日本シャンソン館での「ホブとユトリロのシャンソン談義」。
4月と8月、2回に渡り、「80年代フレンチ・ポップス」の特集を行いました。
本日は、4月27日に行った1回目を振り返ります。
最初に時代背景を把握するために、80年代におけるフランスポピュラー音楽界の出来事を、イベント、デビューした人、亡くなった人の三つの視点から、年表形式で振り返りました。
主なイベントとしては「レ・ミゼラブル」フランスオリジナル版の初演(1980)、第一回ヴィクトワール賞開催(1985)、第一回「心のレストラン」公演(1986)等がありました。
次にホブとユトリロが好きな80年代の歌を挙げ、その歌や歌手にまつわるエピソードを紹介しました。
①セルジュ・ラマ
・"Souvenirs...Attention...Danger !" (1980)
これは私がラマの中で一番好きな歌です。
・"Ballerine" (1980)
ユトリロさんは、"Souvenirs...〜"と同じアルバムから、この曲を選びました。
・ラマのエピソードとして、ツアー中の交通事故を取り上げ、その事故で亡くなったのが誰だったのか、また瀕死の重傷を負ったラマのための歌手仲間の支援コンサート等について紹介しました。
②ディディエ・バルブリヴィアン
・"Elle" (1980)
・"Viva la Vie" (1984)
・ユトリロさんが"Elle"の存在を知ってからレコードを入手するまでの苦労と、手に入れたときの喜びについて語ってくれました。
③ピエール・バシュレ
・"Elle Est D’ailleurs" (1980)
・"Les Corons" (1982)
・ピエール・バシュレが"エマニエル夫人"を歌った人であることを紹介し、"Elle Est D’ailleurs"や"Les Corons"のような良い曲を書く人が日本で紹介されないのはとても残念 といった話をしました。
④イヴ・デュテイユ
・"モンソー公園で" (1981)
・"名もない人々" (1981)
・"モンソー公園で"は、ホブとユトリロの二人ともが80年代の1位に挙げた曲で、88年に二人で初めてフランスへ行ったときに、モンソー公園で"モンソー公園で"を聞いた といったエピソードを紹介しました。
また"モンソー公園で"は、私がシャンソンを聴くきっかけになった曲で、学生時代にユトリロさんからこの曲を聞かせてもらったときの話をしました。
⑤フランス・ギャル
・"ディエゴ" (1981)
・"Débranche" (1984)
・いずれもミシェル・ベルジェのプロデュースにより復活したあとの曲で、アイドル時代とは全く異なる"アーティスト"としての存在感を放っている といった話をしました。
⑥ジュリアン・クレール
・"Femme Je Vous Aime" (1982)
・"L'Enfant Au Walkman" (1987)
・フランス旅行の際、ニースで買った音楽情報誌"Paris Match"をみてパリでジュリアンのコンサートに行き、"L'Enfant Au Walkman"を聴いたことを昨日のことのように思い出します といった話をしました。
後編へ続く...