反省文3 | ほぼうさのブログ

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そしてもう一つ。よほどのことがない限り、人間は「まじめ」にならないほうがいい。まじめさが人間を滅ぼす事例など、ぼくの半生を引き合いに出さなくても山ほど出てくる。


まじめに東京電力に入社してまじめに働いていたら原発事故が起きてしまった、まじめに東芝に勤めていたのに粉飾決済がきっかけで云々、まじめにシャープで頑張っていたのに…枚挙にいとまがない。


そうかと思えば、定職につかずふまじめに友達のウェブサイトを手伝っていたら人気がでて、気が付けばいつの間にか取締役に…というケースもある。それだけじゃなくて、社会的財産のこともある。ぼくのようにまじめな人間よりも、ふまじめな人間のほうがたくさんの人と飲みに行ったりしていて友達が多く、いろんな人と繋がっていることが圧倒的に多い。


そして、そういう「ふまじめさ」が人間の偶然的なパワーを強く引き寄せられる。ここまで言うと「そんなバカな」と言いたくなるだろうが、これは歴史が証明している。

 

古来より、「まじめ」なエピソードが偶然の出会いや発見を引きよせたという逸話は存在しない。しかしエジソン偉人伝みたいなものを少しでも読むと、「ふまじめ」な瞬間のたまたまな出会い、思いつきがのちのAであるみたいな逸話がやけにたくさん出てくる…というのを誰もが感じているはずだ。


だからぼくはすべての歴史的発見、出会い、良縁は人間のなかにあるグウタラで面倒くさがりでどうしようもない「ふまじめさ」が引き合わせてくれると確信しているし、それが偶然の本質だと思っている。