翻訳・通訳として登録してもらい、機会があったらドイツ語の翻訳・通訳の依頼を受けていた。

(例:大阪府・東大阪市、山形県、長野県、新潟県・上越市、兵庫県・神戸市、徳島県・鳴門市、岡山県・作東町、他)

其の中で1995年以来、首都Berlin・Mitte区と姉妹都市である

島根県・津和野町の「森鴎外記念館」にて余は96年に姉妹都市縁組1周年記念事業と言う名目で個展を開催し、首都Berlin及び周辺のBrandenburg州の文化財を描いた作品を展示した。

更に同年、東大阪市の文化国際課から当市の姉妹都市、首都Berlin・Wedding区から都議会議員を中心とした交流団が来るので通訳をしてもらいたいとの委託を受けて現地まで赴いた。

そして当時、元・都議会議長で国家最高勲章Bundeskreuz叙勲者 W.Mellwig閣下、都議会議員で文化局長のR.Sauter氏、元・都警察庁・警視 E.Kutzera氏、等の御歴々と自分の経歴や活動について紹介した途端に親しくなった。

其の後もこれ等の方々と文通をさせて頂く様にまでなった。

 

更に次の年1997年、余がBerlin Humboldt-Universität(フンボルト大学)の大広間にて我が個展を開催する事が昨年に決定していたのだが、当校舎の突然の大規模な修繕作業が文部省より決定した事により、此の大広間も閉鎖されるので当校での余の個展は残念ながら実現出来なくなった。

とは言え、折角Humboldt-Universität程の名門校よりの個展の依頼であっただけにどうしても此の大きな機会を諦め切れなかった。

そこで余は東大阪市で昨年以来親しくなったBerlinの都議会議員の御歴々に相談してみれば、何かしら良い代替案を見出してくれるのではないかと思い、此の事について連絡してみた。

すると何とも嬉しく有難き事にW.Mellwig閣下、R.Sauter氏が中心となってくれて余の個展をBerlin・Wedding区役所の大広間で開催する事を決定してくれたのである!

 

正直な処、余は自分が首都Berlinにて個展を開催する事等、5年も10年も先になるだろうと思っていた。

其れはあたかも日本の「戦国時代」に喩えれば、地方の大名が京の都に上り朝廷に公認されるに等しい事である。

余は当時、理美容専門学校の美術、美容文化史、Hair-Illustrationの講師をも務めていたので、当校の夏休みの合間に日本を出国し、首都Berlin・Wedding区役所の直ぐ後ろの通りの市営住宅に住ませてもらいながら、我が個展を予定通り開催したのであった。

此の時、余は我が個展を見に来てくれたBrandenburgの大聖堂の※Ch.Radeke牧師と初めて対面し、生涯の親友となるのである。

(※彼は身長193cmの大男だったので驚いてしまった。)

其の期間、余は今まで訪ねた事の無いBerlinと其れを取り巻く

Brandenburg州の多くの文化財を訪ね取材し、それ等の写真を基に制作を続けて行ったのである。

 

1998年の2月7日から22日まで開催された「長野オリンピック」の際には会場である長野県・白馬村と当時選手村のあった新潟県・上越市の両方でオーストリアの一本杖スキー選手団の為の通訳を務めた。

此の時余は冬季オリンピックを直に見られるだけでなく念願の白馬岳の雪景色や、オーストリアの選手団が帰途に就く折、一緒に東京見物をさせてもらって、浅草の「浅草寺」も参拝する事が出来たのであった。

更に此の年はBrandenburg/H市の設立1050年記念の年であったので、此れを機に余はCh.Radeke牧師に頼んで、我が個展を市の1050年記念事業として大聖堂のSt.Petri Kapelleにて開催したのであった。

此の時は当市で盛大にJubiräumsfest(記念祭)が開催されていた為、ドイツ全国から観光客が大量に来てくれた御蔭で我が個展にも約1万2千人程の入場者があった。

(此の入場者数は今までの余の個展の中で最高記録である!)

此れ以来、ドイツの首都Berlin及び此れを取り囲むBrandenburg州にて度重なる公共事業としての個展を幾度も開催し、我が作品を当地の複数の公立博物館、教会、等に寄贈し、様々な賞賛と授与、叙勲を賜り、我が作品と名前を歴史に未来永劫に残す事を決定付けたのである。


 ✠Berlin-Mitte Museum

 

2002年には北ドイツのLüneburgと姉妹都市である徳島県・鳴門市で、第一次世界大戦中に当市に設けられていた捕虜収容所で当時のドイツ兵達が手作業で印刷して発行していたドイツ語の新聞を翻訳して発行する業務があって、此れを翻訳してくれる人材を募集していた。

