政治家の言葉 | ホブのブログ

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ノンジャンルで、好きな音楽のことを気ままに書き綴ります。
インストゥルメンタルやヨーロッパのポピュラー音楽が中心になりそう。

ずいぶん重いタイトルですが、最近の裏金問題や、ましてや政治的な思想や理念について語るわけではありません。

あくまでも、日本語としてどうなのか?という話です。

 

「いただく」「くださる」

学生の頃、同じ研究室の友人が卒論(の下書き)に、「ご協力いただいた⚪︎⚪︎先生に感謝いたします」と謝辞を記したところ、担当教授から「いただいたのは自分です」とチェックが入って返ってきました。

「なるほど」と思いました。

「ご協力くださった⚪︎⚪︎先生に...」と書くべきです。

 

それ以来、「いただく」と「くださる」の使い分けには注意しているのですが、世の中は7:3くらいで「いただく」が多いように感じます。

とくに政治家は、ほぼすべての人が「ご支援いただいた皆様に御礼申し上げます」という言い方をしており、むしろ10代20代くらいのアイドルの方が、ちゃんと「応援してくださるファンの皆さん」と言っているように思います。

 

どうしても「いただく」を使いたいのなら、「ご支援いただいたことに対し、皆様に感謝...」と言うべきでしょう。

 

「いただく」でも、ほとんどの日本人には意味は正しく通じており、多くの人は誤った表現であることにさえ気付いていません。

でも外国人にとっては、ただでさえ難しい敬語が誤用されているのだから、「日本語は難しい」原因の一つかもしれませんね。

 

「総合的に判断して」

20年ほど前(K内閣の頃)からよく聞くようになった気がします。

技術分野で「総合的に判断する」場合は、評価項目とそれぞれの評価基準と項目ごとのウェイト付けを予め協議して決めておくので(実はこれが一番大変)、判断結果は人に依存しないのですが、政治の場合は「最後は私が好きなように決めます」と言っているように思えてなりません。

 

「適切に対応する」

ここ数年よく聞く表現で、一種の流行り言葉になっています。

適切とはどういう状態で、適切かどうかを誰がどういう基準で判断するのかが不明確なので、どんな結果になっても本人が「適切だった」と言えばそれまでです。

そもそも今まで適切でなかったからいろんな問題が発生しているわけで、問題の渦中にいる人が「適切に対応」できるとは思えないのですが、なんとなく通ってしまっています。

 

その場しのぎやごまかしのためには便利な言葉なので、一般社会にも広がりつつある表現ですが、あまり歓迎したくありませんね。

 

 

La Langue De Chez Nous(私たちの言葉) イヴ・デュテイユ