歴史のその先へ | ほぼうさのブログ

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人類の歴史を紐解いていくと、どうやら最古の文明というのはメソポタミア近郊の紀元前6500年前ということで概ね見解が一致している。少し前まではエジプトが最古の文明だということだったらしいが、文明の起源と農業の開始とは必ずしもイコールでない。大規模な農業を行う上で、権力者が大きな労働力を動員し、灌漑農業システムを組み立て、社会階層と職業が分化し、そして文字による記録があること。これが文明の条件と言われているそうだ。

そんなことはわりとどうでもよくて、そこから西洋人がクラシック音楽と呼ばれる和声の方式を確立するには、1700年頃まで待たなければならない。文明がはじまってから8200年も経過している。それ以前にも教会などやお祭りで演奏される音楽は存在したが、いま我々が最も親しんでいる形態の音楽の、和声的なルーツを作り出したのがバッハだということは常識とされているようだ。
バッハ、モーツァルト、ベートーベン…この巨人たちが100年かかって1800年前後まで音楽を発展させた。その後ショパンとかいろんな人が爆発的に現れて、100年後。1900年頃にアメリカでまったく新しい音楽のジャズが生まれる。
ジャズはブルースから少し遅れて生まれたというが、おそらくそうらしい。そしてロックが大きく発展するまでが50年。ロックがポップミュージックになったのが1980年。あれから30年。日本のポップス界は行き詰っていると言われる。

今われわれが親しんでいる音楽というのは、かくも浅い、浅はかな歴史しかないのである。この10年やそこらに生まれた価値観、常識などに、実際はいったいどれだけ歴史的な重みがあるというのか…推して知るべきだ。
現在、日本のポップス界で起こっていることというのは、誰かが新しいフォーマットを作って、そのバスに乗り遅れるな!いそげ!と言って似たような工業製品の山が積み上がる。音楽の歴史にして30/300年の間にここまで腐った。文明の歴史からすると30/8500年の間に。
これはいくらなんでもダサすぎるんじゃないか…とみんな気づくべきじゃないのだろうか。音楽の歴史から、文明の歴史から考えると、日本独自の音楽業界のスタイル―つまりテレビがあって、事務所があって、レコード会社があって、お金がたくさん動いて、音楽をネタにフトコロがうるおうこと―は全くもって必要な仕組みではないのである。
今われわれがすべきことは、沈みかけた音楽業界の泥バスにギリギリ追いついて乗り込むことじゃない。そうではなくて、文化を一番底のレベルから支えていくがむしゃらな一生懸命さ、真剣さこそが本当は最も大切なことなんだと思うのだなあ。

何を言ってるかわからない、といってポルナレフみたいになる読者の顔が目に浮かぶようだ。