此の事を新聞で知った余は直ぐに当市に此の業務を受けると名乗りを挙げた。

余はドイツ兵達が発行していた「新聞」と書かれていたので、旧・印刷文字の"Fraktur"で書かれているのであろうと思っていた。

余は大学時代からドイツの歴史や文化史を学んでいたので、100年以上前の此の"Fraktur"で印刷された古文書に慣れ親しんでいた。

ところが実際これ等の新聞は※"Sütterlin-schrift"と呼ばれる当時の独特の筆記体で書かれていたので、流石に戦後生まれのドイツ人でさえ判読困難なので、まして日本人にはたとえドイツ語を学んでいても全く判読不能であった。

(※グラフィッカーのLudwig Sütterlin(1865~1917)が考案し、1911年から第二次世界大戦終了の45年までドイツ語の筆記体として使用されていた。)

とは言え自ら業務を受けた以上、自分の名誉と信頼に掛けても責任は全うしたいと思い、初めて遭遇する此の独特の筆記体を暗号を解読するが如く、其の特徴を学習しながら判読、翻訳して行った。

其れでも当時の文中でどう探しても見当たらなかった小文字:xだけが分らなかった事を我が母校の恩師C.Weidensdorfer先生(学部長、1931年生まれ)に手紙で知らせると、先生は親切にも全ての"Sütterlin-schrift"の手本を書いて余に送ってくれたのであった。

此の経験から余は自分のドイツ語の翻訳能力を更に向上する事が出来たのである。

此の業務が縁で余は鳴門市のドイツ館(博物館)で明くる年2003年に個展を開催したのである。

 

思い起こせば我がドイツ語の通訳・翻訳の仕事は自分の画家としての業績、名声、地位、人気を積み上げる為にも多大な作用をしてくれたと言えるのである。

正に諺の「芸は身を助く」の如くである。

又は「小さな成功を積み上げて大きな成功を築き上げる。」と言う余と(株)アサヒビールの社長の共通の格言の如くである。

我が最愛のGeistige Heimat(精神の故郷)Brandenburg州のFrankfurt/O市で2003年に開催した個展の為に住んだのを最後に、以来ずっと遠く離れた日本国内でDeutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城を手本に2000年に自らデザイン・設計した”Backsteingotik”(レンガゴシック様式)の館(実家)で、絵画作品及び文学作品を制作して暮らしている。


たとえ遠く離れようとも、長い年月が経とうとも、余の心の中には地元で過ごした美しき日々が今でも鮮明に刻まれている。
余が書き続けている格言集の中で「幸福」について「最も幸福な人間とは過去に美しき思い出を持ち、現在は良い課題に取り組み、そして未来に希望を持っている。」と書いているが、
自らがそう有らなければならないと改めて思うのである。

同ブログの『プロフィール』)参照

芸大卒業後、余が公表していた自分の業務の紹介文は以下の通りである。

ドイツ語翻訳/通訳をお受け致しております。
 

✠翻訳:A4サイズ 5000円より
第二次世界大戦以前の古文章の翻訳も可能 (例:Fraktur、Gotisch、Sütterlin-schrift等)
✠通訳:1日 25000円より(観光の通訳以外は30000円、但し本人の都合の良い時に限られる) 其の他ラテン語も翻訳だけならある程度可能です。
詳しくは私宛に電話、Fax及びE-Mailにて御尋ね下さい。

又,ドイツ文化史上の資料として以下の歴代のドイツ製印刷物を多数所有致しております。 
✠図書、冊子、文献:1875年から現在まで(ドイツ帝国、

ヴァイマール共和国、ナチス第三帝国、 東/西ドイツ、ドイツ連邦共和国)約600冊
分野=歴史、文学、哲学、美術、建築、音楽、医学、民俗学、軍事、観光旅行(ドイツ16州全てを収録)、其の他

✠写真、絵葉書、版画: 1859年から現在まで約2500点以上 (当ブログ内の写真並びに作者のフォトアルバム参照 Yahoo!ボックス

此のフォトアルバムは前の世界大戦で破壊、消失した、ないしは生き延びた物件を多く収録しております。)

✠切手: 1870年から現在まで約1300枚以上 (フォトアルバム参照)
中でも特にドイツ帝国を1871年に統一したプロイセン王国(1701-1918年)に関する資料及びコレクションに重点を置いております。
これ等の一部は2003年に鳴門市ドイツ館にて我が絵画作品と共に展覧致しました。

其の他、各学校、教育/文化センター等で✠美術理論:色彩学、形態学、美術史、芸術心理学、解剖学、美学、  ✠美術実技: 絵画、グラフィック、模型、及びドイツ語/ドイツ文化史の講義/講演をする事も可能です。(既に家庭教師、専門学校、教育/国際交流センター等で教務経験あり)

尚、私の個人情報は我が芸術のホームページ Kunstmarkt von Heinrich Gustavの"Bestellung"を参考に御覧下さい。 (ドイツ語、英語版、日本語解説付き、画像165点以上)
Homepage:  http://h-gustav.com  又は Heinrich Gustav Miaki Okuyama, "Kunstmaler Heinrich Gustav" のキーワードによるフリー検索も可能です。

 
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