【デ・ハビランド DH.106 コメット】(世界の航空機コレクション 1/300) | 仙南飛行俱楽部

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【デ・ハビランド DH.106 コメット】
(世界の航空機コレクション 1/300)

初飛行:1949年7月27日
乗員:4名
座席数:36~ 44席 ...
最大速度:725 km/h
航続距離:2,415 km~ 2,850 km

第二次世界大戦末期、ドイツ空軍は史上初のジェット戦闘機メッサーシュミット Me262を実戦投入した。アメリカとイギリスもジェット戦闘機の開発には成功したが、実戦に配備する事はなかった。

大戦中、イギリス政府のブラバゾン委員会は、デ・ハビランド社に対して、小型ジェット輸送機の開発を指示していた。
デ・ハビランド 社は、既に、ジェット戦闘機DH.100 バンパイアの開発に成功していた。
ジェットエンジンの分野では、唯一、イギリスは、アメリカと対等な技術を有していた。来るべき、戦後の復興の為に、ジェットエンジン技術の民生化の研究が必須だとされたのであった。

1946年9月、デ・ハビランド 社は、小型ジェット輸送機ではなくて、大型ジェット旅客機の開発を申請。イギリス軍需省に承認された。
使えるジェットエンジンは、小型の「デ・ハビランド・ゴースト」しかなかった。
これを4発搭載する事とした。しかし、推力不足は否めなかった。
ジェットエンジンを翼下に懸垂する方式は、ボーイング社が既に特許を持っていた。デ・ハビランド社は、主翼の付け根に、ジェットエンジンを配置するしなかった。
機体の接合には、リベットではなくて、エポキシ系接着剤が用いられていた。
数々の問題点を克復して、試作機が完成した。
そして、1949年7月27日には、試験飛行に成功した。
人類史上初のジェット旅客機が完成したのである。

1952年5月2日、英国海外航空は、DH.106 コメットの商用運行を開始した。
しかし、この直後から、3機のDH.106 コメットが墜落事故を起こし、乗員乗客全員が死亡する例が連続して発生した。

イギリス政府は、王立特別調査委員会を設けて、事故原因を徹底的に調査した。
その結果、機体強度に問題があり、金属疲労が発生。空中分解した事が判明した。
デ・ハビランド社は、早急に機体強度を直した改良型を開発した。
しかし、DH.106 コメットは、墜落しやすいとのイメージから、導入する航空会社は少なかった。
ボーイング社のB707や、ダグラス社のD-8など他社のジェット旅客機の開発に成功すると、多くの航空会社は、それら導入した。
デ・ハビランド DH.106 コメットを発注する航空会社は皆無となった。
1964年、デ・ハビランド DH.106 コメットの生産は終了した。