もう耐えきれない孤独のセレナーデに耐える必要がなくなった | ほぼうさのブログ

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ぼくが中学生の頃、「刺激! VISUAL SHOCK Vol. 2」というX JAPANのライブビデオがどうしても欲しくて、近所中のCD屋、ビデオ屋を探し回った。結局まわりでは一切見つからなかったため、最終的に名古屋は栄にある大都会のCDショップまで冒険をして購入した記憶がある。おそらく、今思えばかなりの時間と労力とお金をかけたはずだ。

ところが、いまの時代にエックスのライブビデオを見たいと思ったら、ネットにアクセスさえできれば簡単に見ることができる。下手をすれば、youtubeで一発だろう。その類の動画サイトになければ、仕方なくamazonのページに行って購入手続きをすませば翌日には自宅にとどけてくれる。これこそインターネットの発達が、人間の暮らしを便利に変えてくれた素晴らしい一例である。

ネットの発達による恩恵というと、つい我々はツイッターに代表されるような、各種SNSを想定してしまう。つまり、リアルタイムに人と人がつながり、情報を共有してコミュニケーションがとれること。この時空を超えた「同時性」にこそインターネットの恩恵があり、可能性があると考えてしまいがちだ。

しかし実はネットがもつ機能にはそういった「同時性」のほかに「アーカイブ」としてのすぐれた役割がある。ひと昔前だったら古本屋で値上がりしたレアな雑誌を発掘し、高い価格で購入しなくてはならなかった、あのミュージシャンや音楽プロデューサーのインタビュー記事…こういったものはだいたいネットに転がっているようになった。古本屋をめぐる手間や時間をかけず、自宅で閲覧することができるから、ぼくらの暮らしはいったいどれほど便利になったことだろう。


前述の「刺激! VISUAL SHOCK Vol. 2」だってそうだ。アーティストのドキュメンタリー番組にしても、ひと昔前はテレビ局がすべての映像資料を押さえてしまっていて、一般人は適切な再放送のタイミングまで待ち、決して失敗することの許されない録画を注意深くしなくてはならなかった。それが今や、テレビ局はアーカイブを開放しはじめ、お金を払えば時空をこえてみることができるようになった。場合によってはyoutubeに転がっているラッキーなことすらある。

ネットの「同時性」はたしかにすごく便利なのだけど、クロネコヤマトアマゾン問題なんかを見ると、これ以上リアルタイムで人々が繋がっていくことには限界を感じなくもない。むしろ、SNSでは繋がった他者を傷つけることに喜びを感じる「バカな暇人」の存在が、ぼくたちの自由で便利な生き方を強力に阻害しはじめている。


だから、ぼくはこれからの社会が「同時性」を軸に、これから発展していくことに全然期待していないし、おそらくそんなに変わらないだろうとすら思っている。それよりも、「刺激! VISUAL SHOCK Vol. 2」が教えてくれたように、ネットのもうひとつの機能「アーカイブ」に、可能性ときわめて大きな利便性を感じている。